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ふたたび… [独言]

明日は七月に入り、試験地獄が刻一刻と近づいている…。
例年なら補講期間があるから勉強・復習する時間があるけど(って、毎年サボっていますが)、
試験は授業の最後に行うことになっているので、かなり時間が制約されています。(笑)
卒論も、そろそろ目次を作成しなければ厳しいです…。

ブログ更新するにも、またソネブロの皆さまへご訪問させていただく時間も減ってしまいましたが、
最近はブログアクセスが増加する傾向があるみたいです。
(毎日600名以上の方が訪問していただき、深く感謝しております。
まだまだ至らない所が多い暁にとって何よりの励みになります。
最近は更新が少なってたいへん申し訳なく感じていますが、
その分、より良い記事を提供したいと思います。何卒、よろしくお願い申し上げます)


過去一週間のアクセス数です↓

(6.23)1,782
(6.24)1,552
(6.25)1,761
(6.26)2,205
(6.27)1,717
(6.28)2,404
(6.29)2,190

その中で最もアクセス数が多かったのが
「【改訂版】 池田大作が表に出ない理由はいったい…。」でした。
池田大作についてあれこれ憶測が呼んでいるけど、あり得る可能性として痴ほう症が出てきた。
また、創価学会最高幹部らに人権侵害・不法行為を訴えられた希望様こと高倉良一氏のブログ、
裁判の経緯について少々触れました。
アクセスが多いことは、それだけに関心が高いことであるし、
これからも裁判の動向にチェックしなければならない。
高倉良一氏のブログ「白バラ通信 パンドラの箱」はコチラ→http://wrpandora.blog.shinobi.jp/

ブログアクセスランキングも200位台を行ったり来たりです。

また、ツイッターでは足立区で94位だそうで。
もうちょっとした有名人?
いや、すでに知られているだろう。
なにせ創価学会の中では仏敵の中の仏敵と罵っているし、
新興宗教の間でも「危険人物」とされているようだから…。
いやいや、暁よりも親が聖教新聞や学会本部に抗議の手紙を出しているからだろう。
(そして完全に着信拒否される…)
それくらい色々な意味で注目されている竜眼寺家です。

ようやくクリストファー・ノーラン監督の『インセプション』を見ました。
夢といえども、覚めてもまた夢の中…。
夢と現実の区別とは何だろうかと、興味深く心ゆくまで楽しめました。
卒論においても夢を題材にします。
その為に心理学の本や精神科医の本を買って読んでいます。
西洋では欲求の表れとして夢を解釈していますが、
東洋においては吉兆の占いや予言として表れることが多い感じがします。
しかし、渡辺謙のハリウッドの立ち位置って…。

最近は本ばかり読んでいましたが、映画を見たら無性に他のを見たくなり始めて
勉強に集中できそうもなく、負のスパイラルに陥りそう…。

この時期になると北海道出身バンドのZONEの歌
「secret base 〜君がくれたもの〜」を思い出す。
そしてそれが今年の八月に完全復活ではないが一カ月限定で活動されます。

ZONEといったらコレって感じですね。

また「一雫」も好きです。


一番つらかった時期にZONEが大活躍していたんだよねぇ。
同じ北海道出身の親しさだけでなく、歌詞の内容にも慰められ、
何とか不登校から抜け出せました。
ZONEの歌を聴くたびに、人生を凝縮した中学の青春を顧みて、今を後悔してないか立ち止まり、
そしてまた一歩を踏み出すっと。


ということで、お開きです。


P.S.
「ブログ記事下広告還元」によるポイント340p(340円)を、義援金として募金させていただきました。
ありがとうございます。
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『立正安国論』 序 其の参 [立正安国論]

3.11が起きてから、なかなか記事にする機会が無くなってしまったが、
しかしここで諦めてしまっては亡くなられた方に大変申し訳なく思い、
いま生きている私たちが何をすべきなのかを考えた時、
言わずもがな、日本のみならず世界で大きな変革が起きている。
その大いなる歴史のうねりの中心に立つのは、いったい誰だろうか?
それは能動的に活動する人たちである。


過去の記事

「~序 其の壱」http://ryugenji-novel11olo1.blog.so-net.ne.jp/2011-02-25
「~序 其の弐」http://ryugenji-novel11olo1.blog.so-net.ne.jp/2011-03-05-2



 『立正安国論』の構成は十問九答となっている。主人と客との問答形式で、まず正法に迷っている客が質問を発し、これに正法を持(たも)つ主人が答えを示す。次第に災難の由来、仏法の正邪、仏法と世間の関係、災難解決の方途等の奥義が明かされていくのである。
 第二十六世日寛上人はこの主人と客の問答形式について、
  「当(まさ)に知るべし、賓主の問答を仮立(けりゅう)したまう所以は愚者をして解(げ)し易(やす)からしめんが為なり」(文段七頁)
と仰せられ、無知の人々に深義を理解せしめていくためには、問答形式がきわめて有効な手段であるというのである。
 これは折伏にも通用し、相手の質問をよく聞いて疑問に答えていくことに当てはめられるだろう。巷の新興宗教は勧誘を控えめに、その代わりアンケートと称して通行人を呼び止めているのが増えている(ここでは統一協会を例にする)。一見何でもないアンケートだが、重要なのはその内容ではなく、キッカケとして通行人をさり気なく宗教に引き込もうとする事だ。
 そのアンケートの内容は、前回の記事でも載せたが、まったくもって平凡な、小学生ならだれでも書ける稚拙なものであった。宗教と言うよりも、ただ道徳の域を出ないエセ新興宗教なのだが、哀れなことに、自分の同じくらいの若い人がその信仰に精を出している。
先日友人から話を聞いたのだが、彼らは集団で生活し、自分の自由の時間は寝る時以外にないという。その宗教について誤りを指摘すると、信者は何となく中途半端にしか返答できなく、リーダー格らしき人物がやってきては一点張り。ただ信者自身は、その宗教についてかなり懐疑的であった、と。
 あなたは幸せですかと聞けば、まだ幸せの途中ですと答え、また、宗教は結局同じ目的だから、別に自分の好きなように信心してもいいじゃないと言う。それを友人は、例え同じ目的でも、それにはまず目的へ向かう手段や質の問題が生じる。例えば車で利用するとしよう。その車が安全で性能が良ければそれに越したことはないが、しかし欠陥のある部品車を利用すれば、途中事故に遭う可能性がある。あるいは安全点検の基準に達していなければ、いつ何時に事故に遭うか分からない。ブレーキペダルが壊れていれば、当然事故に遭う確率は増してくる。それと同様に、宗教といえどもその中には高低があり、正邪も厳然とある。それを無視して「自分の好き嫌い」で、外見が立派でも欠陥品があったら大変危険ではないか。
 話はだいぶ反れてしまったが、いかに日本人が宗教を安易に選んでいるか痛感させられる。

 本書における主人・客については、歴史の観点では客を時の実権者・最明寺入道こと前執権・北条時頼であり、主人は紛れなく日蓮大聖人である。また一往は、客は正法を知らぬ邪宗・謗法の大衆、主人とは正法を受持する大聖人の門流に他ならない。さらに再往をいえば、われわれ一切衆生は悉く迷える客であり、その迷妄を破してご教導あそばされる御本仏・日蓮大聖人こそ唯一の主であると拝さなければならない。
 『産湯相承事』に、
 「日蓮、天上天下・一切衆生の主君なり、父母なり、師匠なり」(御書一七一〇頁)
との御金言を、創価学会をはじめ日蓮宗等の宗派はよくよく拝すべきである。

 構成は十問九答となり、

 第一段 災難の来由(らいゆ)
 第二段 災難の証拠
 第三段 誹謗正法の由(よし)
 第四段 まさしく一凶の所帰(しょき)を明かす
 第五段 倭漢の例を出だす
 第六段 勘状の奏否
 第七段 施(せ)を止(とど)めて命を断つ
 第八段 斬罪(ざんざい)の用否
 第九段 疑いを断じて信を生ず
 第十段 正に帰して領納

に分けることができる。先ほども十問九答と記したように、最後の客の問いのみで主人の答えはないが、それは最後にいたり、ついに客が主人の説に信伏し、捨邪帰正を誓ったが故に、客の言葉はそのまま主人の意に一致し、主人の答えをあらためて必要としないためである。

 以上、『立正安国論』の序を終える事とする。次回から本文に添って考察を行う。

タグ:立正安国論
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 [本]





前世療法2 ― 米国精神科医が挑んだ、時を越えたいやし

前世療法2 ― 米国精神科医が挑んだ、時を越えたいやし

  • 作者: ブライアン・L. ワイス
  • 出版社/メーカー: PHP研究所
  • 発売日: 1993/08
  • メディア: 単行本



源氏に愛された女たち (講談社プラスアルファ文庫)

源氏に愛された女たち (講談社プラスアルファ文庫)

  • 作者: 瀬戸内 寂聴
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 1993/09
  • メディア: 文庫



法医学ノート (中公文庫 (R・32))

法医学ノート (中公文庫 (R・32))

  • 作者: 古畑 種基
  • 出版社/メーカー: 中央公論新社
  • 発売日: 2006/10
  • メディア: 文庫




卒論とはあんまり関係ないけど、しかし精神的なものや女性の視点の源氏とは何かを考えた時、
直感で買ってきました。
『法医学ノート』は全く別だけど…。
まあいろんな本を読んで『源氏物語』を考察してみたいです。

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つれづれと [独言]

最近の暁は「相談コーナー」っぽいイベントが続出し、
いろいろな悩みを聞いてあげて解決させるのが専ら多いこの頃。
恋の悩みから社会人の悩みまで…。
心理カウンセリングの方が、もしかして向いているのか!?(ありえないけどねw)
とにかく「話し上手は聞き上手」とも言われるように、やっぱり人の話を心から聞くことが、
それが相手にも伝わり安心できるんだろうね。
だからと言って、悪用してはいけないけど。

もう最終回の時期になり、『神のみぞ知るセカイⅡ』も放送終了してしまった。
いつ第三期を放送するのか知らないけど、やっと本題に入ってきた感じですね。
今回はハクアが一番好きでした。
出番が少なかったけど、良い印象を残してくれました。
あれはフィクションだから良いんだよね。
現実は現実なりに、その人の良さを見ます。
現実と仮想の中をどう行き渡るか、それが問題だな。(笑)
妄想し始めると、なかなか現実に戻る事ができない。
そして、どういうわけか本アニメはギャルゲーよりもOOに見えてしまう。
もう、オレ様は壊れだしたんだな…って今更始まったわけではないか!
とにかく、一つの楽しみは減ってしまったと。

ギャルゲーに修羅場を描いたらどうだろう?
それこそ禁忌だけど、想像すると何か面白い。
現実にあっては辛いことばかりだけど…。

ギャルゲーって全くやったことないですね。
それよりも、自分の頭の中で創作・構築して文章化させたら安上がりだから
(+漢字の勉強にもなるし、何よりも内容・要点をまとめることができる)、
けっこう良いトレーニングになるんだよね。
王道パターンのRPG(テイルズなど)なら買ってプレイするけど…。

現実の恋か二次元の恋が良いか聞かれたら、たぶん答えない。
恋は実に抽象的であって、「本物」は希な存在であるから。
その点に関しては、現実も二次元も差はないと思っている。
こんなこと言ったら頭がおかしいと思われるだろうけど、
考えてみれば、この世は無常である。
何一つ変わらないものなんて世間では存在しない。
しかし、事象がそのまま事実であって真実である。
「何いってるんだ、こいつは!?」と叱られるだろうけど、実際はそういうものではないか。
手に掴めそうで、掴めない。
届きそうでも、なかなか届かない。
分かっているつもりだけど、実は分かち合うことができない。
そのもどかしさが、恋の醍醐味ではないか。

という事で、そろそろ切り上げます。ではでは。
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【改訂版】 池田大作が表に出ない理由はいったい…。 [創価学会へ]

もう池田大作が表に現れなくなってから、一年と一カ月くらい経つ。
巷では「死亡説」がささやかれたり、
また大震災の後で学会員らが池田に対して不満を爆発させたこともあった。
今さらだが、創価学会の命運は「風前の灯」状態であり、
しかし「窮鼠(きゅうそ)猫を嚙む」状態でもある。

また国立香川大学教授の高倉良一氏が、創価学会最高幹部らから
人権侵害・不法行為を受けたとして東京地裁に提訴した裁判が起きている(5月10日現在)。
高倉氏は長年、夫婦で学会活動に従事していたが、
学会の指導および池田大作の言動に疑問を抱き、創価学会の在り方について、
夫人と意見の対立を見るようになった。
そこで高倉氏が、夫人に理解してもらいたいと願い、
創価学会の問題点を列挙した日記を渡したのだが、その日記が学会本部に渡ってしまったのだ。
高倉氏は、学会最高幹部らの
「創価学会の内部情報を漏らした反逆者であると断定し、創価新報に日記を掲載して、仏敵として
人間として存続できないように追い詰めるキャンペーンを行う。また高松の創価学会員らが、
高倉を何らかの方法で殺すと言っている」
などという意向を伝えられて強迫され、さらには、創価学会の主導によって離婚訴訟が提起された、
として提訴に踏み切ったという。
問題は、個人のプライバシーとして保護されるべき日記を勝手に閲覧され、
それをもとに長時間の査問を受け、心身ともに危険にさらされることを告知され、
離婚まで組織に主導されたとすれば、重大な人権侵害となる。

以下は、高倉氏のブログの引用である。
------------------
私は、人間の幸福を阻む「究極の悪」と戦うために立ち上がることを宣言します。

「究極の悪」とは一言で述べるならば、人間の心を操作して考える力を奪い去り、人間を自己の欲望を満たすための道具として動かす人々ではないかと思います。

私は、「究極の悪」を倒すために、「無限の悪」になろうと思います。

本来、善と悪は、いわばコインの裏表のような関係ではないかと思います。自らに悪の要素がないと考え、他者の悪を糾弾するならば足元を救われてしまうことでしょう。

「無限の悪」は「無限の善」に通じると思います。しかし、「究極の悪」は「偽りの善」と同義ではないかと思います。

「究極の悪」と「無限の悪」との差は紙一重ではないでしょうか。その違いは、自らの欲望をコントロールできるか否かだけではないかと思います。私は、精進を重ねようと決意しています。

私は、国家悪、社会悪と戦っておられる方々と連帯すべく、闘いを開始します。このブログをご覧になられた皆さん、一人ひとりの人間を大切にする社会を構築すべく力を合わせましょう。
-------------------(ブログはこちら→http://wrpandora.blog.shinobi.jp/
この文章を読むと、ニーチェの『ツァラトゥストラはかく語りき』の有名な一節、
  「怪物と闘う者は、その過程で自分自身も怪物になることがないよう、気をつけねばならない。深淵をのぞきこむとき、その深淵もこちらを見つめているのだ」
を思い浮かべてしまう。

「一念三千」の語があるように、我々衆生の心には一切の境地を兼ね備えたものを具わっている。
つまり「善悪一如」であり、平たく言えば「表裏一体」である。
しかし重要なのは、いったい何を、一切の勝れた本尊と教義を人生に指針あるいは信仰とし、
それを実行して安穏な境涯を切り開いていくか、である。
創価学会を相手に裁判を起こした勇気は称賛に値します。
今後も注視すべきことであり、いかに創価学会の体質、
特に幹部連中の閉塞的かつ自己チューで保身に走っているかを、国民は知らなければいけない。
6月20日に電話会議システムで裁判を行われたらしく、次回は7月19日から行われるそうだ。

また興味深いものがある。
--------------
権力悪との闘いシリーズ その5
先日、元大阪高検公安部長で、「市民連帯の会」の代表である三井環氏から、下記のメールが届きましたので、ご紹介させて頂きます。

【布川事件】

今日は。三井環です。
布川事件において再審無罪判決がでました。
この事件は被告人2名が犯人だと認定しうる客観的証拠は皆無な事件です。
犯行現場には2名の指紋も毛髪等も存在しなかったのです。
ところが、別件で逮捕され脅迫拷問を加えられ虚偽自白を2名ともしたのです。
その虚偽自白を唯一の証拠として無期懲役が確定しました。
虚偽自白の録音テープが存在しますが都合の悪い部分を修正しているとの事です。
取り調べの全面可視化の法案が成立しておれば虚偽自白をすることもなかったでしょう。
従って2名は起訴されることもなかったのです。
えん罪を防ぐには早急に全面可視化法案の成立を急がなければなりません。
ところが、特捜事件のみを可視化する動きがありますが、全ての事件の可視化がぜひ必要です。
29年(仮釈放)も刑務所に収容された2名はいくら無罪になろうとも人生終わったものです。君もえん罪被害者になるかも知れません。他人事ではありません。
それなのに検事、裁判官は何んの責任もとろうとしません。
「市民連帯の会」代表三井環は布川事件等えん罪被害者とも連帯していくつもりです。
皆さん方の御協力、御支援をお願いします。
---------------
本ブログでも、「黒い手帖」裁判について記事にしたことがあるが、
えん罪、また証拠をでっち上げての裁判闘争の体質が、創価学会の手口と似ていることに気づく。
創価学会がそれを規範にしたのか、それとも先行的に行ってきたかは知らないが、
相手を貶めようと証拠を改ざんし、法廷に持ち込むことは法治国家への冒涜ではないだろうか。

また「内閣不信任案」においても不自然な節がある。
それはどう考えても、創価学会が大謗法の輩である事を国民から目を背けさせるための
稚拙なパフォーマンスだったとしか思えない。
創価学会が盛んに「(創価学会の)広宣流布は間近だから、国家は安穏になる」と叫んでも、
一向に国家が安穏になるばかりか、ますます混迷を極め、
政治をストップさせ、被災者・被災地を救うよりも、政権奪還を目標にしている。
政治とは一体何だろうか。
それについてド素人ではあるが、せめて無闇に非難するのではなく、
「これとこれの法案は重要であるから協力するけど、
被災者の方の対応を迅速に進めるためにはこうした方が良い、
指揮系統をみっちりと綿密に連絡が行き届けるように一本化し、
原子力の今後の在り方について国民も参加できるようにアンケートを取ってみよう」
等うんぬんと、今は与野党関係なくお互いが補完し合える場が必要なのではないか。
政治のニュースを見るたびに、まるで周りが火事であるのに
「私が上なので皆を指導する」「いや、俺の方が頭が良いのでオレに従え」
みたいな、幼稚でバカで駄々をこねて指導権を握ろうとしている。
そんな人たちを前に誰が任せられようか。

このように思うと、高倉氏が起こされた重大な裁判を世に周知されないために、 公明党が国民の目から背けるために「内閣不信任案」等を自民党と共に提出したと考えてもやむを得ない。 それが創価学会のお得意な陽動作戦であり、過去に何度も国民を欺いてきた。
国民は政治パフォーマンスに踊らされることなく、ありのままの奥にある事を類推していただきたい。
もうパフォーマンスも方便も必要ありません!
この裁判が今後の創価学会の行方を左右されるかもしれません。
国民も高倉氏が起こされた裁判に目を向けてください。
いかに創価学会が嘘ででっち上げて高倉氏を貶めようとしているか、よく分かります。

そして裁判でご多忙の高倉氏から、もったいなくもコメントを頂きました。
本裁判について一人でも多くの方が行き渡れるように努める次第であります。

そして、池田大作が表に現れない理由として、驚くべき話が入った。
なんと、池田大作は痴ほう症だと言うのだ!
その言葉は今では信じられなく、昔のことばかり口にするそうだ。
「なんでお前らはお山(大石寺)に参詣しないんだ!?」
これを学会員が聞いたら、「今まであんなにお山に行くなと言ったのはなんだったのですか?」
と深い疑問を抱き、創価学会が破門されてから学会員らを騙し続けたことに目が覚める。
(いや、とうの昔から学会幹部らは学会員らを騙し続けているが…)
こうなれば裁判沙汰が連続して起こるだろうし、学会員から集めたお金で暮らしてきた
最高幹部にとっては致命的だ。
だから、池田大作を世間に出させないために封じ込めていると言う。
もしこれが本当であれば、焦点は池田大作からその側近幹部へと必然的に変わり、
責め糺さなくてはならない。


そして、かつて池田大作や「創価新報」などが指導していた言葉を列挙するとしよう。

  「仏・法・僧の「三宝」を敬い、供養申し上げることは信徒としての根本である。仏宝とは御本仏日蓮大聖人、法宝とは南無妙法蓮華経すなわち本門戒壇の大御本尊であられ、僧宝とは第二祖日興上人の御事であられる。そして南無妙法蓮華経の大法は、第三祖日目上人、御歴代の御法主上人へと受け継がれ、現在では御当代御法主日顕上人猊下(当時)に御相承なされている。本門戒壇の大御本尊を信じ、仏祖三宝尊への報恩感謝が、信心の根本なのである」(『広布と人生を語る』第六巻一九九頁)

  「その根本道場が、一閻浮提総与の本門戒壇の大御本尊まします多宝富士大日蓮華山大石寺であり、その御座主が御法主日顕上人猊下であられる。この日蓮正宗の信徒として、御法主日顕上人猊下の御説法を拝しつつ、永遠にわたる人類平和のために、正法を基調として、個人の幸福と世界の平和を結ぶ文化、平和の基盤を営々と築いていくところに創価学会の使命がある」(『広布と人生を語る』第一巻一四六頁)

  「或る人は利口気にいう。布教に、ラジオを使うべきだ、テレビを使用すべきだ―――と。何と、浅墓(あさはか)な言であろうか。俗にいう、PRなど、学会には、絶対に必要ないのだ。それこそ、多くの新興宗教の取るべき、悪質な企業宗教の手段にほかならない。正法は、断じて法を下げるような方法は取らない。取る必要がないのである」(『人間革命』第二巻一一七頁)

  「宗祖大聖人の御内証を二祖日興上人を経て、代々の御法主上人猊下に瀉瓶(しゃびょう)して末法万年の未来へ誤りなく伝承する金口嫡々・唯授一人の血脈こそは、戒壇の大御本尊と共に、日蓮正宗の教義、信仰の根本中の根本であり、命脈であることは論をまたない。これは日蓮正宗の信徒であるならば、誰でも知っていることである」(『創価新報』昭和五八年二月二日付)

  「よく信心の血脈を問題にする者がいる。生死一大事血脈抄(五一五頁)に『信心の血脈なくんば法華経を持(たも)つとも無益なり』とある文をもって、信心さえあればよいとする立論である。誰でも自由に継承できるなどというのはこれだ。(中略)
  有名無実の信心をふりまわして、付嘱相承を否定するは、総別の二義に迷惑し、師弟相対の深義に暗く自ら混乱を好む仕わざではないか」(『大日蓮華』昭和四一年九月・一八四号三五頁「誤れる日蓮主義を破す」佐久間昇論文)


まだまだ幾らでも証拠を挙げることができるが、ここまでにするとしよう。
明らかに、いま創価学会が指導している事と相反するし、かつての面影すらない。
今回の東日本大震災で多くの犠牲者(避難区域で放置されたままの方)と、
今も消息不明の方がおり、また放射線汚染の懸念が続いている。
そして原発事故によって日本は世界からハッキリとした責任・態度を迫られています。
本当に創価学会が正しい信仰であれば、大震災でも比較的被害が少ないはずであり、
福島第一原発の事故も起きなかったでしょう。
しかし現実は違います。
今回の大震災によってあらゆる宗教が義援金を競うように集めましたが、
そして創価学会がそのトップにあると報道されていましたが、
それですべてが解決すると言うことではありません。
世界のあらゆる大災害・不幸の根源は、
世の人々が間違った宗教を信じているが故に起きてしまうもので、
その教えを捨てて正しい教えに帰依する以外に、解決する方法はないのです。

皮肉なことに、池田大作は痴ほう症によって過去の輝きを思い出すことになった。
そうすると心の用(はたら)きは、本当に不思議なもので、
恐らく穢れに穢れ切ったので、その苦しみが命の奥深くから叫んだのだろうか。
はたまた、無間地獄に恐れをなして改心したのだろうか…。

もう創価学会に手をこまねく時間はない。
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そしてバトン [ブログ]

ぶーとむさんからバトンを受け取っちゃいました!

大学行くまでに何とか答えてみようっと。


あなたの好きなものは、なあに?

■色  黒、赤、オレンジ、あとは白かな。
■季節  春か秋か悩むところですが…秋で。

■年中行事  とにかく古典文学と宗教・哲学について、そして作品を完成させたい。
■教科  歴史!
■音楽  主にサントラ

■言葉  他でもない君へ
映画  あり過ぎて分からない!?
雑誌  あー、論文ばっかりで…。「月刊 国語と国文学」(って雑誌じゃないし)
■漫画  ハガレン、神のみ、デッドマン、でも最近は時間がなくて…。(ToT)

スポーツ  バドでもテニスでも。
■植物  今はアジサイが見ごろですね。(白山付近は)
■国  もちろん、日本。けど、ローマへ行きたい。
■触り心地  さらさら
■動物  犬でも猫でも
ブランド  極秘
■休日の過ごしかた  ひたすら本(学術論文や大先輩の書物など)を読むか、何とか…。
■人  熱が入ると話が止まらない、暑苦しい奴と思えば、意外と冷めている奴。(笑)
■場所  自分の部屋で引きこもり、大学では図書館で閉じこもり、外へ出れば人間観察。(苦笑)
■言われたい台詞  …さ、さあな。秘密だ!
■お菓子  和スイーツから洋菓子まで何でも食う。
■生き方  我が道をゆく
■匂い  柑橘系の香り
ゲーム  テイルズなりFFなり、
キャラクター  リタっちが一番好きですねぇ。あのOOガハッ
■回したい人  あとはぼちぼちと…。


では、大学へ行ってきます。

タグ:バトン
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最近の記事って… [独言]

『源氏物語』になってしまうと、何でこんなに熱くなってしまうのでしょうかね。(笑)
しかも暁の独善的な恋愛価値観に冷める方もおいででは…[あせあせ(飛び散る汗)]

まあ恋愛はそれぞれ違うわけだし、正しいと思った事をすればいいのかな。
ただ、個人的に大きなトラウマを抱えているので、あまり恋愛に対して良い思いはありません。
全くというわけではないけど。

もう創価学会についての記事を書いたから夜が明けてしまった…。
一睡もしてないし、今日は機関紙の編集会議だし。(苦笑)
いま04:08分かぁ。


なんか良いネタないかなァァァァアアアァァァァァァァアアァァ?
と叫んだところで何も起きない。
思い出すは小・中学の頃のとんだ恋バナ。
これは何度もブログに載せてるから別に良いよな………?
けど、人生の大きな転換期であったから話せずにはいられないような…。

まあいいや。
オレ様は、どういうわけか小さい頃から女好きだった。
というか、自然と女子が暁に声をかけていたからか。
それで母が自分の子どもだと知らずに
「だれ?女子に囲まれている男の子は?」
といった言葉は、今でも覚えている。(笑)
まあ、あの頃はまだ無邪気で良かったよな…たぶん。

おまけに年上も好みだったから大変なわけよ。
あの時は確か5歳かそこらで、女子大生のことが好きだったからね(初恋の時期は全く判らない)。
どんだけ離れているんだよ、と今では笑い話になるけど、当時としてはかなり真剣だったと思う。
また幼馴染に関してもそうであって、暁が引っ越すまでは同じ幼稚園に通い、
そして小学・中学になって再会することになる。
まあそんなに離れているわけじゃなかったから、再会することができたのでしょうね。

一番記憶に残っているのが、やっぱり小学5年生の頃に転校していった女の子。
たぶん付き合った中で最も頂点で、最も底辺にあえいでいたからかもしれない。
彼女がもし創価学会員でなければ、いや脱会させていたら、もっと変わっていたかもしれない。
人生をやり直したいとすれば、きっとこの時期を選ぶだろう。
恋の苦みを身に沁みて実感した…。


  古(いにしえ)に恋ふる鳥かも
    弓絃葉(ゆづるは)の御井の上より鳴き渡り行く

  昔を恋うる鳥だろうか
    弓絃葉の御井の上を鳴きながら渡りすぎていくことよ。
    (『万葉集』巻二一一一番 弓削(ゆげ)の皇子)

  古(いにしえ)に恋ふらむ鳥は霍公鳥(ほととぎす)
    けだしや鳴きしわが念(おも)へる如(ごと)

  あなたが「昔を恋う」という鳥は霍公鳥でしょう。
    恐らくは鳴いたでありましょう。私が昔を恋しく思うように。
    (同一一二番 額田王)


  心こそうたてにくけれ染めざらば
    うつろふことも惜しからましや

  心というものこそ困ったもので、憎らしい。恋の思いに染めなければ、
    心変わりを残念に思うこともないだろうに。
    (『古今集』恋歌五 よみ人知らず)


まあ直接上記の歌と心境とは関係ないのだけれども、
なんとなく気にいった和歌だ。(笑)
ちょうど別れたのが、今ぐらいの季節だった…。

ちょっとまて、何でオレ様が哀愁に浸らなきゃいけないんだ!?
最近は恋愛モノが多くて参ってしまう。

自分が恋愛を遠ざけた理由はほかにもあるが、今日はこの辺までにしておこう。
もう朝の5時だ。
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徒然になるまま… [独言]

ようやく四年生のゼミ発表も終わりが近づいてきました。
昨日は六年生の方がゼミ発表に来られなかったので、
K教授の「六条院」または平安時代の寝殿造りについて話があったわけだけど、
今さら思った事だけど、なぜか男子はよく『源氏物語』を好んでいて、
女子はそうではない様子だった…(とある質問によって、そう考えてしまった)。
(ゼミ 男5:女4 計9人)

まあ、ほんの昔までは、『源氏物語』や『伊勢物語』を女子に読ませるのは不適切だった。
確かに好色とは言え、かなり強引な場面がある。
権力が物を言うのか、男性社会の裏の世界が描かれ、ほとんどの恋は不幸に終わっている。
いや、そうならなければならない要求があったのだろう。
今の時代の恋は比較的自由ではあるが、自由であるが故に何かを忘れてしまっている気がする。
しかもケータイという超便利な道具があるので、メール一通で失恋など日常茶飯事だ。

暁が恋多き時代があった頃は、ケータイがまだ普及されていない萌芽期であったので、
だいたい面と面を向かって、またはキューピットを使って遠回しに、
あるいはラブレターで告白するのが主流だった。
モテ期は人生で3回あると世間は騒いでいるが、本当に綿密に調査した結果なのだろうか、
といつも疑問に思う。
縁とは結局、過去から今に、そして未来へと紡ぎ出すものであって、
あらかじめ決められているというわけではない。
個々に積んできた因が縁を触れて結果が生じるので、前触れもなく突然にやってくるものではない。
モテたいのであれば、それなりの因を積めばいい。
ただ、どういうわけか、意識するよりも意識しないほうが、かえってモテてしまうもの。
あまり欲を出さないほうがよさそうだ。

昔の恋は命がけの恋か、若さゆえの情熱的な恋か、はたまた幼馴染との恋など、
恐らくは限定的な所で生じるものであっただろう。
いま、この日本で命がけの恋は存在するだろうか(あるかもしれない…)。
恋というものはとてつもなく恐ろしいもので、モテると同時に、
それ相応の、もしくはそれ以上の激しい嫉妬や修羅場がある。
かといって、イバラの道をかいくぐった瞬間に、急激に冷めてしまう恋もある。
一喜一憂して経験を積み重ねていき、「結婚」という現実に対処する術を磨く。
これが理想的なのかは知らないけど、自分自身としては理想と現実を上手にわたっていきたいが…。
(都合により省略)

『源氏物語』は、「もののあはれ」であると発見した本居宣長はすごい。
ある物事・事象に触発されて、それを「ああ哀れなことや」等と心からしみじみと想う感性。
それまで江戸に浸透していた「儒教思想」を打ち破り、
「もののあはれ」を声高らかに宣言した。
それが人生の重要な出来事であり一大事であり、左右されるものであった。
それ以来、「もののあはれ」を超える『源氏物語』の斬新な発見は現れていない。
『源氏物語』を研究する人たちの目的には、こういった高い目標を目指している。

個人的に『源氏物語』は恋愛バイブルだと思っている。
(それ以外にも、当時の女性のあらゆる面での処世術が記されている)
思春期の真っただ中で『源氏物語』に出会い、恋の悩みの処世術として応用したこともある。(笑)
まったく普遍的な恋の様相も、いまは形がだいぶ変わり、中身も徐々に蝕まれつつある。
巷では、恋を履き違えて不純を純真とし、純真を「田舎者」と嘲笑う。
これを『古今和歌集』が編まれた目的の奥にある思想に従えば、
今の時代は濁りきった世の中である、と酷評するであろう。

恋とは一体何だろうか…。
やはり語源の通り、乞い想う・願う(と同時にその苦しみ)ことが恋なのかもしれない。
成就されない内が花だ……。
K教授も
結婚式が一番のピークですからねぇ、そこから急降下するか、
もしくは徐々に徐々に下り坂になるかですよ、現実は。夢は程々にね、ハハハッ」
と、まだ20代前半の若者に夢を見させない、ありのままの現実を話していました。(笑)
『栄華物語』「みはてぬ夢」
夢を見続ける事が重要だ、と前回の発表者が言っていたことが、
哀れな事に印象が薄くなってしまった…(別物だろうけれども)。

卒論なんだけど、『源氏物語』は幅広く奥深いので、なかなか研究対象の焦点が合いません。
まあ、ぼちぼちとマイペースに考察・研究しますわ。
ではでは。

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『源氏物語』「夕顔」巻 二 [大学]

それからというものの、前の「空蝉」巻の続きと六条の話が入り、
夕顔の話になるのは仲秋の頃からであった。
「帚木三帖」と言われるようにこの物語は連続している。
かの有名な「雨夜の品定め(女性読者では、やや不評かもしれぬが)」
がある二番目の「帚木」から、伊予介の後妻である空蝉との逢瀬と拒絶、
そして六条辺りの女性(六条御息所)との話が編まれ、最後に夕顔が登場する。
この流れが意外と重要であるし、「雨夜の品定め」と源氏の理想とが記されている。

五条に住む夕顔について、源氏は惟光の情報を聞くのだが、
どうやら事情があって世間から隠れるようにしているようで、なかなか素性を知ることができない。
ただ、高貴な人の車が通るのを女童が見て、
「右近の君こそ、まづ物見たまへ。 中将殿こそ、これより 渡りたまひぬれ」
(右近の君さん、早く御覧なさい。中将殿が、ここをお通り過ぎになってしまいます)
と言うので、五条に住む女性は、雨夜の品定めで頭の中将が話した「常夏の女」
ではないかと、源氏は推測するのだ。
ここで、光源氏の対抗心が微かながら見えてくる。

惟光の報告は垣間見であるから、田代まさしの得意な所かもしれないが、
ず~と覗いていたんでしょうね。
よくガキがAVコーナーが見たくて、棚と棚の間にある隙間から覗いているような、
そんなイメージを勝手に持っているんだけど、チラリズムの興奮がそこにある。(笑)
そして源氏も、垣間見を望む。

そういうわけで、「雨夜の品定め」で左馬頭が貶んだ下の品と判定したのを、
あえて源氏は、下の品の女でも予想外の面白さをもって、その判定を覆したい思いもあっただろう。
若さゆえの過ちというべきか否か…。

「女、さしてその人と 尋ね出でたまはねば、我も名のりをしたまはで、いとわりなく やつれたまひつつ、 例ならず下り立ちありきたまふは、 おろかに思されぬなるべし」
(女を、はっきり誰とお確かめになれないので、ご自分も名乗りをなさらず、ひどくむやみに粗末な身なりをなさっては、いつもと違って直接に身を入れてお通いになるのは、並々ならぬご執心なのであろう)
と思い、惟光は自分の馬を源氏に差し出して、いざ五条の女のもとへ。
もちろん誰にも知られないように、夕顔の花を折りにいった随身と小侍を連れていく。

この後に名も知らぬ男と女が愛欲を重ねたのでしょうかね。(笑)
基本的にそのような描写は『源氏物語』にはないので、読者の妄想に委ねられる(わけないか)。

「女も、いとあやしく心得ぬ心地のみして、 御使に人を添へ、 暁の道をうかがはせ、御在処見せむと尋ぬれど、そこはことなく まどはしつつ、 さすがに、あはれに見ではえあるまじく、 この人の御心にかかりたれば、 便なく軽々しきことと、 思ほし返しわびつつ、いとしばしばおはします」

(女方も、とても不審に合点のゆかない気ばかりがして、お文使いに跡を付けさせたり、払暁の道を尾行させ、お住まいを現すだろうと追跡するが、どこと分からなく晦ましして、そうは言っても、かわいく逢わないではいられず、この女がお心に掛かっているので、不都合で軽々しい行為だと、反省してはお困りながらも、とても頻繁にお通いになる)

もちろん女房や随身が知りあっていれば成せることで、
見知らぬ人をいきなり家に招くことはないだろう。
ただ素性を知らない相手であるので、源氏も自らの素性を隠し尾行をまいていく。
お互いの名を知らないこそ、ロマンが展開するのでしょうか…。
まあ、かつて名を呼ぶことは禁忌であったのだけれども……。

  「古代の日本では、人の口から外に向けて発せられたコトバが、現実のコトガラとなってあらわれ、現実世界を左右すると考えられていた。(中略)事物の名と実体との同一観に根ざすタブー(禁忌)はいたるところに見いだせる。(中略)たとえば、女性の名が秘され、女が男に軽々と名を名乗らなかったところにもそれはうかがえる。本当の名を知られることは、相手に所有されることを意味していた」(櫻井満『万葉集を知る事典』東京出版2000年)

そういうわけで、言霊信仰って畏怖されるものであるし、
言葉を決して軽々しく使ってはいけないと強く思うところである。

「あやしきまで、 今朝のほど、昼間の隔ても、おぼつかなくなど、 思ひわづらはれたまへば」
(不思議なまでに、今朝の間、昼間の逢わないでいる間も、逢いたく気が気でないなどと、お思い悩みになるので)
とあるように、私見ではあるが、白楽天の「長恨歌」が遠回しに使われているように思える。
もちろん、そこに当てはまるというわけではないが、
一人の女性によって源氏の心が乱れる様と葛藤とが、その延長線上にあると感じるのである。

「いとことさらめきて、御装束をもやつれたる 狩の御衣をたてまつり、さまを変へ、 顔をもほの見せたまはず、夜深きほどに、 人をしづめて出で入りなどしたまへば、 昔ありけむものの変化めきて、 うたて思ひ嘆かるれど、人の 御けはひ、はた、 手さぐりもしるべきわざなりければ、「 誰ればかりにかはあらむ。なほこの好き者の し出でつるわざなめり」と、 大夫を疑ひながら、 せめてつれなく知らず顔にて、 かけて思ひよらぬさまに、 たゆまずあざれありけば、いかなることにかと心得がたく、女方もあやしうやう違ひたる もの思ひをなむしける」

(とてもわざとらしくして、ご装束も粗末な狩衣をお召しになり、姿を変え、顔も少しもお見せにならず、深夜ごろに、人の寝静まるのを待ってお出入りなどなさるので、昔あったという変化の者じみて、気味悪く嘆息されるが、男性のご様子は、そうは言うものの、手触りでも分かることができたので、「いったい、どなたであろうか。やはりこの好色人が手引きして始まったことらしい」と、大夫を疑ってみるが、つとめて何くわぬ顔を装って、まったく知らない様子に、せっせと色恋に励んでいるので、どのようなことかとわけが分からず、女の方も不思議な一風変わった物思いをするのであった)

この辺が個人的に面白く思える。
源氏が顔を覆面して粗末なものを着ているわけだから、
女性にとっては本当に不気味だったと思う。(爆)
今でいうなら、スーパースターが夜中に帽子サングラスとマスクをして
女性のもとへ通うところを、某パパラッチがシャッターチャンスばかりに撮る所であろう。
しかし、別の見方をすれば、源氏の変わった性的嗜好がそこにあると思うんだよね。(笑)

「昔ありけむものの変化」とは、三輪山の神の、神婚説話によると注釈書にはあり、
やはり現実ではない、非現実的な恋に酔いしれているのではないか。
しかし、その三輪山神婚説話でも最後には悲劇が訪れるように、
またその他にも暗示がされて、物語の結末を暗示しているのであろう。

eiri019.gif


てなわけで、八月十五日(仲秋の名月)の逢瀬では、
隣の家の話し声や庶民の暮らしの一部始終を源氏は体感する。
上級の源氏にとってはまさに下級は別世界であり、
雷よりもうるさく聞こえる唐臼の音を知らない源氏は、不思議な音だと聞きとる。
たいていの女性であれば恥ずかしいどころだが、夕顔は尚おっとりとしていて愛らしい。
女性の皆さんはこのテクニックを取得すれば、玉の輿も夢ではないかも(保証しないけどね…)。

「あやしくやう変はりて、世馴れたる人ともおぼえねば、人の思はむ所も え憚りたまはで、 右近を召し出でて、 随身を召させたまひて、 御車引き入れさせたまふ。 このある人びとも、かかる御心ざしのおろかならぬを見知れば、 おぼめかしながら、頼みかけきこえたり。明け方も近うなりにけり。鶏の声などは聞こえで、 御嶽精進にやあらむ、ただ翁びたる声に ぬかづくぞ聞こゆる。起ち居のけはひ、堪へがたげに行ふ。いとあはれに、「朝の露に異ならぬ世を、何を貧る身の祈りにか」と、聞きたまふ。「南無当来導師」 とぞ拝むなる。「かれ、聞きたまへ。この世とのみは思はざりけり」と、 あはれがりたまひて、

  「優婆塞が行ふ道をしるべにて
    来む世も深き契り違ふな」

長生殿の古き例はゆゆしくて、翼を交さむとは引きかへて、 弥勒の世をかねたまふ。 行く先の御頼め、いとこちたし。

 「前の世の契り知らるる身の憂さに
行く末かねて頼みがたさよ」

かやうの筋なども、さるは、心もとなかめり。

(夜明けも近くなってしまった。鶏の声などは聞こえないで、御嶽精進であろうか、ただ老人めいた声で礼拝するのが聞こえる。立ったり座ったりの様子、難儀そうに勤行する。たいそうしみじみと、「朝の露と違わないはかないこの世を、何を欲張りわが身の利益を祈るのだろうか」と、お聞きになる。「南無当来導師、弥勒菩薩」と言って拝んでいるようだ。あれを、お聞きなさい。この世だけとは思っていないのだね」と、しみじみと感じられて、


  優婆塞が勤行しているのを道しるべにして
    来世にも深い約束に背かないで下さい

長生殿の昔の例は縁起が悪いので、翼を交そうとは言わずに、弥勒菩薩が出現する未来までの愛を約束なさる。そのような長いお約束とは、まことに大げさである。

  「前世の宿縁の拙さが身につまされるので
    来世まではとても頼りかねます」

このような返歌のし方なども、実のところ、心細いようである)


ここでは、紛れなく「長恨歌」が見られ、

「七月七日長生殿 夜半無人私語時
在天願作比翼鳥 在地願爲連理枝」
‐それは七月七日の長生殿、誰もいない真夜中に親しく語り合った時の言葉だった。
‐天にあっては願わくは比翼の鳥となり、地にあっては願わくは連理の枝となりましょう、と。

を引いている。しかし、これは不吉(楊貴妃が殺された)なので、
それをとっさに弥勒菩薩が釈尊入滅後56億7千万年に出現する
その未来まで愛を契ろうというのである。
本当に、かなり大げさな和歌である。(笑)
が、後の悲劇の予感を感じせざるを得ない。

それに対し、夕顔の返した歌は控えめ過ぎているというよりも、
高貴な身分と分かりつつ、まだ若い男性の頼りなさ・期待した分の失望感というのが
あるのかもしれない。

ただ、夕顔自身についての心情を表わすのが少なく、
なかなか具体的に(形など)つかめる事が難しい女性である。
それゆえミステリアスな女性として多くの男性から支持を受けているのかも。(笑)
まあ、あくまで男の「理想の女性」ですから。

K教授もドナルド・キーン先生も、夕顔が好きと宣言していました!
え、オレ様は?
さあ…どうなんでしょう。(笑)
コロコロ変わる性格なので………。

次回は、いよいよ「なにがしの院」に入ります。



P.S.
オレ様の親愛なる後輩へ☆

 又いつか良い人が見つかるさ。恋はまだまだ始まったばかりだぞ[exclamation]


 色見えでうつろふものは
  世の人の心の花にぞありける

 (色に現れずにあせてしまうものは、
  世の中の人の心という花なのであった)
                     小野小町

 今は悲しくて胸が張り裂けそうな思いだろうけど、恋は矛盾が付き物さ。
 この歌は難しいかもしれない。でも何となく解るだろうし、慰めにもなるだろう。
 そして恋に敗れても、友達としての関係が築けたら大したもんだよ。
 残りの大学生活を思いっきり楽しめーッ[わーい(嬉しい顔)]
 (後悔ばかりしたオレ様なので…)
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事情により、別の記事を [ブログ]

卒論がいよいよ重要な局面を迎えている最中、とあるコメントが投稿されていた。
時間が制約されるこの時期であるが、しかし「彼が怨」の罪を犯さない為にも、
ここに記しておくことにする。

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僕は ブッタ キリストについて 勉強したいなぁ。
日蓮さんの宗教の方は ホウボウについて よくわかっているのかなぁ?
そう教えられているだけの人もいますね。
あまり 有名でない噂ですが 日蓮の臨終は ひどい死に方だという説もあるんですよね。どれが 正しいのかなぁ?
浅識の僕が こんな事書いて すいません。もし 疑い 迷いが 生じたなら~ この場合 ゴメンなのかなぁ?(質問というか~)日蓮の宗教
悪因 善因 悪業 善業 その結果が 未来の世界
宿命が どれくらい 関係してくるかなぁ。
健康老化病気 政治と生活保護 (生老病死~
なんか 日本 やばくないかなぁ~ 大丈夫かなぁ~
未来が 人が 少しでも 安心できるといいなぁ~
宗教研究会(名前検討中
by 村石太マン (2011-06-16 09:53)
--------------------

>日蓮の臨終は ひどい死に方だという説

具体的な根拠を挙げよ。
根も葉もないうわさに流されるのは、たいへんな悪業と知るべきである。
日蓮大聖人の御入滅に、大地が震動し、初冬にもかかわらず桜が咲き誇ったと伝えられている。
この妙瑞は、御本仏日蓮大聖人の入滅を宇宙法界の生命が惜しみ奉ると同時に、
本仏の入滅は滅に非ざる滅であり、滅に即して常住の妙相を示すという深甚の意義を持つのである。
これは、血脈がなければ直ちに理解できるものではない。

>浅識の僕が こんな事書いて すいません。もし 疑い 迷いが 生じたなら~ この場合 ゴメンなのかなぁ?

ハッキリ言ってゴメンでは、すまされません。
浅識は結局、謗法に繋がるものであるし、人々を惑わす業因だから不幸の原因をつくる。
『法華文句記』には
  「若脳乱者頭破七分‐(若し脳乱する者は頭七分に破れ)‐」
とあり、天台大師の『法華文句』を注釈した、中国の天台宗・中興の祖・妙楽大師は
妙法信受の者(ここでは大聖人の仏法を正しく信受する者)を悩ます輩への報いとして、
非常に厳しい誡めをお示しあそばされている。

また古来から言霊信仰があるように、下手に軽々しく言葉にしないよう注意願いたい。
その口から出たものが、そっくりそのまま自分に返ってくるのは、歴史が証明している。

謗法の罪の恐ろしさを、以下に列挙する。

1、眼・耳・鼻・口等の諸器官が正常に働かず、いわゆる奇形や不具・身体障害といった姿を現ずる。 
2、自分が誠を込めて真実を語っても、周囲の人々が信じてくれなくなる。
3、口より悪臭を漂わせ、しばしば金縛りにあったり幽霊・物怪のたぐいを見るようになる。
4、経済的に貧苦のどん底となり、他人に低賃金で酷使される立場となる。
5、体に様々な病気を持ち、やせ細ってしまう。
6、頼るべき人がなく、また人に親しく接していっても、相手はそれほど自分のことを心に置いてくれない。
7、所得や収入があっても、次々に支出してしまって生活苦に陥る。
8、もし、自ら医者となって病人を治療すれば、医療ミスを犯して、かえって他の病気を引き起こしたり、死亡せしめてしまう。
9、また、もし自分が病気になったときには、これを、よく治療できる医者がなく、たとえ特効薬を服用したとしても、ますます病状が悪化したり、他の病気を併発してしまう。
10、周囲の人々に裏切られたり、また、他人に金品や財産をだまし取られ、あるいは盗み取られる。以上のような不幸が、我が身に、次々と起こってくる。
11、常に悩み苦しみにさいなまれたり、足ることを知らぬ貪欲な境涯となったり、あるいは、動物のように本能だけで行動する人格・境涯となってしまう。
12、貧苦に陥り、痛々しいまでに貧相な姿となる。
13、身体に、水胞や瘡蓋、白斑や出来物などの病が起こり、次第に拡がっていく。
14、常に身体から悪臭を発散させる体質となったり、垢や汚れを落とすこともできない生活状態となる。
15、自分勝手な妄想や曲がった見方・考え方に捉われ、そのために、腹立たしさや苦しみを自ら増していく。
16、婬欲が盛んとなり、動物のごとき行いとなる。(以上、法華経譬喩品第三から)
17、癩病等の業病にかかる。
18、歯肉の病気等により、歯がすき欠けていく。
19、いわゆる三つ口や、口曲がり、鼻筋がなくなる等の、悪相が現われる。
20、手足の骨の病により、通常の生活や歩行が困難となる。
21、左右の眼球の位置が狂い、やぶ睨みとなる。
22、身体から悪臭を放ち、膿の混じった血が出るような皮膚病となる。
23、腹水がたまり、命が短くなる。
24、その他、諸々の悪重病が起こってくる。(以上、法華経普賢品第二十八から)

また他の経典にも、謗法の恐ろしさを説かれている。

○心が荒んで、常に煩悩にさいなまれたり、人を殺したり、いさかいばかりの日々となったりする。また、他人をののしって無実の罪を被せたり、被せられたりする。
○人としての良識に外れた行いが甚だしく、また貪欲で怒りっぽく、筋道のわからぬ人格となり、親を親とも思わない、畜生のような恩知らずになってしまう。
○短命になったり、虚弱体質になったりして、毎日に覇気も喜びもなく、薄幸な日々を送って苦悩する。
○一に経済苦、二に諍い、三に病苦。その他、諸々の災厄が次々と身に起こり、親戚にも背かれる。
○頭が破れて七分になる。物理的に頭部や脳を損傷して非業の死を遂げる、あるいは心が常に不安と苦しみにさいなまれて通常の生活ができなくなる、精神分裂(統合失調症)やノイロ-ゼ等の異常をきたす等々。

以上が、謗法の結果によるものである。

>悪因 善因 悪業 善業 その結果が 未来の世界
宿命が どれくらい 関係してくる

それは、末法に生きるわれわれ荒凡夫には、理解しがたいものであるが、
しかし、有名な『心地観経』の文に、
  「過去の因を見んと欲せば、現在の果を見よ。未来の果を見んと欲せば、現在の因を見よ」
とあるように、まずはわれわれが善業を積まなければ、輝ける未来はないのである。
いま苦しいのは、日本中が謗法を犯した原因とその結果であり、
速やかに謗法を捨てて、正しい仏法に帰依しなければ、
今度こそ、日本は壊滅してしまうかもしれない。

以下は、とあるサイトの引用となる。

それにしても3000年も前に説かれたことなのに、現在この地球上で生きている人々に、見事に当てはまっていることにただただ驚くばかりです。法華経譬喩品に説かれている謗法の罪は
「若し人信ぜずして此の經を毀謗せば則ち一切世間の佛種を断ぜん」
として善因・善業がことごとく尽きてしまいます。その結果、
「其の人命終して阿鼻獄に入らん一劫を具足して劫尽きなば更生れん是の如く展転して無数劫に至らん」
と無間地獄に墜ちることを説いています。
ようやくこの地獄から抜け出られたとしても、
「地獄より出でては當に畜生に墜つべし」
と謗法の罪により、畜生の胎内に五陰(色・受・想・行・識の5つの要素)が入ってしまい、
「畜生として誕生後は常に飢渇に困しんで骨肉枯かつせん楚毒を受け死しては瓦石を被らん身に常に重きを負い諸の杖捶を加えられん死し已って更に蠎身を受けん」
云云。

謗法を犯してからは、今まで積んできた功徳がすべて失われ、
想像を絶する無間地獄に堕ちては永遠に続く苦痛を強いられる。
ようやく業が軽くなっても、次からは畜生の身として自由の利かない、
もしかしたら、食用としてと殺される動物に生まれ変わってしまうかもしれない。

かと言って、未来ばかりを憂えては意味がない。
まずは、いま現在の地獄の有様を変えるために、自分自身から変えなければならない。
故に、『立正安国論』は、
  「汝早く信仰の寸心を改めて速やかに実乗の一善に帰せよ。然れば則ち三界は皆仏国なり、仏国其れ衰へんや。十方は悉く宝土なり、宝土何ぞ壊れんや。国に衰微無く土に破壊無くんば身は是安全にして、心は是禅定ならん。此の詞此の言信ずべく崇むべし」
と仰せられているのである。

あなたが本当に日本の未来を案じているのであれば、
速やかにその考えを捨てて大聖人の仏法に帰依せよ。
されば、仏も神も歓喜して功徳を賜るであろう。


P.S.
なるべく文章はくだけないように、読みやすくしていただきたい。
まだ知りあって間もないわけであるし、ある程度マナーを守りましょう。

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『源氏物語』「夕顔」巻 一 [大学]

えー、ゼミ発表が終わったものの、
なかなか時間を割いてブログ更新&皆様へのご訪問する時間が無いです…。
申し訳ないです。



ところで皆さんは、「夕顔」はどのようなイメージを持たれていますか?
気品がある雰囲気?
それとも俗っぽいような感じ?

『源氏物語』を読んでいる方なら、あるいは夕顔の花を見たこと
または育てたことがある方ならお分かりですよね、たぶん。




































yugao.jpg



日国(日本国語大辞典)では、

ウリ科のつる性一年草。アフリカアジアの熱帯地方の原産で、日本では古くから栽培されている。(中略)夏、先の五裂した径五~十センチメートルの白い合弁花を開く。花は夕方開き、翌朝しぼむのでアサガオやヒルガオに対してこの名がある。果実はほぼ球形(フクベ)のものから長円形(ナガユウガオ)のものまであり、多系。若い果実は食べられ、また干瓢(かんぴょう)をつくったり、陰干にして、炭取り、花器、置物などにしたりする。(後略)

とあり、どちらかと言えば俗っぽいものです。(笑)
花も地味に小さいし、葉っぱに隠れてしまいそうな、でも愛嬌がある。
しかし、和歌の世界、また文学の世界で「夕顔」を題材にしたものは、
『枕草子』『源氏物語』以前には取り上げていません。

その『枕草子』には、

「夕顔は、花のかたちも朝顔に似て、言ひ続けたるにいとをかしかりぬべき花の姿に、実のありさまこそ、いとくちをしけれ。などて、さはた生ひいでけむ、ぬかづきといふ物のやうにこそあれかし。されど、なほ夕顔といふ名ばかりは、をかし」

とのように論評し、夕顔は朝顔に似て、それ(アサガオやヒルガオ)を続けて言うような、しゃれた花の姿なのに、あの実といったら非常に残念だ、なんで,あんなに不格好に育ち過ぎてしまったのだろう。せめてでも、ホオズキぐらいであってほしいのに。とはいってもやはり,夕顔という名前だけはすてきだ、と。
貴族からの印象はこのような認識であったようで、
夕顔は鄙・俗の世界に生きるあわれな植物と思われる。

それを紫式部は『源氏物語』の巻名に「夕顔」と載せた。
今風で「かんぴょう」というタイトルを付けたとも言えようか。(爆)
その度胸と満ち満ちた自信はすごい。

さて、『源氏物語』の「夕顔」巻を見てみましょうか。

Heiankyo_map.png


源氏が暮らしているのは二条院で、緑色の線が二条大路になります。
二条院はその二条大路の右側の大内裏に近くにある。
夏の頃、光源氏が六条辺りの女(六条御息所)に行くことから物語が始まりますが、
その途中、源氏の乳母(めのと・部下の惟光の母)が重病だという事を偶然思い出し、
五条大路にある乳母の家に行くことになった。

しかし、事前に連絡がなかったので、慌てて正門を開けようとするのだが、
長く訪問が無かったせいか、門の鍵がなかなか見つからないのである。
その間に源氏はむさ苦しい五条大路の道端で、車の中で待つことになったわけだが、
まだ17歳の源氏、好奇心旺盛な年ごろとあって外の様子を覗く。
すると、乳母の家の隣に新しげな檜垣を囲った家があり、
板塀みたいなものに、青々としたつる草が気持ちよさそうに這いまつわっていて、
「白き花ぞ、 おのれひとり笑みの眉開けたる」と、
白い花だけが自分ひとり微笑んで咲いているのだ。

eiri016.gif


という事は、時刻はだいたい夕方くらいであろう。
まさに光ある昼から、光のない夜へと変わる異界へのいざないの象徴だ。

源氏はこの白い花が何かと尋ねると、随身が答える。

「かの白く咲けるをなむ、夕顔と申しはべる。
花の名は 人めきて、かうあやしき 垣根になむ咲きはべりける」
あの白く咲いている花を、夕顔と申します。
人間のような名でございまして、このような賎しい垣根に咲くものでございます、と答える。
ここにも、夕顔についての貴族から見る見解があり、また随身の差別的な感じも取れそうだ。

源氏は「口惜しの花の契りや。一房折りて参れ」と哀れにと思い、
随身に花を折って来させようとする。
随身は門から入って承諾を得てから花を取ったのだろう、
そして、しゃれた遣戸口から可愛らしい女の子が来て、
「これに置きて参らせよ。枝も 情けなげなめる花を」
これに載せて上げなさいね、枝も風情なさそうな花ですものと、
たいそう香を薫きしめた白い扇を渡す。

そこでやっと鍵が見つかって正門が開き、源氏は乳母の見舞いをすることができた。
その後で源氏は帰る前に、先ほどの白い花が載った扇を見ると、
主人の移り香が深く染み込んでおり、扇には和歌が書かれ
それが美しい筆遣いであったのだ。

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心あてにそれかとぞ見る白露の
  光そへたる夕顔の花

当て推量にあなた様でしょうかと思います
  白露の光を加えて美しい夕顔の花は

この和歌の解説については諸説あって難しいんだけれども、
光は、やはり源氏であるし、夕顔は言うまでもないだろう。
普通、和歌は男性から詠むものであるけれども、
ここはその逆の、女性から和歌を贈ってきている。
これを根拠に、夕顔は娼婦性のある女性だという学者がいる。
しかし清水婦久子氏によれば、これは先ほどの源氏の白い花に対する単なる答えだという。
その方が、個人的にも納得がいく。

源氏は隣の家の女主人にたいへん興味深くなり、
惟光は例の好色癖が出たなと呆れて、適当に答えるくだりは面白い。
ぶっきらぼうに答える惟光に、源氏は笑うように、
また単なる好色だけでないというように、この扇には尋ねなければならない理由があると返す。
そこで惟光は仕方なく隣の家の管理人に話を聞き、
どうやら地方官の名だけをもらっている家で、主人は地方に下向し、
妻は若く派手好きで、その姉妹などが宮仕え人として行き来している、と聞く。
源氏は「それでは、その宮仕人のようだ。得意顔になれなれしく詠みかけてきたものよ」
と微妙に期待はずれなのではないかと不安になりつつ、
しかし、自分を光源氏だとみて詠んだ歌を蔑ろにするわけにもいかなかった。

寄りてこそそれかとも見めたそかれに
  ほのぼの見つる花の夕顔

もっと近寄って誰ともはっきり見たらどうでしょう
  黄昏時にぼんやりと見えた花の夕顔を

源氏は光であるので、白い花の夕顔は遠くても近くてもおぼろげに見えてしまう。
この儚さがまさに夕顔の象徴であるだろうし、
今後の源氏と夕顔の心の隔たりを表わす描写なのかもしれない。


次回いつ更新するか分からないけど、続く。(笑)

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想像絶する光景 目の当たりに [体験談]

 宣行寺支部 Y.Tさん
 (埼玉地方部総会より)


 このたびの東日本大震災により、実家のある宮城県にて私が目の当たりにした現状を報告させていただきます。
 昨年は御住職・村上節道御尊師御指導のもと、宣行寺支部折伏目標二百八十人を上回って、三百十二人を達成させていただくことができました。その流れを引き継いで今年に入り、一月は三十七人、二月は三十三人、三月には三十三人と折伏が進んでいます。
 私のチームでは、チーム長はじめ他の班員さんと共に折伏・育成に励む中、一月には鳥海さん、二月には私自身が以前から御祈念していた加藤さんを折伏でき、御授戒が叶いました。
 しかし、動きの大半はチーム長と鳥海さんと私のほぼ三人によるものでした。御住職様より「動きが小さすぎる。もっと大きく全体を巻き込むためには、どんどん育成が必要です」と、常に御指導をいただいていました。
 今年に入り「チームの底上げしかない!」とチーム長自ら唱題を二倍に増やし、チーム全体の育成にどんどん携わっていきました。その結果、山中さんのご主人を、福田さんがお孫さんを折伏されました。

  震源地は宮城県沖!両親は!?

 あの三月十一日、大震災の日も私はチーム長と育成に動いていて、千住新橋を通過中に橋の両側に並ぶ街灯が大きく揺れるのを見て、「強風にしてはずいぶん揺れているね」と呟(つぶや)いた瞬間、さらに強烈な揺れが襲ってきました。車が飛び跳ね、私の頭は車の天井に数回ぶつかりました。
 阪神大震災の真ッ二つに割れた橋の映像が頭をよぎり、ハンドルを取られ体中を打ち付けながらも、橋のたもとにたどり着きました。急いでつけた車中のテレビ画面に「震源地宮城県沖マグニチュード八.八」を見た時、気絶しそうになりました。

 私は海岸から六キロ離れた宮城県名取市出身で、実家には両親が住んでいます。帰郷の際には必ず、いつ発生してもおかしくない宮城県沖地震に備えて備蓄品と避難所を再確認していました。大震災前日も強い地震が立て続けに起きていたため、くれぐれも注意するよう電話で話したばかりでした。実家の辺りの震度は六強でした。

 前代未聞の大きさに震えが止まりませんでした。通信は完全に絶たれ、極度の不安の中、実家に帰る交通手段のことばかり頭を巡らせていました。
 しばらくすると、今度は津波警報が出ていました。自宅に戻りテレビをつけると、全局で名取市上空からの映像を映し出していました。胸騒ぎをしながらしばらく見ていると、津波が名取川と合流してものすごい勢いで内陸に向かっています。見慣れた田園風景が濁流に飲み込まれていくシーンを見ながら、「流れの延長線上には実家があるのに」と愕然(がくぜん)したのを今でも覚えています。
 自宅付近まで入り込んだ津波は両親の生活圏内でもあったので、最悪のケースをよぎりました。

 その時、以前ある先輩から「多美ちゃんの心の中には仏様がいないね。肝心な時に仏様がいない。万事仏様にお任せすればいいのよ」と、私自身の宿業で行き詰まった時にいただいた励ましを思い出され、この時も当てはまるような気がしました。
 両親の所属する広安寺支部は、昨年に続き本年も既に折伏目標を達成し御法主上人猊下への御目通りを果した直後でした。唱題をする中で、いくら自分の両親だからといって仏様のお使いをさせていただいている者に最悪のケースを当てはめるとは言語道断と、御本尊様よりお叱りを受けたような気がしました。しかも御報恩御講を明日に控えているのに動員・育成を完全に忘れ、私事にとらわれたことを反省しました。そして、例え両親の安否が判らなくても御講に集中すると決めました。
 嬉しいことにその日の夜、両親の無事を確認できました。父より「御本尊様も傷一つない。お寺の書類等も無事だった」との連絡に、逆に私の方が励まされた形となりました。
 三月の御報恩御講には大勢の参詣動員もでき、その夜、講中の方々のご協力と支えにより、実家に向かいました。道中は不思議と渋滞もなく、地割れで陥没(かんぼつ)した道路も修復されていて八時間で実家に着け、仏様の功徳を感じずにはいれませんでした。

  被災地の過酷さ

 被災地はテレビで見る映像より過酷なものでした。賑(にぎ)わっていた町並みもすべてシャッターが降り、自衛隊の車やヘリコプターが飛び交(か)い、人々は食料と水を求めてリュックを背負いながら歩いていました。開いている店は一軒もなく、ガソリンスタンドもすべて閉鎖されていました。ときどき降る雪が寒さと現実の厳しさをより増していました。

 幸いにも実家の建物は無事で、被災地とは思えないほど不思議と衣食住に守られていました。しかし、一歩町に出ると、日を追って増えていく遺体の数。私の知人、同級生を含め、数名の方が津波の犠牲となりました。実家の近くが遺体安置所だったため、見るも無残な光景を目の当たりにすることになりました。
 次々に入ってくる自衛隊のトラックから、まるで流れ作業のように運び出される棺(ひつぎ)は、遺体安置所となったボーリング場の施設に運ばれていきました。その数は名取市だけで五百体を超えると言われていました。

 安置所の外はまさに地獄絵でした。地面にしゃがみ込んで叫び続ける母親、隣には小さな棺を抱えたご主人らしき人が寄り添っていました。泣き腫(は)らした顔で気丈に棺を運ぶ若者。三陸から行方不明者を探しに南下してきた家族。さらに南の安置所に向かっていく光景。軽トラックに棺を運んだり、普通乗用車のシートを倒して何とか棺を入れようとしている家族。その光景を容赦なく撮影している海外の報道機関。

  「牛馬巷(ちまた)に斃(たお)れ、骸骨(がいこつ)路(みち)に充(み)てり。死を招くの輩(ともがら)既に大半に超え、之を悲しまざるの族(やから)敢へて一人も無し」

 思わず『立正安国論』の一節を呟いていました。この惨劇の主人公たちと御題目を唱えたい衝動に駆られました。
 
  「世皆(みな)正に背き人悉(ことごと)く悪に帰す。故に善神国を捨てゝ相(あい)去り、聖人所を辞して還らず。是(ここ)を以て魔来たり鬼(き)来たり、災(さい)起こり難(なん)起こる」

 この震災で私の知人であった多くの創価学会員、念仏宗の方が犠牲になりました。ある方は地震後、津波警報を聞き両親を車に乗せ、逃げる途中で家族全員濁流に巻き込まれ、数日後に全員の遺体が見つかったそうです。またある方は、地震後すぐに車で逃げたのですが渋滞に遭い、そのまま波にさらわれて、二週間後に百キロ先で遺体が見つかったそうです。彼女は日蓮正宗のお寺に来寺したものの、御授戒を受けることができず入信できませんでした。また、ある方は自動車教習所の教官をしており、地震直後に五台のバスで生徒全員を乗せて逃げましたが、結局全員が亡くなったそうです。

 謗法(※誹謗正法のこと)がなぜだめなのか、今までは知識の中でただ漠然と捉えているだけでした。しかし、自宅に御本尊様を御安置できているか否かで家の被害の明暗が分かれ、また、御授戒を受けるか否かで生死の明暗がはっきりした事実を、私は目の当たりにしました。流されてもおかしくない場所の家が残っていて、安全と思われる家が飲み込まれていたからです。
 ある信徒さん曰(いわ)く、「遠くから黄色いもやが見えた。それが津波と判り、間に合わないと思ったその瞬間、津波の速度が遅くなった」そうです。その結果、無事に逃げ切れたという話を聞きました。

  使命感じ帰路へ

 さらに災害の追い打ちをかけるように深刻な物資不足、特にガソリンには悩まされました。震災から一週間以上経過してもガソリン入荷の見通しが一切立たず、町の大きなスタンドでようやく二十リットル制限の、一日三百枚の整理券を求めて前日から徹夜して並ぶのです。
 実家の状態も一段落つきましたが、肝心のガソリンがなければ帰ることもできないと途方に暮れながら国道を走っていた時、ちょうどタンクローリーが出てきたスタンドを見つけ、まっしぐらに入っていきました。既に数台の車も待機している状態で、整理券をもらってホッとしたものの、この二十リットルを実家の車に補充するか悩みました。
 すると父から電話があり、ガソリンを満タンにできたと言うのです。私と同じ状況が父にも起きていました。「これは間違いなく仏様のお計らいだ、信行の上にやるべきことが待っているから帰りなさいと言われている」という気がしたので、その日の夜に帰路に着きました。

 後日、さっそく鳥海さんが有縁の方を連れて来られ、婦人部長さんを中心にチーム長と伊藤さんと皆で折伏に関わることができ、喜びの御授戒となりました。また、その後も二人折伏することができ、先月の折伏成果は七名となりました。
 チームみんなで異体同心の折伏・育成に取り組めた三月、この勢いをもって、これからも信行に励むことを決意して、私の発表とさせていただきます。



以上、東日本大震災の体験発表でしたが、思うに「法華経」とは「実践」であるとつくづく思う。
世の学者は「法華経」を「内容がまったく無い御経だ」と決めつけているが、
しかし、末法とは「(正法・像法の)戒律が失われた世の中」である。
いくら御経で修行の方法(写経や座禅など)が書かれ実践しても、
今の時代ではまったく意味をなさないのである。

「法華経」を拝すると、半ばに入っていよいよ究極の「真理」が説き明かされ、
さらに「法華経」を弘通・教化する者は大いなる功徳を得るとある。
つまり「法華経」を信じ修行する者は、必ず世の人々に仏の教えを説かなければ、
「修行」とは言えないのである。
「法華経」を拝するとそのほとんどが、「修行」という実践の内容とその功徳の絶大さ、
その由来を示している。

決して内容が無いわけではない、いや、それどころか、
あまりにも膨大すぎて一括りでつかむことが、末法に生きる我々には不可能なのだ。
なぜならば、「法華経」は「諸経の中に於(おい)て最も為(こ)れ甚深(じんじん)なり」
「諸経の中の王なり」「最も難信難解(なんしんなんげ)」
「而(しか)も此の経の中に於て法華最も第一なり」だからである。
いくら頭で理解しようとしても、それは不可能に近い。

「毒矢のたとえ」のように、頭でっかちに考えず、まずは「信」を取らなければ
毒に侵され苦しみ続けることになってしまう。
「今があればそれで良い」という安易な思考は大震災をもって崩された。
今こそ、私たちは「常識」を考え直し、惰性に流されないで安全な未来を築くべきではないか。
時間は待ってくれない。

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最近買った本 [本]

いよいよ卒論ということで、自分の分野を中心に買いそろえました。

考古学を知る事典

考古学を知る事典




古事記 (上) 全訳注 (講談社学術文庫 207)

古事記 (上) 全訳注 (講談社学術文庫 207)

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 1977/12/08
  • メディア: 文庫



古事記 (中) 全訳注 (講談社学術文庫 208)

古事記 (中) 全訳注 (講談社学術文庫 208)

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 1980/12/05
  • メディア: 文庫



古事記 (下) 全訳注 (講談社学術文庫 209)

古事記 (下) 全訳注 (講談社学術文庫 209)

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 1984/07/06
  • メディア: 文庫



日本書紀(上)全現代語訳 (講談社学術文庫)

日本書紀(上)全現代語訳 (講談社学術文庫)

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 1988/06/06
  • メディア: 文庫



日本書紀(下)全現代語訳 (講談社学術文庫)

日本書紀(下)全現代語訳 (講談社学術文庫)

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 1988/08/04
  • メディア: 文庫



堤中納言物語―付現代語訳 (角川文庫ソフィア)

堤中納言物語―付現代語訳 (角川文庫ソフィア)

  • 作者: 山岸 徳平
  • 出版社/メーカー: 角川書店
  • 発売日: 1963/12
  • メディア: 文庫



風土記 1 (講談社学術文庫 385)

風土記 1 (講談社学術文庫 385)

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 1979/12
  • メディア: 文庫



古本説話集〈上〉 (講談社学術文庫)

古本説話集〈上〉 (講談社学術文庫)

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2001/06
  • メディア: 文庫



アガメムノーン (岩波文庫)

アガメムノーン (岩波文庫)

  • 作者: アイスキュロス
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 1998/10/16
  • メディア: 文庫



以上。
卒論といえども、まずは作品を読まなければ意味がありません。
限られた時間で読破&掌握するのは大変ですが、それでも結構楽しくてたまりません。
ではでは。

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女性の業って… [独言]

ただいま、丑寅の時刻を過ぎました…。
いつも予約投稿ですみません[あせあせ(飛び散る汗)]
今ごろはゼミの時間なので、K教授にたっぷりとしごかれている頃かもしれませんねぇ。(笑)

最近はもっぱら韓国ドラマくらいしか見ていない。
フジテレビで放映している『逆転の女王』を欠かさず見ている。



内容紹介
チョン・ジュノ、キム・ナムジュ、パク・シフ主演!
結婚と仕事、ふたつの幸せを手に入れる為の手引書。
笑い、感動、涙あふれる痛快逆転サクセス・ラブ・ストーリー!!

ファン・テヒ(キム・ナムジュ)は仕事をバリバリこなすキャリア・ウーマン。
しかし、実は幸せな結婚を夢見て、彼氏のいる部下女子社員達をいじめる毎日。
そんなある日、完璧なルックスの新入社員ポン・ジュンス(チョン・ジュノ)が彼女の前に現れた!
テヒは恋に落ちるがそれは実は部下のペク・ヨジン(チェ・ジョンアン)の元彼だった…。
それを知らずジョンスと結婚するテヒ。
しかし新婚旅行から戻ったらなんとヨジンが自分の上司になっていた!
さらに、そこにジュンスの軍隊時代の後輩ク・ヨンシク(パク・シフ)が本部長として会社に来て・・・。


全部で31話くらいあるんだっけ?
単純に面白い。
っていうか、どういうわけか登場する女性に共感してしまう。
ああ、なんて女性の業はこんなにも悲しいんだろう
とつぶやいていたら、母が、
アンタ、男の癖に何を言ってるのよ!?『源氏物語』の読み過ぎじゃないの!!!
とツッコまれました。(笑)

そう、オレ様どうかしちゃってるのよ
白居易の「長恨歌」を読んでいると、
あれは玄宗ではなくて楊貴妃が「長恨」だったんだと実感して、
さらに『源氏物語』「宇治十帖」の最後の浮舟を思うと、
根は長く下ろされて苦しまなければならない辛さ、それが恨みに変わろうとしている、
だから薫と会うのを拒否したのだろうと、切なく思ったりします。

恋愛って恐ろしいものですよ、若いうちは!(爆)
若いから、苦しいとか悲しいとか、あるいは楽しいとか嬉しいとか敏感になるのだろうね。
年を取れば、現実の直面に余儀なくされて、熱も冷めてしまうでしょう。
甘い恋はないとK教授が言ってましたねぇ。ただモテる秘訣を聞いていたけど、
その秘訣が、過去の自分とそのまんまだったんだよね。(苦笑)
匂宮のような性格は確かにモテるのだろうけど、その後が怖いんだよね(経験済み)。
で教授は、
「もしも私がOOだったら、今ごろはもっと変わっていたでしょうね」
と悔恨(?)していました(まあ本心ではないだろうけど…)。
ただ、やはり『源氏物語』は恋愛の参考になると感じました。

年上の女性と年下の男性。
先日の「新婚さんいらっしゃい」でも登場していたけど、
まあ分からなくはない。(笑)
どこかでは甘えたいだろうし、顔を立ててくれるかもしれないし、
経験豊富だろうし(←良い意味ですよ)。
ポン・ジュンスも、そういった所に求めていたのかもしれない。
(ク・ヨンシクもか!?)
年下の女性だったら、従順な所がカワイイとか養ってあげたいとか、色々あるんでしょうね。
これの逆パターンは別のようですが…。

やっぱり韓国は演技も編集もうまいねっつうか、昔の日本のドラマを見ている気分だ。
今の日本のドラマはまだまだ迷走中なので、あまり親しみを感じられません…。
そして中国のドラマは、キッチリと笑いのツボを押さえているのでちょうどいい気分転換になる。
特に金庸の作品は単純明快で飽きない。


おっと、もう3時過ぎてしまったので、ここまでにしておこう。
ではでは。

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東京国立博物館 224 [東京国立博物館]

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「名所江戸百景・両ごく回向院元柳橋」 歌川広重
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「名所江戸百景・蒲田の梅園」 歌川広重
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映画批評 その327 『愛と死をみつめて』 [批評-映画]

純愛とは、一体なんだろうか?



登録情報
出演: 浜田光夫, 吉永小百合, 笠智衆, 原恵子, 内藤武敏
監督: 斉藤武市

商品の説明
Amazon.co.jp
浪人生の誠(浜田光夫)は入院した病院で道子(吉永小百合)と知り合い、お互いを意識するようになる。しかし誠が大学に入学して2年目、久々に再会したふたりだったが、道子の病状は思わしくなく、やがて彼女の病気が軟骨肉腫という難病であることがわかる。ふたりは文通を続けながら、お互いの思いを確かめあっていくのだが…。
実在の恋人同士の書簡集を原作に、斎藤武市監督がメガホンをとった純愛映画の国民的大ヒット作。若者たちの純粋な想いと、重苦しい死の影とが巧みに合わさって、その悲劇性はますばかり。ついには顔半分を切除されてしまうヒロインの姿は痛々しく、それでも画面からこちらを真摯に見据える吉永小百合の瞳には、ただただ圧倒されるのみである。(増當竜也)

内容(「キネマ旬報社」データベースより)
吉永小百合主演、不治の病に冒されながらも、ひたむきに生きる女性の姿が日本中の涙を誘った感動作。浪人生の誠は、入院先の病院で軟骨肉腫を患う道子と出会う。彼女の純真な姿に惹かれた誠は恋心を抱き、道子も誠の手紙によって勇気づけられていた。



ノンフィクションを映画化、あるいはドラマ化にあたると、
どうしても心諂う誰かさんが改悪するために、
命が安く語られてくだらない作品が次々と生まれる。
今のベストセラーは、どうやら愚人にウケが良いようだ(『もしドラ』など)。
自分はどちらかと言えば、ロングセラーの本を読み続けている(『伊勢物語』など)。

若いうちの死ほど、悲劇性が強まる。
しかし、それよりも生き様の方に注目すべきであろうか。
純情であるが故に、時に傷つけてしまう。
人と人が共に生きることは、一見何気ないようで、しかし難解な事でもある。
一番面倒で簡単ではないが、一番やりがいを見つけられることも確か。
特に若い人には大いなる原動力と大いなる葛藤があるが、それがやがて人生の糧となる。

本作品も古き良き時代であったが故に、高水準のクオリティで完成されている。
かつて創価学会もあのようにがんばっていたが、今では第六天の魔王の眷属でしかない。
時代はその人たちの価値観によって左右される。
果たして今の時代は高尚な思考の持ち主たちか、今さえあれば良いという思考停止の者たちか、
それとも野望のために国民を犠牲にして利益をむさぼる愚者たちか…。

今では文通などかなり時代遅れの感覚であろうが、しかし、趣向を凝らせば風流なものである。
『源氏物語』や『伊勢物語』、また『万葉集』を読んでいると羨ましく思える。
生の文章の方がその人の性格・感情が判るし、温かみがある。
プライベートでは、アナログな形で文章のやり取りをしてみたい。(笑)


評価は99点。

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子・孫に伝えたい護法の功徳 〝津波から救われた〟 [体験談]

法明寺支部 T.Hさん
静岡北地方部総会より)


 法明寺支部のT.Hと申します。このたびの東日本大震災に当たり、私の体験発表をさせていただきます。
 私は姉と兄、弟の四人兄弟です。皆それぞれの所帯を持って、宮城県気仙沼に住んでいます。私は縁あって富士宮市の方と結婚して富士宮に住んで四十年になります。三人の子どもも結婚して、皆御本尊様を持(たも)ち、幸せな家庭を築いています。兄は永らく外国航路の船長をしていましたが、今は退職して気仙沼で悠々自適の生活をしています。

 しかし、このたびの三月十一日の大地震と津波には本当に驚かされました。本日の話は、兄と弟のことです。
 弟は船を持っていますが、ちょうど漁を終えて、入港するときに大地震が発生したそうです。とっさに「このままでは他の船や岸壁にぶつかって壊れてしまう。不安な面もあるけれど、船を守るためには沖に出るしかない」と判断したとのことです。

 以下は弟の語ったことです。


 「そうこうしている間にも、津波の前兆が感じられ、運を天に任せて沖に出ることになりました。思った通り天にも迫る勢いで津波が迫ってきて、もうだめかと思われるほど船は激しく揺さぶられ、何度も何度も波を被りました。
 
 ようやく沖に出ることができると、沖のほうは大きなうねりは続きましたが、どうにか船は安定しました。乗組員は皆、身心ともに疲れて、助かったという安心感で、しばらくは放心状態でした。一休みしてから、港へ帰ろうということになりました。

 港へ近づいてみると、津波で防波堤は壊れていました。さらに、沈んだ船や壊れたカキの養殖の筏(いかだ)などの残骸が重なっていて、とても入港できるような状態ではなかったので、石巻へ向かいました。石巻もたいへんな状態でしたが、自宅の家屋や家族が心配で早く帰りたい一心で、多くの残骸を避けながら、何とか港の端の方に船を着けて上陸しました。

 家へ帰るにも、汽車も走っていなければ車もないので、歩いて帰ることにしました。地崩れや地割れがひどく、地獄のような光景の中を歩き通しに歩いた空腹と疲れで、どこをどう通ったかも覚えていない状態でした。

 翌日、トラックが通りかかったので、大きく手を振って止め、乗せてもらうことにしました。乗せてもらえたときは『天の助け』だと思い、運転手を見ると何と隣の家の人でした。お陰で無事に家に帰りつくことができました」ということでした。


 そして兄の方は地震が来た時は、これは津波が来るぞと直感したそうです。ただ御本尊様を御護りすることだけを考えてお仏壇からむしり取るようにして御本尊様をつかみ、波にさらわれないよう自分の体にしばりつけて逃げたそうです。
 周りの家は流されてしまいましたが、兄の家は流されずに助かりました。二、三日後、避難所から戻って家を見ると、畳の上に湯呑が一つ落ちているだけだったそうです。電話の向こうの兄は、「御本尊様の御力って、本当にすごいぞ」と、御本尊様の不思議な御力に対する驚きと感謝で、ただただ興奮して話し続けるだけでした。

 私はそれを聞いていて、逃げるだけでもたいへんな中を、御本尊様をお護りした功徳で、家族も家も守られたのだと確信しました。
 テレビで皆さんもご覧になったように、大きな被害が出ている中で、このように無事で済んだことは不思議としか言いようがありません。私たち兄弟一同、子どもの時から日蓮正宗の信心をすることができたからこそ、この大震災の中でも御本尊様に守っていただけるのだと思いました。
 これからも、家族・兄弟・親戚一同が、このたびの教訓を胸に、まじめに信心に励んでまいります。

 さて、五月十五日は支部総登山(それぞれの菩提寺に所属する人々が総本山・大石寺へ参詣すること)です。家庭を持っている私の三人の子とその連れ合い、二人の孫も一緒です。まもなく三人目の孫が誕生しますので、十一月六日の支部総登山には十人で三代揃って登山いたします。そして子ども・孫にしっかりと法統相続し、信心の大切さを教えてまいります。私が子どもに残してあげる財産も名誉もありませんが、子ども・孫の一人ひとりが、それぞれの信心によって、御本尊様より身の福徳を戴けるように導くことが、私の使命と思って、がんばってまいります。



東日本大震災の体験発表を載せたところ、好評をいただきました。
それぞれの体験を読ませていただいた時は、
本当に言葉では表せないほどの感動をしました。
被害が少ない東京都に住む私たちが今できることは何かと考えたとき、
政治の迷走は、また右翼の活動を見ると呆れ返ることばかり。

いま、目の前にあることを目的とするのではなく、
今から未来永劫にいたるまで、絶対に幸福を壊すこともできない実践行動が必要ではないか。

『立正安国論』に曰く、
「汝早く信仰の寸心を改めて速やかに実乗の一善に帰せよ。然れば則ち三界は皆仏国なり、仏国其れ衰へんや。十方は悉く宝土なり、宝土何ぞ壊れんや。国に衰微無く土に破壊無くんば身は是安全にして、心は禅定ならん。此の詞此の言信ずべく崇むべし」

(あなたは、一刻も早く邪宗信仰の寸心を改めて、すみやかに法華実経の一善に帰依せよ。そうすれば、この世の中は皆、仏国となり、仏国は衰微することがないのである。また、十方はことごとく宝土となり、宝土は破壊されることがないのである。かくして、国に衰微なく、国土が破壊されることもなくなるならば、身はこれ安全となり、心はこれ安定するであろう。この言葉を信じ崇めるべきなのである)

明治維新・廃仏棄釈の故に仏教観は崩れ、民衆の、いわゆる在家が宗教を興して多くの宗派が分裂していった。つまり、自分の好きなように解釈し、経文に依らないで好き嫌いをしている。その結果、いい加減な教義が出て来たり、自己中心の考えに囚われたり、挙句の果てには周囲を巻き込んで凶悪犯罪に走らせる。
その姿を見て宗教に恐怖を覚え、無宗教者になり、道徳的には理解しても、不幸の根本の原因を解明することができなくなる。まことに負のスパイラルから抜けられないのが、いま現在の状況ではないだろうか。

そして、現在の不幸の原因を造っている創価学会・公明党を糺すのが、最も急務のことである。
あの政治の迷走の裏には、創価学会を相手に大学教授が裁判を起こし、現在進行中である。
国民を欺くための姦計であろう。
さらに、選挙の結果で自公勢力が再び活気を取り戻しつつある。
どんな形で、その天災・人災が降りかかるかは判らない。

今こそ、国民は周囲に惑わされないで、自らの意思で主体的に動く時なのかもしれない。
平成維新とでも言うべきであろうか。
いや、世界を革新するためにも、日本国民一人ひとりが思想・宗教観をリードすべきであろう。
世界を変えるために、まずは日本から変えていこうではないか!!

まだまだ若い私は、力の限り、周囲の方に熱く語っていくつもりだ。
その若さでもって、私が住む環境を変えていきたい。


タグ:体験発表
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とある大学の研究発表へ… [大学]

先日の日曜日、松戸の聖徳大学10号館にて、
比較研究の発表がありました。

もともとは、とある国立大学だったかな…
もう記憶が飛んでいるんだけど(笑)、そういう所で発表が行うはずだったんだよね。
けど、あの東日本大震災でその研究発表が延期、終いには中止となった。
まあ紆余曲折があって、今回の発表に何とか設けられることができた。

その比較研究で「異界」をキーワードに、「越境」を通して、
日本・中国ドイツの三か国の異界の違いと共通点を、それぞれ研究発表が行われ、
質疑応答でも、かなり良い刺激になりました。

なぜ参加したかと言えば、K教授が
「日本の古典文学における異界への越境とその仕掛け -『源氏物語』「夕顔」巻の場合-」
と題して発表があったからです。
それで、冷やかしに来ただけです(もちろん、冗談。あと実家からすぐ近くだったので)。

あっという間の2時間30分でしたね!
グスタフ・マーラーからハーメルンの笛吹き男、メフィストフェレス、
源氏物語、そして道教の神仙説までへと、幅広い世界に「ああ、こういう事があったのか」
と目を見張るものばかりでした。

それから、色々な大学からの質問や疑問、
あるいは反論があったりして、結構盛り上がっていました。

今週のゼミは、K教授に冷やかされそうだな…。^^;

しかし、やっぱり『源氏物語』はすごい!
京都という現実を舞台に、現実と異界との境界をうまく張り巡らせて描く悲恋に、
ただただ敬服するばかり。
この事について、いつか記事としてまとめてみたいと思います。

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家ごと流されても護られる [体験談]

ゼミの発表が終わったと思ったのに、今度は原稿が待っていました…。
この一週間で二ヵ月を終わらせたいと思うんだけど…無理かなァ。

では、お約束通り、東日本大震災で生還された体験談のお話を。




妙応院支部 S.Nさんの体験発表
岩手布教区広布推進会より)

皆さんこんにちは。
私は、数年前から更年期障害で体調を崩しておりました。三月十一日午後二時四十六分に突然大きな地震が起き、その後何やら遠くからゴォーゴォーという声が聞こえてまいりました。私は、更年期障害で耳鳴りがしたものだと呑気に構えて、茶碗など洗い物をしておりました。

実はそのゴォーゴォーという音は、高さ三十メートル以上、速さが時速百キロ超の勢いで押し迫ってきた津波の音だったのです。私は、洗い物をしながら耳鳴りではないことに気がつきました。窓の外を見ようと思ったその時、急に地面がドドドォーと揺れたので、とっさに仏壇の扉を閉め、揺れが収まるまで待とうと思いました。

その途端、二階の窓を突き破って私の横をザァーとものすごい勢いで津波が通っていたのです。もう私はだめかと思い、御本尊様を仏壇ごと抱きかかえ、御題目を必死に唱えておりました。御題目を唱えながら、今年「実践行動の年」に当たって、新年より一週間に二人ずつ一カ月で十人下種(※日蓮正宗の教えを周囲の人に話すこと)し、三月十一日の津波が来る前日も下種活動をさせていただいたことを思い出し、その活動をさせていただいたことのご報告と御礼を御本尊様に申し上げました。

その報告を終えた瞬間、私に津波が襲ってきました。必死に「南無妙法蓮華経」と叫んでいたことを覚えておりますが、その後どのようになったか全く判りません。ハッと気がついたとき、自分が一命を取り留め、生きているということが判りました。

そして玄関に濡れていない長靴があったので、その長靴を履きました。なぜかすぐそばに山があったので、御本尊様を抱いたまま何も考えずに山を歩いて避難していくことができました。途中、山の中のプレハブ小屋で作業員らしき人が暖を取っていたので、一緒にそこでしばらく暖まりました。そこにいた作業員の方は、後で御主管・稲用正福御尊師からお聞きしたのですが、つい先日お寺の物置を修理に来た大工さんだったそうです。そして私は、避難所の方に向かって歩いていきました。

その後落ち着いてからいろいろなことが判ってきました。住まいの一階部分の姑夫婦の住居は津波で全壊しました。私の住んでいた二階部分は、津波によってかなり離れた所まで流され、山の中腹から出ている大木に、二階部分が丸ごと乗っかっているではありませんか。
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その光景は、まるで御書の中に出てくる一眼の亀の浮木に値(あ)うかのようで(※深海に棲む亀が千年に一度しか海上に浮かぶことができず、眼が一つで手足が無い。おなかは鉄が焼けるように熱く、背中は雪山のように冷たい苦しみから逃れるため、海に浮かぶ自分にピッタリの浮木が無ければならない。が、身体が不自由で思うどおりに動けず、また型に合う浮木が有るかさえも希に等しい。人間に生まれ変わる難しさ、正しい仏法に巡り合う難しさを譬えている)、周辺の家は全壊して跡形もない状態の中、本当に御本尊様から護って戴いたとしか言いようがありませんでした。

そして家の中は、御書や折伏資料が床に落ちてはいたものの、ほとんど濡れておらず使える状態でした。家の中を見たとき、私は「今こそ折伏に立ち上がらなければ」と身震いを感じ、強い決意で胸がいっぱいになりました。

四月度の広布唱題会の砌(みぎり)、御法主日如上人猊下は、

 「今、大震災の復興へ向けて、各機関の方々、ボランティアの方々、国内のみならず、国外からも支援の手が差し伸べられていることは大いに評価すべきであり、賞賛に値する行為である事は間違いありません。
 しかしまた、さらに根本のところから、仏法の視点に立って、今、我々がなすべきことは何かといえば、私ども一人ひとりが『立正安国論』の御理想実現へ向けて、一人でも多くの人に、また一日も早く、一人ひとりの心田(しんでん)に妙法の仏種の植え、折伏を行じていくことが、今、なすべき最も大切なことであります」

と御指南あそばされ、『立正安国論』に示された大聖人様の御正意を体して、仏国土実現をめざして一切衆生救済の慈悲行たる折伏を行じていくのが、私たち本宗僧俗の大事な使命であると御教示されました。私たちは、ともすれば今回の震災という大きな魔に負けて愚痴が多く出てしまいかねません。でも、愚痴は一切の功徳善根を消します。真剣な御題目は一切を迷い、愚痴を打ち払い、罪障消滅の道を切り開いてくださいます。そして折伏をすることで罪障消滅できるものと私は思っております。

まだ祈りが弱く折伏がなかなか成就できませんが、御主管様の御指導のもと、必ずや折伏を成就することを、ここ得道寺の御宝前で固く決意し、私の震災体験発表とさせていただきます。

(※は私の判断で注にした)


思えば、今年は法然の800遠忌である(今年の一月二十五日)。
『立正安国論』では法然が開いた念仏は無間地獄に堕ちる原因であると説き、
かつ災害や飢饉、疫病等の根源的な元凶と喝破あそばされた。
要は現実そのものが地獄へと成り替わる。
それは震災直後から見ると、尚更そう感じせざるを得ない。
なぜ念仏が間違っているかは、これから研究する『立正安国論』で示したいと思う。


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東京国立博物館 223 [東京国立博物館]

もう冬は過ぎてしまいましたが…。
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「江戸名所三ツの眺(ながめ)・日本橋雪晴」歌川広重
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「名所雪月花(せつげつか)・井の頭の池弁財天の社雪の景」歌川広重
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政治不信は加速するばかり [政治]

すべてが茶番だ。
もう与党も野党も本質的に区別はない。
ただ政権ばかりが先行し、被災地のことなど眼中にない。

いったい、政治とは何であろうか。
字の如く「まつりごと」である。
つまり、もともとは(宗教的な意味合いを含む)神聖なものであった。
しかし人間は悪しき欲望を持つもので、自己の利益を追求し、
反勢力を追撃して「醜い」肩書でもって、国民には利益にならないパフォーマンスをしている。
これはもう酷いというレベルではありません。
被災者の方の声を聞くと、本当に、言葉に出来ない怒りを覚えます。

先日、東北地方から来た方(福島青森から来た方)の話を聞くと、
本当に、この世の中は「自己中」ばかりであると痛感した。

ケガレ。

日本人は潔癖すぎる!
いや、清潔だという強い思い込みに囚われて、むしろケガレを増幅させている。
放射線にかかってるとの理由で被災者を排斥するのは、明らかな筋違いだ。
東京は何を考えているんだ!
「目に見えない」恐怖を、「見える」形に転換して迫害を加えている。

東北から関東に避難された方の、本当の現実に、胸が締め付けられました。

とあるブログでお世話になっている方の記事では、
役人が提示した放射線測量のデータについて疑問を感じた専門の学者が独自に行い、
わたしが住む足立区やその周辺を調べたところ、
なんと1c㎡あたりの放射能汚染が3Bq(ベクレル)という。(4月現在)
1c㎡あたりの放射能汚染が4Bq(ベクレル)を超える場合、
被曝を避けるために「放射線管理区域」として指定することが、
国の法令で定められているそうだ。
夏場になれば陸から風が吹くのが多くなるので、拡散は免れない可能性がある。
まあ、足立区は全国の創価学会でも有数の牙城だしな。

個人的には、人間いつか死ぬのだから、ああだこうだと騒がず、
まずは自分たちの周囲を変化させて、今回の災害・人災の原因を探り、
今後このような事が無いためにも啓発しなければならないと思っている。
だから、放射線に体が汚染されようがされまいが、精一杯生きたいのである。

わたしは体のケガレよりも、心のケガレを取り払いたいのである。

仏教にも、清潔がかえって不潔であると説かれているように、
何事も執着はしてはいけない。
ただひたすら、衆生を愍(あわ)れんがために迷妄を破していくのである。

今回の大地震で生還された体験談を、随時載せていこうと思う。

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「世界征服が夢です」と思っていたのは、子どもの頃だったりして…。 [独言]

昨日の雨のおかげで電車に乗るはめに…。
って、ゼミの発表があるんだから、濡れるわけにはいかないよね。


で、発表が終わったせいか、一気に緊張感が抜けて睡魔に襲われました。
電車は相変わらず帰宅ラッシュでチョー満員。
電車に乗って閉まったドアに頭をよりかけていたら、
どういうわけか、またドアが開いてドアの縁に思いっきり(頭に)ぶつかりました。(笑)
もう眠気も吹っ飛びましたね。(爆)

てなわけで、久々にバトンです。
相模さんから受け取りました!

ルール

☆見た人は必ずやること
☆タイトルを「世界征服が夢です」or「実はリアルの私…一人称、拙者なのでござる」or「♂♀どっちも大好きです。BL,GL大好き!!」にしてください
☆記事を開いた時点で踏んだことになります。逃げないでください
☆全部の質問に答えてください。ふざけてもいいです。良い回答がない場合は「…ごめん。無理」と書いてください


01、本名の一番最後の母音を書いてください(回答例:あ)

「う」ですが何か?

02、一番よくいくコンビニ名を書いてください(回答例:ファ○マ)

サンクスかファミマか。いや、100円ローソンの50円引きばっかりを買っていますね。(笑)

03、歩く、走る(自転車、車等も込み)、ジャンプ。どれを一番よく使いますか?(回答例:三段ジャンプ)

もちろん、チャリorバイク。てか、乗り物に乗ると人格が変わります。(こち亀の本田かよ)

04、一番よく飲むものは?(回答例:コーラ・しそ味)

お茶。男にとってはOO増強らしいのだが…。(笑)

05、好きな天気は?(回答例:みぞれ)

雨上がりの天気でしょうかね。気分が清々しくなります。

06、電話(発信)した時の最初の言葉は?(回答例:もしもし)

「あ、オレだよ、竜眼寺だ」(オレオレじゃないですよww)

07、母親、父親を何と呼んでいますか?(回答例:母、ママ・父、パパ)

「親父」「母さん」

08、一番好きなシリーズタイトルは?(回答例1:Tales ofシリーズ 回答例2:スーパーマリオシリーズ)

何でしょうかね。テイルズとかFFとか。

09、姉妹、または兄弟がいますか?いる場合は年上?年下?(回答例:兄弟&姉妹・年上+年下)

姉が一人。オレ様と性格が正反対!いつも他人に思われています。

10、今の服装は?(回答例:え?全裸だけどなにか?)

七分袖で三本ラインですかね。

11、今の体制は?(回答例:L。椅子に体操座り)

韓国風正座?

12、好きなのは年下?年上?(回答例:ロリコンですから!)

そうですねぇ。年上も好きだけど、年下も好き。要は、女好きです。(爆)


13、外出時の必需品は?(回答例:鬘、ネックレス、ポケウォーカー)

WARKMANとかデジカメとか、それと古典作品の文庫本でしょうか。

14、PCはノート?デスク?それとも持ってない?(回答例:俺=PC)

ノートだけど、そろそろ買い換えようかと思っていたり。

15、3次元と2次元はどっちが好き?(回答例:え?おれは1次元萌えだよ?)

難しいですねぇ。基本的に女好きですからね。
2次元は白昼夢にピッタリだとして、3次元は夢うつつの間で楽しみたいですね。

16、作者に一言!

お疲れさまでした。




という事で、あまり面白くない答え方だったかも…。

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ゼミ、発表終了しました! [大学]

今年最後のゼミ発表が終わりました[わーい(嬉しい顔)]


あー、この3週間はキツかったなぁ。
『源氏物語』「夕顔」でどの場面を本文にするのか迷っていたし、
古注釈の解釈(一部漢文)が難しくて、
考察もいつもと違ってなかなか調子が出なかったです…。

で、本番はどういうわけか、いきなりK教授から、
「はい、では「夕顔」の巻について簡単に説明してください」
と唐突に振られたので、その時点で頭が真っ白になりました。(笑)
なぜなら、「夕顔」の巻を梗概する指示が無かったから。
最初につまづくと、後が厳しいですよね[あせあせ(飛び散る汗)]

とにかく自分が知りうるストーリーを、頭の中で考えながら言葉でまとめて、
グダグダと簡単に説明しました。
そんでもって、やっとすっとこレジュメに入って、
源氏と夕顔が「なにがしの院」で情事を重ねる場面を説明しました。
文学だから、いや、女子がいるからそこで何をしたか露骨には言わなかったけど、
いやあ…若いですね。
昼間から誰もいない所で愛欲を満たすわけですから。
(あ、そういえば江戸川区では小学校で情事を重ねたスキャンダルがあったな)

考察はもう、小破でしたかね[たらーっ(汗)]
いつもなら熱中して書くわけだけれども、
先週はしぞーかに行ってたし、機関紙の原稿はたまってるし、
卒論の目次を綿密に作ってるので、なかなか思うように集中できなかったのが残念。

結果、このオレ様がトップバッターとなったので、
この先に発表する人は「こんな感じでやるのだな」と自信がついた模様。
万事すべて良し!(爆)

そういうことで、また復活することになります。
ソネブロの皆さま、これからもよろしくお願い致します。

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東京国立博物館 222 [東京国立博物館]

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「冨嶽三十六景・遠江(とおとうみ)山中」葛飾北斎
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映画批評 その326 『十三人の刺客』 [批評-映画]

吾朗ちゃんの狂気は、やっぱり普段と同じでしょ(いや、控えめだけど)。



登録情報
出演: 役所広司, 山田孝之, 伊勢谷友介, 伊原剛志, 松方弘樹
監督: 三池崇史

商品の説明
内容紹介
戦わなければ、変わらない。
世界を揺るがす壮絶なアクションを目撃せよ!

★「十三人の刺客」の全てがわかる!豪華特典ディスク付き!
メイキング、インタビュー映像、未公開シーン、イベント映像集、ヴェネチア映画祭レポートなど、ここでしか見ることができない貴重な映像集。
★封入特典は、プレスシート復刻縮刷版。
★初回限定封入特典!200ページに及ぶ絵コンテ集。

【スタッフ&キャスト】
役所広司 山田孝之 伊勢谷友介 伊原剛志 松方弘樹 / 稲垣吾郎 市村正親
監督:三池崇史 原作:池宮彰一郎 脚本:天願大介 音楽:遠藤浩二

  【商品仕様】
◆本編ディスク◆
141分/片面2層/シネスコサイズ
<音声>日本語(5.1chサラウンド) <字幕>日本語ガイド字幕
[映像特典]予告、特報、TVスポット集

◆特典ディスク◆
メイキング/三池崇史監督インタビュー/キャストインタビュー/ヴェネチア映画祭レポート/
未公開シーン/完成披露試写&初日舞台挨拶

【封入特典】プレスシート復刻縮刷版
【初回限定封入特典】絵コンテ集


発売元:セディックインターナショナル・小学館 販売元:東宝
(C)2010「十三人の刺客」製作委員会
内容(「キネマ旬報社」データベースより)
鬼才・三池崇史監督が、役所広司、山田孝之、伊勢谷友介ら豪華キャスト共演で描いた本格時代劇エンタテインメント。暴君・松平斉韶暗殺のため、13人の刺客が命懸けの戦いに挑む。メイキング、イベント映像集などを収録した2枚組豪華版。


いよいよ明日がゼミの発表です。(笑)
あとで原稿をチェックすると変換ミス等が見つかったので、
すこしテンパりながら訂正版を書き終えたところです。

役所広司はさすがだなぁと感心しつつ、
吾朗ちゃんの狂気はもっと弾けて欲しかったと思う。
三池崇史にしては、グロさ加減は非常に抑えられていますね。
あの伝説的なカルト作『殺し屋1』と比べると、ピリってな感じ。
まあ確かに、チャンバラに血はちょいとトラウマになる可能性もあるけど…。
(あれ、いま6億円強奪事件の犯人が捕まったのか?)
「普段の吾朗ちゃんだよ」と誰かさんが言ってたけど、
個人的にはアレの5倍はヤッてるんじゃないかと思っています。(爆)
しかし、やっぱりあのシーンはキツかったな。
『シグルイ』を思い出しちゃったよ…。

13人VS300超の50分の戦いは見所だったわけだけど、
どのように飽きさせないか苦労してたのかもしれませんね。
音楽と共に、ダイナミックに「斬って斬って、斬りまくれ!」はツボをよく押さえていたと思う。
なんか爽快感があるんですよねー。
(って、あの浪人たちが可哀相ではあるが…)
あの後の宿場は亡霊たちがたくさん出てきそうだな。
続編として、狂気の亡霊たちが周囲の人たちを襲う映画を作ってくれ。
そっちの方が本領発揮されそうだ。

それと、三池崇史の笑いのセンスは今回は微妙だったかも…。
あれで死なないギャグって…ちょいと期待はずれ。
どんどん暴れて欲しかったキャラだったのに。

侍の忠義が対立して話を絡み合わせる所にも評価できます。
「武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり」
と有名な『葉隠』の一文があるけど、
要は生と死は隣合わせだと訴えたかったのかもしれませんね。

けど、終わりよければすべて良し。
たまにはこういった作品を見るのもいい。


評価は、80点。

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