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創価学会だった頃 一 [独白]

 およそ12年前までは創価学会に入っていた。これを載せるのは、いかに創価学会が恐ろしい教団か知ってもらうため、また、創価学会員に間違いを気付いてもらうためです。

 創価学会が日蓮正宗に破門されたのは平成3年だった。(これはあくまで創価学会という組織そのものを指し、当時の会員にはまだ信徒の資格があった。平成9年12月1日の期日をもって学会員も信徒資格を喪失。完全に日蓮正宗と無縁となった。)
 その原因は平成2年の11月16日、創価学会名誉会長だった池田大作が全国の学会員に対し、衛星中継を通して日蓮正宗・当時の御法主上人を誹謗するスピーチが発端だった。その直後に、あの雲仙普賢岳が大噴火した。(平成2年11月17日の出来事である。これは全くの偶然では無い。仏法がいかに厳しく道理がハッキリしているか、身をもって感じぜざるを得ない。)

 話はだいぶ飛ぶが、(謗法)邪教・新興宗教化した創価学会に入って罰が出てきたのは私が幼稚園の頃だった。ぜんそくが酷く、病院へ入退院の繰り返しだった。ぜんそくは仏法から見ると、重たい悪業を背負っており、正しい教えに帰依しなければ治らないものでした。当時まだ4~5歳の私にしては仏法はおろか、宗教の正邪など判りません。そのままぜんそくは小学校に入学しても治らず、両親は創価学会の会合で忙しく、姉とは毎日ケンカしていました。
 (続く)
 

 こちらの記事は不定期に更新します。
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創価学会だった頃 二 [独白]

 では、なぜ雲仙普賢岳が噴火したのか。過去を辿ってみよう。


 昭和39年5月に池田大作は創価学会の第27回本部幹部会において、総本山・大石寺に正本堂の建立寄進を打ち出した。(しかし、これが原因で会員から集まった大金の甘い汁を知った池田は慢心を起こしてしまう。)
 昭和36年11月に「王仏冥合(王法と仏法が冥合すること。つまり、仏法の生命尊重、慈悲の精神が政治の根本理念としてまた政治に関わる人を介して、政治に具現されること)」を掲げて「公明政治連盟」を発足させ政界に進出し、翌年11月には「公明党」を結成、昭和40年7月の参議院選挙では20議席の勢力を伸ばした。しかし、このような中で「言論出版問題」が表面化した。あの『創価学会を斬る』の本である。憲法に規定する「政教分離」に反するのではないか、と藤原弘達氏がメスを入れ、脅威を感じた創価学会は本を返本するよう本屋などに圧力をかけた。政治大物の田中角栄も動き、問題がより深刻化していった。民社党はこの事に関して池田大作に国会喚問を要求したが、もちろん本人は国民の前に堂々と出ることなど出来ない。この問題を解決する為に創価学会は一応は政教分離を表明した。だが、池田の側近だった人はこう証言する。「より政教一致を強めるのだ
 そして昭和52年、創価学会は日蓮正宗の教義を逸脱する行為が発覚。(これを52年路線と呼んでいる。)以下がその逸脱した教義である。
 1、唯授一人の血脈否定。つまり、御法主上人猊下の血脈を否定し、池田大作に日蓮大聖人の血脈(直結)があると主張
 2、『人間革命』は現代の御書。日蓮大聖人が著された御書よりも池田大作が著した本が勝れていること。
 3、池田会長に帰命。池田会長が久遠の師であると主張。つまり、末法の御本仏と拝し奉る日蓮大聖人を差し置き、池田大作こそが仏であること。
 4、寺院は単なる儀式の場、(創価学会)会館は広布の道場。お寺を蔑(ないがし)ろにして、自分たちが勝っていること。
 5、謗法容認。(神社などのお祭りに参加する等)。元来、日蓮正宗では神社の参詣を認めない。何故なら、『立正安国論』に「世皆正に背き人悉く悪に気す。故に善神国を捨てて相去り、聖人所を辞して還らず。是を以て魔来たり鬼来たり」とあり、間違った教えが蔓延して、その結果、善神は国を捨てて去ってしまい聖人が所を辞して還って来なくなってしまった。神社には悪鬼・鬼神が住んでいるから、決して参詣してはならないと強く戒めている。
 等々あるが、これをきっかけに創価学会を脱会する学会員が急増し、危機感を感じた池田大作は翌年の昭和53年6月30日の聖教新聞に教義逸脱に関する訂正文を掲載した。が、その内容が曖昧な為で池田大作の責任を明らかにするものではなかった。さらに、同年9月28日に学会が勝手に造った本尊模刻が発覚し、いよいよ創価学会は窮地に立たされる。
 同年11月7日に学会は「お詫び登山」として(日蓮正宗)宗門に謝罪をした。しかし、実際にはそれらの逸脱はいっこうに改めず、池田大作の責任を問う声がいっそう激しくなった。
 昭和54年には池田大作は会長や総講頭の辞任を申し出て、52年路線は時の御法主上人・総本山第66世日達上人が創価学会に対して、日蓮正宗の信徒団体としての基本を、今後、忠実に守ることを条件として収束した。だが、これでも池田大作は日蓮正宗を乗っ取る計画を画策していたのだ。

 そして、平成2年11月16日の衛星放送での(池田大作が)御法主上人に対する誹謗スピーチは、52年路線の約束を反故した行為で、その罰として雲仙普賢岳が大噴火したのだ。
 日蓮正宗の(破門され)縁が切れた途端、創価学会は宗門を攻撃し始めた。
 創価学会が悪い行いをしている限り(謗法行為。学会に限らず、間違った教えがこのまま広まると)、日本のみならず、世界が混沌とした世相へ変わってしまうのだ。これは紛れもない事実である。

 (続く)

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創価学会だった頃 三 [独白]


 創価学会が日蓮正宗に破門されて以来、宗門から念願だった独立から一転、攻撃に転じて「C作戦」と言われる誹謗等を行った。「C」とは「CUT カット」という意味で、御法主上人が池田大作を妬んで切り捨てたと、在りもしない陰謀説を学会員に吹聴していた。もちろん、そのような話は一言も無い。第一、大聖人の御金言に「智者・学匠の身と為(な)りても地獄に堕ちて何の詮か有るべき」(十八円満抄 御書一五一九頁)と仰せられている。つまり、現世には地位が高く、たくさんの勲章を持っていても、亡くなって地獄に落ちた場合は何の役にも立たない、と言う意味である。況してや宗門の大導師であられる御法主上人が、世間の地位や名誉のために池田大作を妬む必要はあるだろうか?否である。

 平成五年では総本山第二十六世・日寛上人の御本尊を勝手に手を加えて一枚刷りの印刷を行った。これは「ニセ札」を作る行為とまったく同じ理屈で、唯授一人の血脈を相承された御法主上人のみ許された(恐れ多いが)御本尊作製を、創価学会は自分たちの手で作ってしまったのだ。その「ニセ本尊」を学会員に配布し、本物の御本尊を焼却・処分したのだ。その結果、平成七年一月一七日未明、兵庫県南部地震(阪神淡路大震災)が起きたのだ。M7.3、震度7を初めて観測し、死者6、434人、行方不明者3人、負傷者43、792人が出る大惨事となった。話では、聖教新聞に働いていた親子が亡くなり、親は仏壇の前で、子はタンスの下敷きになって亡くなったそうだ。本当に正しい信心ならば、このような悲惨な死に方はしないはず。いや、必ず御本尊に守られるはずである。
 この頃、私たちの家族にも異変が起きていました。いつの頃かハッキリ覚えていないが(幸い、「ニセ本尊」に取り換えていなかった。)母が急に体調が崩れ、原因不明の病に倒れました。耳から血が流れ、日常の暮らしさえままならぬ状況でした。私自身も創価学会会館に行くたびに具合が悪くなり、何かがおかしいと心の何処かで疑問に思っていました。それから何年か経って、母が創価学会を脱会して日蓮正宗に入信すると嘘のように病気が治り、私も自然と「お寺に行きたい」と思って家族そろって脱会し、無事に日蓮正宗の信徒となりました。
 しかし、何年か創価学会にいたために悪業が現われて、いっそうぜんそくが酷くなりました。周囲にも変化が起き、中学までイジメが頻繁に出てきました。もちろん、創価学会員がメインなのだが・・・・・・。よく「自殺するまで追い込め」と学会員が言ってました。これが平和・文化を訴える信者のやり方でしょうか。イジメも病気も、全て謗法の罪を犯した報いである事を自覚し、今は友達を折伏しています。

 (続く)
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創価学会だった頃 四 [独白]


 選挙期間中は、学会員は総出で選挙活動をしていた。いや、選挙有無に関わらず必死に活動していたと言った方が正しいかも知れない。近所の創価学会会館でも選挙対策本部を設けていて、「F票取り」の電話が何台か置いてあって、そこからあらゆる家に電話を掛けて「公明党に一票を。公明党は国民の為に良い法律を考案し、平和を願って日々闘っているから、是非力を貸して下さい」等言って、甘い言葉を巧みに使う。
 さらに戸別訪問して家に押し掛けては「私たちはOOO法案を実現させたのよ。(今回は定額給付金の事を自慢していたが)」と言って有権者に迫ってくる。今回の衆院選は権力を突き動かして企業など圧力をかけるだろう。(良いカモの)自民党が劣勢で、もし自民党が負けてしまったならば公明党は権力を握れなくなる。いまさら民主党に同盟など結べない事は判っているはずである。(場合によっては馴れ馴れしく近づいてくるかも)とにかく、創価・公明党は勝つ為なら手段を選ばない。池田大作がそう言っているのだから。有権者は今回の衆院選でどんな誘いでも公明党には票を入れないで欲しい。彼らの目的は「総体革命」を実現させることであるから、決して池田大作を日本の頂点に居座ってはいけない。必ず大きな罰を受ける事になるから・・・・・・。
 小学一年生の頃だっただろうか。
 まだ、創価学会に入っていた時に会館で「第OO回 XX会館総会」があって、少年部員としてコーラスをした事があった。しかし、毎回体の調子が悪くて歌えるような状態ではなかった。しかも(本番当日)会場内は暗く重たい空気で、それなのに会場内はもの凄い人数で埋め尽くされ(妙な)活気があった。「(池田)先生、先生」と言う人がいれば、「日顕宗(日蓮正宗を蔑む言葉。ここに載せるのは申し訳ないと思っているが、このように相手を貶めて自らを美化する行為なので、敢えて載せておきます)め!(池田)先生の裏切り者は地獄に落ちろ」等の罵声もあった。
 表向きは誠実そうでありながら、裏では陰湿でひねくれ曲がった精神の持ち主が学会員には多い。自分もあのまま学会に居たら、今頃犯罪に手を染めていたのかもしれない。平気で人の悪口を言い、自分の思い通りにならなかったら人のせいにしてモノに八つ当たり。そうこうして精神が病み、生きながら地獄の体験をしていた事であろう。
 選挙運動は「功徳になるから」と学会員は東奔西走して活動しているが、本当に幸せになった人はいるのだろうか。選挙活動に明け暮れて、幸せになった人など見た事も聞いた事も無い。
 早く目を醒まして欲しい。本来大事なのは衆生を成仏に導く役目を手助けすること。なのに、たった一人の野望の為に悪業を積み、虚しく選挙活動に励んで人生を台無しにする。本当にそれで良いんですか?生きる歓びを、麻薬みたいに嘘で固められた幻覚に酔いしれて幸せですか?

 (続く)
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創価学会だった頃 五 [独白]

 創価学会に入れば、確かにある程度融通が利く。地域(地区内)の学会員たちは親切に接してくるし、困った時は公明党(区議会などの学会員)の力を借りて助けてくれる。売れない芸人がいれば「創価学会に入ればテレビに出させてやる」と持ちかけ、いかにも慈善行為をしているように見える。それは最初だけ。創価学会の信心をして「経済が楽になった」とか「病が治った」等と功徳があるように思うだろうが、それは魔の通力であって決して正しい行いでは無い。信じれば信じるほど、以前よりも増して苦しみの連鎖が続く。気が付けば抜け出せない状況に陥る事がある。
 私の経験では、小学校から学会員が多くて(別の意味では、学校を学会の子どもの拠点として位置づけ、教師を味方につけて交流を深めていた。)良く一緒に遊んでいたが、いざ脱会すると環境は一変した昨日まで友達だったのに、脱会すると敵の目で見られた。そして、イジメが頻繁に出てきて不登校になってしまった時期があった。周囲の白い目に耐えられず、教室に居る事さえ息が苦しく感じた。不登校の件で教師たちは不良扱いをし、味方してくれる教師は一人か二人いるかどうかだった(これを知ったのは、副校長先生から親に話して、それから私に伝わったため。副校長先生は本当に心から私の事を心配してくれた)。小学時代、中学時代は本当に辛かった。学校から帰ると良く部屋に閉じこもっていた。鬱になっていたのだろうか。生きる気力が失せ、自分の存在さえ呪った時もあった。
 だが、それは創価学会の活動をしていた悪業の報いであって、それに気が付いたのは中学を卒業した後だった。いま思えば、何故、苦しみに耐えられなかったのだろうと後悔している。もう自分から逃げたりしないと、日々、己心の魔と闘っています。 
 創価学会に入って楽になれるのは最初だけですそのあとは楽をした分だけ、苦しみや辛さを味わう事になります。目先の楽よりも、あと後の将来を考えてみて下さい。後から楽になるか、それとも苦労するか。抜け出すのなら今の内です。
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空虚の日々 壱 [独白]

 (創価学会だった頃の続き)


 創価学会を脱会したのは小学三年生だっただろうか。
 脱会してから環境は一変し、教室の空気は一段と重く感じ取った。しかのみならず、彼らの姿が露わになり、表向きは満面の笑顔だが、人がいなくなれば鬼のように目つきが変わり酷い悪口を言っていた。それは中学まで続いたのだった。
 その間、創価学会は文科省の認証を得て「規則」を改変し、それを受けて「会則」を変更した。内容は、本尊や教義などはすべて会長が裁定し、実質的に池田大作を「永遠の指導者」に定めるとした。また、朝夕の勤行を題目一遍だけでいいとか、お坊さんを呼ばないで学会の幹部が導師を執り行う、いわゆる“友人葬”、“学会葬”というものが出てきた。
 学会員たちはますます池田大作に信望を寄せ、池田ファシズムが濃くてなっいった。池田大作は「仏法は勝つか負けるかだ。勝て!勝つためには何をしても良い」と勝利のみ謳い、学会員たちは先生の期待に応えるために裁判沙汰を起こし始めた。学校でもその影響で地域友好と称して神社の祭りや学内活動で株を上げ、世間を何としても味方に付けようとした。異様なほどの盲信に世間ではどうのような目で見ていたのだろうか。
 この頃は学級員を務めていたが、やはり格好の的だったのだろう。クラスの前で吊るし上げがあったり、嫌がらせが頻繁に起きていた。連日、このような事の繰り返しで精神的に病んでしまう手前に来て、ついに不登校となってしまった。ずっと家の中に引きこもり、生きる苦しみから目を背けていた。

 (続く)

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空虚の日々 弐 [独白]


 あの頃は一体何だったのだろうか?

 中学二年生になってからは本当に環境が変わった。

 幼稚園の頃には仲が良かった(創価学会員)友達は、私が創価学会を脱会したと知ると二面性を持つようになり、教師がいる時は何の変哲もない顔をするが、いざ教師がいなくなり一人になるといきなり睨みつけてくる。しかし、また別の教師がやってくると何も無かったかのように表情を変える。あんなに仲が良かったのに、今では敵のように見られている。何かとても悲しくなってきたのだが、やはり変わってしまったものはもう変わらない・・・・。
 体育祭の練習のときでもそうだった。教師がいない間に学会員たちは石を投げつけたり、ニタニタと笑ってコソコソと嘲笑したりしていた。
 これならまだ良い方だった。
 失望したのは一部の教師の反応だった。担任の教師に相談をしたのだが、無責任の言葉しか返ってこなかった。よりによって担任の先生が黙認するとは・・・・・・。それ以来、人間不信に陥り、誰とも話す機会が減ってしまった。唯一、TVを観て気分を紛らわすのが一時の幸せだった。自分の世界に閉じこもり、友達との距離も次第に遠のいてしまった。
 クラスの半分以上が創価学会員であり、保護者もPTAなどで地域と密着して牛耳ろうとしていた。学校を拠点として信心活動に似せた地域活動ぶりは、本当に恐ろしいものだった。担任の教師もそのうちの一人で、他の教師たちも毒に冒されていった。(中学三年になっても、創価学会員と付き合いのある教師だった) 
 その間、不登校が続き、学校に登校すれば人間関係はギクシャクした時間が多かった。時には下駄箱に悪戯をしたり、時には殴られたり、ある時は机の中に入れていた物を無造作に床に落としたり・・・・・・・。
 これが彼らの言う「平和」「文化」「教育」の実態である。
 いま全国でもこのような事が起きているのではないか、と思ってしまう時がある。中学校に限らず、小学校も高校も例外ではない。創価学会は手段を選ばない宗教団体だ。あの自称・池田大作名誉会長の「勝て!!勝つためには何をしても良い!!!」とお墨付きをもらっている彼らなのだから、公共の場である学校を拠点にしようが、仕事場を拠点にして選挙活動しようが、周囲に住む住人の迷惑など毛頭考えていないし、肌で感じ取る事も無い。むしろ、白い目で見られるとますます燃え上がるのが創価学会特有の体質だ。 
 その勢いもあって、私はますます外に出るのが出来なくなった。あの時の公明党は神崎元代表だった頃だ。友達は何故か神崎の物まねをしだすし、良くない雰囲気が教室を支配していた。しかも、何処かの学会員が『聖教新聞」なんか持ってきやがった。でかでかと映る大ちゃんの勲章の写真が一面を飾り、さらに教室の空気を汚してくる。
 こういう事があっても、創価学会員は何も感じない。徹底された「教育」に舌を巻く程度では済まされません。

 (続く)

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空虚の日々 参 [独白]

 中学二年生のころが一番栄えであり、一番ドン底であった。

 文化祭で劇をすることになり、「黒船」という、4人の若侍が「日本一大きい船を造る」という夢を追うのだが、ときは幕末、いよいよ戦が起きることになって3人は1人のために命を犠牲にする話だ。
 その主役4人のうちの、何故かその中の1人に選ばれた。
 役柄は主人公の幼馴染、理解者であり良き友。最後には戦に散ってしまう運命にある。 
 文化祭と言えば、生徒の特権ともいうべき情熱・大規模な活動である。毎日夕方の6時過ぎまで劇の練習や合唱の練習、劇の大道具・小道具や美術の人たちは汗を流して創作にあたる。主役に選ばれたからには、台本の中にある大量の台詞を覚えなければならなかった。そのため、主役になった友達とよく台本を読み合って演技に情熱をかけた事を、今でも覚えている。最初はお互い別々の役を希望していたが、担当者から役が決まったときにはやりたかったものが交互になって笑いあったものだ。

 前年も劇に出てはいたが、あまり目立たない方が無難なので脇役をしていた。でも、その時は裏方が少なかったために兼任されるハメになった。その当時は手塚治虫の『ブラックジャック』の劇であった。

 主役に選ばれたこそ、嫉妬する者や野次を飛ばすのに格好の標的ともなった。
 皆がいるときは良い子ぶって、陰では悪口や暴力もあった。その度に学校に行くのが辛く、行くタイミングとしてわざと遅刻することもあった。授業が終わったらそのまま劇の練習に入り、休み時間がくれば、なるべく心から信頼できる友達と一緒に居ることにした。そんな日が文化祭まで続くのであった。

 文化祭というと、大抵は10月~11月に行われる。自分は11月生まれなので、よく文化祭と重なる日が何かと多かった。当日はどうであったか憶えていない・・・・。


 いよいよ舞台に上がって劇が始まった。おおよそ2時間超の劇であった。最初は緊張していたが、だんだん役に入ってきて自然な演技を演じることが出来た。無事に劇にも終わって全学年から絶賛された。夢中で情熱をかけて成し遂げる達成感は何とも言えない。幕が閉じると共に、自分の、これから起きる無気力の地獄が始まった。

 手元に中学時代のアルバムがある。
 
 当時はまだ人が持つ“業”というものを感じていなかったが、今もう一度手にとって見ると恐ろしく感じた。顔の相がハッキリと見えると、何とも言えない、修羅の人相が浮かび上がっている。顔は笑っていても、目を見れば怒りに満ちている。クラスメイトの集合写真を見ても、どれも無邪気な者は希少であった。こんなにも創価学会の生徒がいたとは・・・。改めて恐怖を感じると共に、憐れにさえ思った。あれほど「創価学会こそ人道主義だ」と言いながら、実際やることは正反対。脱会した自分を見つけると白い目で見てきたり、「死ね!」とか時に暴力を振るう。創価学会を抜け出した者は死ねというのか・・・。ならば公共の場で堂々と宣言すれば良い。「裏切り者は自殺するまで追い詰めろ」と。

 かつての友はいなくなり、マイナスからの友達作りに苦労した。

 文化祭が終わって数日後、相変わらず“イジメ”は絶えなかった。
 とうとう限界が来てしまって学校には行かず、家に引き籠って日々を過ごした。毎日本を読んだり映画を観ていた。特にホラーばかりを観るようになっていた。ストレスが溜まればスプラッターを観て発散させる。名ばかりの勧善懲悪たるホラーを観ることによって現実から目を反らした。自分の世界に入り、怒りや憎しみを持って恨みに恨むことが多かった。

 「なぜ自分がこんな目に遭わなければならないのか?」

 大人への過度期ともあって、心の葛藤が酷くぶつかり合っていた。精神が未熟な上で“因果応報”の言葉など身を持って知る事となるとは、気付きもしなかった。ただただ、愚かにも愚痴をこぼし、物事がうまくいかなくなったら八つ当たりしたり、後先を考えずに自暴自棄になったものだ。

 今はもう、その原因を知っている。

 引きこもりというのは、結局は自分自身で解決するしかない。周りの人たちは助力するだけで十分なのだと思う。自分と向き合うのにどれだけ時間が掛かった事か・・・。それは中学を卒業するまで、何も答えを見出すことはなかった。

 (続く)

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