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失われた命と、繋ぎとめられなかった命と…。 [独言]

昨年の3.11で日本のみならず、全世界において、
改めて命の尊さと儚さと、未来の子孫へ残す財産について大きな課題を自覚されたはずだった。

しかし、人の業というのか、比較的罹災から遠ざかるにつれて、
「あの時」の悲劇や苦痛というものが忘れ去ってしまう。
忘れる事も時には大事なのだが、しかし、同じ悲劇を繰り返さないためには、
その時の悲劇や苦痛を心に留めて学習する必要がある。
そして、後世に轍を踏まないように記録を残す事が肝心となってくる。

東日本大震災の死者15,867名(警察庁7.11現在)の失われた命は、
この数字だけでは計り知れないほど、重いはず。
しかし、養老某が指摘するように、私たちの社会は「死」からかけ離れたところにいる。
約1000年前は、『羅生門』でも分かるように、遺体は「生」と比較的近くにあった。
思えば宗教も、死とは切っても切り離せないところに共存していた。
近代によって合理的な、おそらく実存的な事に重きをなしたことにより、
不合理な「死」を次第に隔離するようになってきたのだろう。

それから先日、小さな命がわずか1週間足らずで灯が消えていった。
名もなき赤ちゃんパンダ。
生後1週間が勝負のようで、しかも初産は死亡率が高いとも言われる。
その試練の時に惜しいところで、命を繋ぎ止める事ができなかった。
その悲報が一般市民に伝わると、誰もが哀しい表情を浮かべ、
小さい子どもたちは悲しみに沈んで涙を流していた。
動物園の会見でも、やはり今まで24時間体制で見守ってきた方々は泣き、
その悔しさは誰もが同じように感じたと思う。

まして、まだ太陽のように輝く事ができずに命を絶たされてしまった、
大津中学二年生の悔しさ・悲しさというものを、どうして憤りせずにいられようか。
加害者側の行為は常軌を逸しており、大人顔負けの立派な犯罪をしてきた。
にもかかわらず、この数カ月に不祥事を恐れて隠ぺいし続けた学校や大津市教委、
また大津警察署が遺族の受理を3度も拒否し、事なかれといったなおざりな対応に、
どうして非難せずにいられようか。
さらに、その隠ぺい体質から漏れてくる陰湿で残虐な実態に、冷静でいられようか。
もはや酌量の余地は無し、加害者の少年らを実名すべきではないだろうか。
中学生であれば物事の分別はだいたい付いているはず。
してはいけない事を罰するのは当然ではないか。
人の命を軽視し、もてあそび、二度と戻ることのできない命を絶たせた加害者らを、
未成年というだけで「人権」を盾に実名公開しないのであれば、
この国の憲法はもやは絵にかいた餅だ。
明らかに人権侵害ではないのか?

残された命は、この先どのようなところへ向かうのだろうか。
命を奪った代償は、生きている間に払えるほど、軽くは無い。
それは死後も、運よく人間に生まれ変わっても、罰を受け続けなければならない。

タグ:独言
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青竹

時に自然の猛威によって、またときには同じ人によって
奪われていく命。
無情を感じざるを得ません。
by 青竹 (2012-07-14 10:47) 

竜眼寺暁

青竹さんへ☆
初コメントありがとうございます。m(_ _)m
今年は『方丈記』800年なんですよね。
その無常感はいつの世も変わらず、流れるがままに過ぎゆく…。
『方丈記』は老若男女問わず、読んでいただきたいものです。
by 竜眼寺暁 (2012-07-14 21:35) 

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