So-net無料ブログ作成
検索選択

人類滅亡は・・・ [説話等]

2012年終末説の真実:銀河直列

2009年11月9日(月)15時40分配信 ナショナルジオグラフィック

「地球最後の日を告げる銀河直列」説 チリ領イースター島の上空に広がる天の川(撮影日不明)。“2012年終末説”を信じる天文愛好家は、2012年の終わりに“銀河直列(galactic alignment)”と呼ばれる現象が起きて人類が滅亡すると考えているようだ。 地球から見たときに太陽が天の川銀河の見かけ上の中心に位置するように見えるといった配列は、実は毎年冬至の時期に必ず起きている。「占星術をなりわいとする人であれば、この天体配列に興奮するのかもしれない。しかし、現実的にはこの配列は科学的に何の興味も引き起こさないものだ。つまり何も起きない」と、NASAの宇宙生物学者デイビッド・モリソン氏は話している。

thumb-ng-20091109-2009110903-world.jpg


Photograph by Stephen Alvarez, National Geographic Stock

「地球最後の日を告げる銀河直列」説

 チリ領イースター島の上空に広がる天の川(撮影日不明)。“2012年終末説”を信じる天文愛好家は、2012年の終わりに“銀河直列(galactic alignment)”と呼ばれる現象が起きて人類が滅亡すると考えているようだ。例えば、「Alignment 2012」というWebサイトがこの説の信奉者の典型だ。

 この人類滅亡のシナリオでは、地球最後の日、天空を移動する太陽の進路が天の川銀河の見かけ上の中心を横切るように見える。銀河の中心、太陽、地球が一直線に並ぶということから“銀河直列”と命名され、2万6000年に1度しか起こらないという。天の川銀河は、写真のように観測状況が良好なときには縞(しま)状の雲のような姿を夜空全体に浮かび上がらせる。2012年12月、この中心に太陽が輝くわけである。

 このような天体配列により、銀河レベルの非常に強力かつ未知の力が地球を襲う危険性があるという。おそらくは、地球の自転軸が変動する“ポールシフト”や、天の川銀河の中心で生じる超大質量ブラックホールの活発化などが地球滅亡の主因となり、銀河直列はその滅亡速度を速めるらしい。

 しかし、NASAの宇宙生物学者デイビッド・モリソン氏は、「2012年には、銀河直列などの現象はもちろん、少なくとも普段と異なる特別な現象は一切起こらない」と話す。

 地球から見たときに太陽が天の川銀河の見かけ上の中心に位置するように見えるといった配列は、実は毎年冬至の時期に必ず起きている。「占星術をなりわいとする人であれば、この天体配列に興奮するのかもしれない。しかし、現実的にはこの配列は科学的に何の興味も引き起こさないものだ。つまり何も起きない」とモリソン氏は話す。地球にかかる引力の大きさ、太陽放射の量、惑星の軌道、そのほか地球上の生命に影響を及ぼすといわれているどんな要因も、このような天体配列で変化が生じることはないという。

National Geographic News



 2012年終末説の真実:大陸大移動
11月9日17時49分配信

「宇宙現象が引き起こす大陸大移動」説

 古代マヤ文明の予言によると、もうすぐ人類は滅亡するという。Xデーは2012年12月21日だ。この予言をテーマにしたハリウッド映画『2012』の公開が近づき、宣伝に熱が入るにつれ、終末論がにわかにクローズアップされるようになった。

 いくつかの終末論は、2012年に地球の極が移動する“ポールシフト”が起こり最後の日を迎えると予言している。ポールシフトの原因として考えられているのは、イラストのような小惑星の衝突や、天の川銀河の中心と地球と太陽が一直線に並ぶまれな天文現象“銀河直列”、膨大な太陽熱の放射による地球内部の不安定化などが挙げられている。

 その結果、地球の地殻やマントルが急激な移動を始め、液体の鉄で構成されている外核が激しく対流し、世界各地の都市が海中へ滑り落ちていくという。

 しかし、アメリカにあるプリンストン大学の地質学者アダム・マルーフ氏はこの説に異を唱えている。ポールシフトの研究家である同氏は、現地時間11月8日放映のナショナルジオグラフィック チャンネルのテレビ番組「2012: Countdown to Armageddon(2012年:アルマゲドンへのカウントダウン)」の中で、この終末説に真っ向から反論した。

 番組中、マルーフ氏は次のように語っている。「岩石の磁気分析から明らかなように、大陸は過去にも大規模な移動を経験しているが、これは何百万年という単位でゆっくりと移動したのであって、地震のような急激な動きではないことは明白だ」。

(Image courtesy Nicolle Rager-Fuller NSF)





 まるで「1999年のノストラダムス」を思い出すよwwww

 安心して下さい、地球が亡ぶのは人間次第なのだから。

 悪いことをすれば、それが自分に返ってくるように因果応報(因縁果報)であることから、人間が良からぬ事をしたら世界もそれ相応の影響を受ける。

 「仏法は体なり、世法は影なり。体曲がれば影斜めなり」

 との日蓮大聖人様の御金言を拝すれば、間違った教え(これを謗法と言います)が広まると飢饉や災害・人災を被る結果となる。特に日蓮大聖人の直弟子と勝手に名乗る新興宗教がたくさんあると、より災いが蔓延るようになる。

 何故ならば、

 「日蓮を用ひぬるともあしくうやまはゞ国亡ぶべし」

 と強く戒められているからです。

 また、

 「案のごとく聖人の御のちも、末の弟子どもが、誰は聖人の直の御弟子と申す輩多く候。これが大謗法にて候なり」

 日蓮大聖人様から血脈を相承された第二祖・日興上人様の御金言を拝するならば、いかに新興宗教が仏様を背く輩かよく分かります。


 謗法は五逆罪よりも遥かに重たい罪です。


 ※五逆罪
         1.父親を殺すこと(殺父)
         2.母親を殺すこと(殺母)
         3.阿羅漢を殺すこと(殺阿羅漢)
         4.仏様から血を出すこと(出仏身血 仏様は人に殺されることは無い)
         5.和合僧を破ること(破和合僧)


 五逆罪よりも謗法が実に恐ろしいことか・・・・。地獄へ堕ちるのは間違いなく、閻魔大王に裁かれ、鬼に責めを受けなければなりません。


 創価学会池田大作名誉会長も「私は大聖人の直弟子だ」と言っていますが、先ほどの文をご覧いただければ一目瞭然です。名乗る資格は全くありません!仏教徒はえばるものではありませんよ。





 すみません、説教臭い事を・・・・・・。
nice!(8)  コメント(2)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

真実は、容易には受け入れられない [説話等]

『フランダースの犬』がいよいよ来週の月曜日で最終回だ。
昨日は第51話を観ていたけど、最後のことを考えるとどうしても泣けてくる・・・。
ネロの才能や人格を認めてくれれば、あの悲劇は起きなかった。


それとはちょっと関係無いけど、卞和の璞(べんかのはく)という話をしてみたいと。


中国の春秋時代、楚の国の卞(べん)という邑(むら)に和(か)と言う人がいました。
ある日、この和氏(かし)が楚山でひとつの石ころを見つけました。見た目は単なる石ころでありますが、磨けばこの上の無い宝の玉になる玉璞(ぎょくはく=宝の玉の石)であることが和氏には分かりました。
和氏は、その璞を持って楚の国王である厲(れい)王に献上しました。
厲王は喜び、さっそく玉人(きゅうじん=玉造の職人)に命じて、その原石を磨かせようとしました。
ところが、玉人はその璞を見ただけで、磨こうともせず、
「王様、これはただの石ころです。宝の玉などではありません」
と答えた。
それを聞いて、厲王は怒り、和氏を「王をたばかる者」として、左足を斬ってしまいました。

その後、厲王が亡くなり、武王が即位しました。
和氏は再び璞を持って武王に献上しました。
「この璞は、磨けば素晴らしい宝の玉になります」
しかし、武王が玉人に見せたところ、玉人は、
「王様、これはただの石ころです」
と答えた。
武王は怒り、和氏を「王をたばかる者」として、右脚を斬ってしまいました。

数年経って、武王が亡くなり、文王が即位しました。
すると、和氏は楚山の麓(ふもと)で、璞を抱いて、3日3晩泣き続けていました。3日目には涙も枯れ果て、血の涙を流して泣き続けたのです。
このことが文王の耳に入りました。
文王は使いをつかわして和氏に、
「世の中には、足斬りの刑を受けた者は多い。なのに、お前ばかり、なぜそのように悲しむのか」
と問い尋ねさせました。
和氏は、
「私は、足を斬られて悲しみ泣いているのではありません。磨けば宝の玉になる璞を献上したのに、『石ころ』と決め付けられ、貞士(ていし=正直者)である私なのに、『たばかり者』と烙印を押されてしまいました。それが悲しむ理由であります」
と申し上げました。
それを聞いて、文王は玉人に、その璞を磨かせ見たところ、今まで見たこともないような素晴らしい宝の玉に仕上がりました。和氏を信じたことによって、文王は、その素晴らしい宝の玉を得ることができたのであります。そして、この宝の玉を『和氏(かし)の璧(へき)』と名付けました。また、この玉は暗い所に置くと、自然に光を放つところから『夜光の璧』とも言われています。

宝の玉は、国王であるならば是非とも手に入れたいものです。和氏が璞を献上して、例えそれが宝の玉では無くても、国王には何も損はしないはずです。それなのに2人の王は磨きもしないで、ただ玉人の言葉を信じて、和氏の両足を斬らせました。そして、和氏が両足を斬られたことにより、3人目の王に、はじめて
『宝の玉かもしれない』
と考えてもらえるようになったのです。

この卞和の璞(べんかのはく)の説話は、
「真実のことは、人に話しても、容易には信じてもらえないこと。そして、誹謗・悪口はもちろん、大きな迫害をも受け、長い時間を経て、ようやく認められる」
ということを示しています。


人との信頼関係は難しいですね。
暁も創価学会の間違いや信仰の在り方について、たま~に大学の友人や旧友とで議論しています。
そうでもしなければ懈怠(怠けること)の科を被ってしまいますからね・・・・。
次回の小説は古代中国がベースです。
だから今年の大学の科目は「中国の古典 史記・漢詩」を履修しようかと。
説話文学と云うものは面白いです。
人生の教訓にもなりますが、決して悪いことには使わないように・・・・。
(因果応報で大変なことになります)

nice!(16)  コメント(8)  トラックバック(0) 
共通テーマ:blog

受胎の法門 1 [説話等]

 子どもが母の胎内に生命を宿すということについて、『大宝積経巻第七二 菩薩見実会第十六 遮羅迦波利婆羅闍化迦外道品第二十四』に説かれてあります。

 ある日、諸天善神が、釈尊のみもとに一同集まって、釈尊を供養し、讃歎しておりました。それに対して、釈尊が諸天たちに御説法をされました。 
 そのとき、普行外道(ふぎょうげどう=遮羅迦波利婆羅闍化迦外道)という外道の中でも、宗教生活の最終段階に入った者たち8千人が通りかかり、釈尊の御説法がその耳に入りました。
 外道たちは、その釈尊の御説法が、自分たちの全く知らない内容であったので、大きな疑問と不快の念を抱きました。また、諸天善神が、釈尊を供養することに嫉妬の念を抱きました。
 そこで、外道たちは、
 「瞿曇(くどん=釈尊の一族の姓。主に釈尊を指す。仏法を信仰していないものが釈尊に対して悪意をもって使った呼称)よ。我々は未だに曽て聞いたことも無い法を聞いたが、それを聞き終わって、非常に不快に思った。したがって、我々は君を敬うことはできないし、信ずることもできない。どうか我々の疑心を解いてくれないか?」
 と言って、釈尊に質問を試みようとしました。ところが、逆に、釈尊が彼等に質問をされたのであります。
 「君たちは、人間の生命がどのようにして母親の胎内に宿るか知っていますか。」
 この釈尊の御質問に対し、普行外道の1人は、
 「種々の書物によれば、3つの因縁が和合して母親の胎内に生命が宿ると説いていると聞いている。1つには父と母とが相近づき、2つに煩悩・欲望の心が起こり、3つにその欲望を満足させる。このゆえに母親の胎内に生命が宿るのである。」
 「その煩悩・欲望は、母親の方から起こるのか。」
 「そうとは言い切れない。」
 「では父親の方からか。」
 「そうとも言い切れない。」
 「父親の煩悩・欲望が母親の胎内に入るのか。」
 「いや。」
 「天界の業が尽きて、母親の胎内に入るのか。」
 「知らない。」
 「地獄界の業、畜生界の業、餓鬼界の業、阿修羅界の業が尽きて、母親の胎内に入るのか。」
 「いずれも知らない。」
 「非色(非物質)のものが来て母親の胎内に入るのか。」
 「知らない。」
 「色(物質)のものが来て母親の胎内に入るのか。」
 「知らない。」
 「受(眼耳鼻舌身意の六根で受け入れること)・想(受け入れたものから像を取ること)・行(想によって起こる心の作用)・識(受・想・行の作用を起こす根本意識)が、どこからかやって来て、母親の胎内に入るのか。」
 「知らない。」
 このように、釈尊の御質問に対し、外道たちは、何ら答えることができなかったのであります。
 そこで、釈尊は、外道たちのために、
 「この受胎の法門ははなはだ深い寂滅(悟りの境地)であって、君たち外道の知るところではない。全ての外道は、間違った方向を求めて修行を進めている。それは、教えの根本が間違っているからである」 
 と仰せになられ、更に、
 「善知識(正しい教えを説いてくれる人)に会えば、はなはだ深い法門を説いてくれる。そして、目の悪い人がいて、名医に巡り会うことができ、目を治療してもらって、目が治り、今までに見ることができなかったものを見ることができるようになるようなものである。君たち外道の師弟関係は、目の見えない人が、目の見えない人を導いているようなもので、目的地に到達しないのみならず、たいへん危険である。導師でない人が自ら『導師』と言い、そして、悟りでないものを『悟り』と言い。正しい道を知らないのに『知っている』と言い、正しい道を見てないのに『見た』と言い、結局、本当は他人を教えることが何ひとつできないのに『自分は師匠である』と言う。このような人の教えを邪教と言うのである。」
 と仰せになりました。
 釈尊は、このように厳しく外道を破折されまして、次に受胎の御法門をお説きになられました。
 
 仏法において、「母」とは、私たちが過去の世に行った行為(業)、良い行為(善業)と悪い行為(悪業)の縁のことであり、仏法において「父」とは、過去の世に積んだ善業・悪業の因のことであります。 
 私たちが過去世に行った良い振る舞い、悪い振る舞いを善業・悪業と申しまして、それが因となり、縁となって、和合し、その業の拠り所である母の胎内に生命を宿すのであります。


 (続く)

nice!(22)  コメント(2)  トラックバック(0) 
共通テーマ:blog

受胎の法門 2 [説話等]

○地獄界→人間界
 現在において、いななき破れたようなラバのような声、早口、脅えた声、高い声、浅い声で、小心にして、常に恐れ戦(おのの)き、体中の毛がしばしば立つ。夢には多く、大火の燃え盛ったり、山を走ったり、鉄の釜の煮えたぎったり、人が杖をもって走ったり、自分の体に鉾(ほこ)が突き刺さったり、群がる犬を見たり、たくさんの象が迫って来て自分を踏みつぶす。或いは、何処に向かって歩いても帰るべき所がない。このような悪夢に悩まされる。こういう人の前世は地獄界です。地獄界から人間界に生まれた人と名付けます。

○畜生界→人間界
 愚鈍・少智・怠け者・多食で、好んで土や泥を食べる。性格は弱く、言うことははっきりしない。愚かな人と仲良くなり、暗い所を好む。濁った水を好み、草木をそのままかじることを喜び、足の指で地をえぐり掘ることを楽しみとする。汚い所でも平気。人前であろうと大きな欠伸をする。裸を見て喜び、嘘・お世辞・二枚舌・悪口を喜ぶ。夢には、泥にまみれたり、野の草を食べたり、蛇にまつわり付かれたり、山谷や林の中に入っていく夢を見る。こういう人の前世は畜生界です。畜生界から人間界に生まれてきた人と名付けます。

○餓鬼界→人間界
 髪の毛が黄色く、怒った目をして人をにらみつける。眼球は赤い。性格はけちであり、嫉妬深く、飲食することを喜びとなす。自分は物を努めて蓄えるが、困っている人を見ても、何も与えない。道に物が落ちていると迷わず自分の物にする。他人が良い物を持っていると盗みたいと思い、すきあらば盗む。こういう人の前世は餓鬼界です。餓鬼界から人間界に生まれてきた人と名付けます。

○阿修羅界→人間界
 高慢にして、常に怒り、争いごとの好み、恨みを絶対に忘れない。増上慢にして、体はたくましく、目は白く、歯は犬のように長く露出している。2枚の舌をもって平気で人を傷つけ、平気で人を破壊する。こういう人の過去世は阿修羅界です。阿修羅界から人間界に生まれてきた人と名付けます。

○人間界→人間界
 賢く、素直で、善人に近づき、悪人を嫌う。信義を守り、名聞・称誉を好む。智慧を尊重し、恥というものを知り、慚愧(両字は共に“はじる”という意味)の心を持っている。恩を知り、布施を好む。長幼の序を弁え、有益なこと無益なこと、言い場所と悪い場所の判断・区別ができる。こういう人の過去世は人間界です。人間界から人間界に生まれてきた人と名付けます。

○天界→人間界
 容姿端麗で、清浄を好む。飾り物や香をもって身を飾り、それを喜ぶ。良い音楽、良い歌舞を好む。立派な人と友だちになり、悪人と徒党を組むようなことがない。良い建物を好み、喜ぶ。人を慈しむことを楽しみとし、正しい道を歩む。顔はいつも笑みを含み、怒った顔を見せない。声は柔らかく美しい。会話も上手で人を喜ばせるのは巧みである。服装も装飾品も良い物を選び、それを喜びとする。歩き方も伸びやかである。ひとつのことを始めたら、途中でやめる事なく、必ず最後までやり通す。こういう人の過去世は天界です。天界から人間界に生まれてきた人と名付けます。

 このように、前世に地獄界・畜生界・餓鬼界・阿修羅界・人間界・天界の六道から人間界に生まれ変わってきた人たちの相よりも、もっと立派な相になりたいと思ったならば、本当に正しい教えを持った立派な人、優れた師匠、このような人を仏教では善知識と言いますが、その善知識に近づいて、その人の正しい教えに随い、その人の振る舞いを真似れば、良いのであります。


 (続く)

nice!(24)  コメント(0)  トラックバック(1) 
共通テーマ:blog

受胎の法門 3 [説話等]

○人間界→地獄界→人間界
 人間界から地獄界に生まれ変わった人は、人間界にいるときに、もろもろの悪業を造り、瞋恚(しんに=怒りの心)を起こして殺害をしたために地獄界に落ちてしまいました。そして、地獄界で種々の苦を受けて、人間界のときに造った罪障を消滅して、また人間界に生まれてきたわけでありますが、地獄界にいた時の習気(じっけ=無意識に身についている習慣)が、いまだになお残っております。ですから私たちは、現在の振る舞いを見て、
 『私は前世は地獄界にいたのだ』
 ということが判るのであります。そのような人は、前世の地獄界の業を断ち切らなければならない。そのためには、善知識を求め、教えを受けなければなりません。善知識は、地獄界の業である瞋業(じんごう=怒りの業)を断ち切る方法として、慈悲行を実行し、六波羅蜜の修行(布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧)を満足するように説いて下さいます。

○人間界→畜生界→人間界
 人間界から畜生界に生まれ変わった人は、人間界にいるときに、愚痴の法を行ったために、もろもろの悪業を造り、それによって畜生界に生まれました。この人は、畜生界にいるときに、多くの畜生と生活したため、人間に生まれ変わっても、畜生の生活習慣がでてきます。
 『光日房御書』に、
 「粟をつみたりし比丘は、五百生が間牛となる」
 とございます。
 これは、『法宛珠林巻第三十五』や『法華経文句記巻第二』に説かれているお話です。
 釈尊の御弟子の憍梵波提(きょうぼんはだい)という人は、食事をするとき、牛のように反芻(はんすう)して食べるという変な癖がありました。釈尊は、憍梵波提が過去世において粟を盗んだため、五百年の間、牛として生まれ、このたび、ようやく人間として生まれ変わり、釈尊の御弟子となることができました。しかし、五百年の間、牛として生きたため、その余習として、食事のとき、牛と同じように、反芻して食べるのであると説かれています。
 このように、自分の過去世が畜生界であったと判った人は、畜生界の業を断ち切らなければならない。そのためには、善知識を求め、教えを受けなければなりません。善知識は、畜生界の業である愚痴業を断ち切るために、十二因縁(広辞苑:生存の苦の原因を順に12段階を立てて説明したもの。無明・行・識・名色・六処(六入)・触・受・愛・取・有・生・老死の12項。初期仏教の中心となる重要な教説。後に、前世から現世、現世から来世の三世にわたる輪廻の因果関係を説くものと解されるようになった。)を説いて、過去・現在・未来の三世の生命が、因果によってつながっていることを教えて、愚痴の心を取り除いて下さいます。そして、六波羅蜜の修行の中の、特に般若波羅蜜(はんにゃはらみつ=仏様の智慧)を説いて下さるのであります。


 (続く)

nice!(13)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:blog

受胎の法門 4 [説話等]

○人間界→餓鬼界→人間界
 人間界から餓鬼界に生まれ変わった人は、人間界にいるときに、慳貪(けんどん=けち・物惜しみの心・欲深い心)の法を行ったために、もろもろの悪業を造り、それによって餓鬼界に生まれました。この人は、餓鬼界にいるときに、多くの餓鬼と生活したため、人間に生まれ変わっても、餓鬼の生活習慣がでてきます。そのような人は、前世の餓鬼界の業を断ち切らなければなりません。そのためには、善知識を求め、教えを受けなければなりません。善知識は、餓鬼界の業である慳貪業を断ち切る方法として、六波羅蜜の中の特に布施羅蜜の修行を満足するように説いて下さいます。布施とは、私たちの持っている物を、見返りを求めず、他に与える事です。特に仏法僧の三宝に布施することを御供養と申します。そして、更に般若波羅蜜を説いて下さるのであります。

○人間界→阿修羅界→人間界
 人間界から阿修羅界に生まれ変わった人は、人間界にいるときに、多くの善業を積みはしましたが、憍慢(きょうまん=驕り高ぶる心)を起こしたために、もろもろの悪業を造り、それによって阿修羅界に生まれました。この人は、阿修羅界にいるときに、多くの阿修羅と生活していたため、人間界に生まれ変わっても、慢心があふれた言動になります。そのような人は、前世の阿修羅界の業を断ち切らなければなりません。そのためには、善知識を求め、教えを受けなければなりません。善知識は、阿修羅界の業である憍慢業を断ち切る方法として、憍慢の人が、良く他人を見下します。その悪い性質は誤りであると指摘します。さらに阿修羅の自分中心の考えに対して、無我を説いて、
 「私たちの体は五陰が仮に和合したものである」
 と説いて下さいます。そして、更に般若波羅蜜を説いて下さるのであります。

○人間界→人間界
 人間界から人間界に生まれ変わった人は、人間界にいるときに、十善の業を修めましたので、再び人間界に生まれてきました。十善とは、殺生・不偸盗・不邪淫・不妄語・不綺語・不悪口・不両舌・不貪欲・不瞋恚・不邪見のことです。一眼の亀の譬えの如く、人間界に生まれることが、いかに難しいかが解かります。前世に人間界にいた人は、そのときの習慣が、いまだなお残っております。ですから私たちは、現在の振る舞いを見て、
 『私は前世は人間界にいたのだ』
 ということが判るのです。そのような人は、もっと尊い境界を志すことが必要です。そのためには、善知識を求め、教えを受けなければなりません。善知識は、そのような人のために、
 「一切の物は無常である」
 と説いて下さいます。人間が人間に生まれ変わって、何ら問題ないように思えますが、それは生死の境界と言いまして、まだ迷いの境界であります。善知識は、一切の苦悩を断じ尽くした涅槃の境界を説いて下さり、更に、六波羅蜜の法を説かれ、発心させて、成仏するまで退転しないように導いて下さいます。


 (続く)

nice!(13)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:blog

受胎の法門 完 [説話等]

○人間界→天界→人間界
 人間界から天界に生まれ変わった人は、人間界にいるときに、布施・持戒等の清浄行を修めて天界に生を受けたのであります。天界にいるときに造った、多くの天界の生活習慣が残っております。しかし、天界の喜びと言っても、仏法を信仰する喜び、涅槃の喜びに比べれば、まだまだ小さいものであります。天界から人間界に生まれ変わった人も、やはり善知識を求め、教えを受けなければなりません。善知識は、そのような人のために六波羅蜜の修行とその功徳を説いて下さいます。



 以上のように、釈尊は受胎の御法門を普行外道8千人に御説法されました。外道たちは、初めは釈尊を馬鹿にして、釈尊を困らせるために質問をしようとしておりましたが、その汚い心は、いつしか釈尊に対し奉る尊敬の念に変わり、釈尊の御足に礼拝し、釈尊の御徳と御教えを讃歎し、仏法に帰依しました。
 この人たちが、多くの人たちに仏法を説いたことは言うまでもありません。仏法を信仰している人は、必ず、他の人に仏法を説きます。説かない人は仏法を信仰しているとは言えません。
 日蓮大聖人様は『三三蔵祈雨事』に、
 
 「されば仏になるみちは善知識にはすぎず。わがちえなににかせん。ただあつきつめたきばかりの智慧だにも候ならば、善知識たひせちなり」

 と仰せであります。
 私たちは、1人では成仏できません。善知識によらなければ、成仏はできないのであります。
 善知識とは仏様であります。また、仏様の御教えを正しく承け継いだお方です。
 また、そのようなお方が書かれた書も善知識になります。くだらない本を100冊読むよりも、そのような書が一度でも多く読む事が大切です。更に、私たち凡夫も善知識にもなれば、悪知識にもなります。仏法を信仰している人は、他人の善知識にならなければなりません。

 (完)
nice!(17)  コメント(2)  トラックバック(0) 
共通テーマ:blog

修利槃特(すりはんどく) 1 [説話等]


 釈尊の御弟子の中で、十六羅漢の一人でもあります修利槃特(すりはんどく)尊者についてお話しいたします。この修利槃特につきましては、『法句譬喩経巻第二』・『根本説一切有部毘奈耶巻第三一』等に詳しく説かれております。
 昔、舎衛国(しゃえいこく)の、あるバラモン(司祭者)に、二人の男の子がおりました。
 お兄さんを摩訶槃特(まかはんどく)と申し、大変優れた頭脳の持ち主でありました。
 弟を修利槃特と申します。この修利槃特は、大変な頭が悪く、自分の名前も覚えることが出来ず、自分の名前を書いた板を首にかけていたそうです。
 世間の人々は、修利槃特のことを「馬鹿の槃特」「馬鹿の修利槃特」と呼ぶようになりました。
 やがて、御両親は亡くなり、摩訶槃特・修利槃特の兄弟がのこりました。兄弟二人は大変仲が良く、いつも一緒におりました。
 後に、兄弟は釈尊の御弟子になりました。兄の摩訶槃特は、あらゆる煩悩を断ち切って、阿羅漢の位になったのであります。しかし、弟の修利槃特の方は、そう簡単にはまいりませんでした。
 摩訶槃特は修利槃特に一偈を授けまして、これを一生懸命暗誦するように勧めました。
 その一偈とは、

 「守口摂意身莫犯 如是行者得度世
 (しゅくしゅういしんまくぼん にょぜぎょうじゃどせ=身体と口と心に悪業を造ってはいけない。正しい思いをもって、そして、無益な苦しみから離れなさい)

 との教えであります。 
 一生懸命になって、この一偈を覚えようとしましたが、三年間、結局、覚えることはできません。
 兄の摩訶槃特は、弟は、到底、普通の方法では、御法文を暗誦することも、仏道修行をすることもできないと知って、心を鬼にしまして、
 「このバカ、大バカ者。お前は世界一の大バカ者だ。お前が僧侶になって一体どうなるんだ。無駄だから今すぐここから出て行け」
 と言い渡しました。
 追い出された外で修利槃特は大声で泣きました。
 そのとき、釈尊がそこをお通りになって、泣いている理由を問われたのであります。
 すると修利槃特は、
 「私は生まれついての大バカ者で、今まで一偈も暗誦することができません。そして今、ついにお兄さんにまで見放されて泣いているのであります」
 と答えました。
 釈尊はそれを聞いて、お叱りにはならなかった。それどころか忘れることを「頼もしい」とお褒めになりました。人は大事なことは忘れるくせに、つまらないことを覚え過ぎております。場合によっては、忘れることも大事なのであります。そして、修利槃特に

 「愚人、みずから「愚」と説かば、これを名付けて「智者」となす。愚人みだりに「智」と言わば、これを名付けて「愚痴」となす」

 と一偈を説かれました。
 即ち、愚かな人が、自分を「愚か」と言ったならば、これを「智者」というのであり、愚かな人が「自分は智慧のある智者だ」と言ったならば、これが本当の「愚人」であると説かれたのであります。
 修利槃特は、生まれて初めて「智者」と言われました。それも仏様にです。
 

 (続く)

nice!(12)  コメント(5)  トラックバック(0) 
共通テーマ:blog

修利槃特(すりはんどく) 2 [説話等]

 そして釈尊は修利槃特に、

 「われ塵(ちり)を払い、われ垢(あか)を除かん」

 との二句を授けられました。
 しかし、修利槃特はこのわずかな二句も覚えることができません。
 このことを見て、釈尊は修利槃特の過去の罪障が、甚だ深いことを知られ、この罪障消滅のために一つの行を授けられました。
 それは、全ての僧侶の履物を拭き清めることであります。
 そして、泥を落としながら、口に、
 「われ塵を払い、われ垢を除かん」
 と唱えさせました。
 当然のことながら、他の仏弟子たちは一日で、その二句を暗記しました。更に、舎衛国の仏法を信仰している人も全て、この二句を暗記してしまったのであります。しかし、修利槃特にとっては、このわずかな二句を、なかなか覚えることができなかったのであります。
 毎日毎日、たくさんの僧侶の履物の汚れを落とすということは、大変なことであります。しかし、素直な修利槃特は、少しも嫌がることなく修行に励み、口に、
 「われ塵を払い、われ垢を除かん」
 と唱えました。
 すると、一日一日、修利槃特の過去の罪障が少しずつ消滅してゆき、ある日、ついに悟りを開くに至ったのであります。
 それは、「塵」とか「垢」というのは、単に履物に付いている塵や垢ではなく、人間の心の中の塵や垢である。その心の中の塵や垢は一体何か。それは貪瞋痴(とんじんち)の三毒である。
 貪とは、むさぼりの心、けちな心、欲望の心であり、瞋とは、瞋(いか)りの心であり、痴とは、愚かな、自分本位の心である。 
 この三つの塵や垢を払い落とすことが大事なんだと悟ったのであります。早速、槃特尊者は釈尊のもとへ行き、その事を報告しました。
 すると、釈尊は大いに喜ばれ、修利槃特に、ついに阿羅漢の位を許されたのであります。


 (続く)

nice!(17)  コメント(9)  トラックバック(0) 
共通テーマ:blog

修利槃特(すりはんどく) 3 [説話等]

 釈尊は、修利槃特に比丘尼に説法するように命ぜられました。比丘尼とは、女性の僧侶、尼さんのことであります。釈尊の御弟子の中には五百人の比丘尼、尼さんがいたわけでありますが、釈尊は、この比丘尼達のために、弟子の中でも特に勝れた高弟といわれる方々に、毎日交替で説法教授するように命じられておりました。
 と言いますのも、女性を教化することは、今も昔も変わらず、大変難しい事です。
 修利槃特は、その女性五百人の比丘尼に対して、説法せよと釈尊に命ぜられたのであります。
 これを聞いた比丘尼達は、心の中で修利槃特を馬鹿にしておりましたので、慢心を起こしました。
 「私の方が先輩だ」とか、「私の方が仏教の事を知っている」とか、「バカの槃特」・「バカの槃特」と散々こけ降ろした揚げ句、一人の比丘尼が、
 「明日あのバカの槃特が説法する時、私たちが先に『われ塵を払い、われ垢を除かん』と言って、恥をかかせて、笑ってやりましょう」
 と提案しまして、皆それに賛成したのであります。
 翌日、いよいよ槃特尊者が比丘尼達の所に現れました。
 五百人の比丘尼達は、ニヤニヤと笑っております。
 「さあ、今から、このバカの槃特に恥をかかせてやろう」
 と心に思っていたのであります。
 槃特尊者は、手を洗い、口をすすいて、高座に登られました。槃特尊者にとって、生まれて初めての説法が始まりました。
 すると、それまで恥をかかせてやろうと思っていた五百人の比丘尼達の口が、誰一人開かず、皆ポロポロと涙を流して泣きだしたのであります。
 五百人の比丘尼達は、自分達の思い上がった心、汚い心に恐怖と恥を感じて、その涙が止まらなかったのであります。
 そんなことは、何も知らない槃特尊者は、「われ塵を払い、われ垢を除かん」の二句を説き、貪瞋痴の三毒が心に著かないようにと、仏道修行の方法を説き教えたのであります。
 槃特尊者にしてみれば、生まれて初めての説法であります。ですから、決して上手ではありません。上手ではありませんが、心を込めて一生懸命説法しました。別に珍しい話ではありません。今まで何度も外の人から聞いたことばかりであります。
 すると、どうでしょうか。この槃特尊者が、まるで釈尊が御説法されているように感じられたのであります。
 そして、今までどんな立派な方々が説法されても、煩悩が断ち切れなかった比丘尼達が、この槃特尊者の御説法によって、煩悩を断ち切ることができまして、五百人の比丘尼達がそろって阿羅漢の位に昇ることができたのであります。
 比丘尼達は、心を込めて、槃特尊者を礼拝しました。


 (続く)

nice!(14)  コメント(3)  トラックバック(0) 
共通テーマ:blog

修利槃特(すりはんどく) 4 [説話等]

 時に、釈尊の御弟子たちが集まって、釈尊に修利槃特尊者の因縁に就いて尋ねられました。
 即ち、
 「槃特尊者は何故、御自分の名前も覚えられないほどの世界一の愚か者であり、一旦、悟りを開くと、あっという間に、舎利弗尊者に肩を並べるほどの高弟となられた。これには、一体、どういう因縁があるのでしょうか。」
 この問いに対し、釈尊は次のようにお答えになりました。
 
 「昔、迦葉波仏(かしょうはぶつ)という仏様がいらっしゃった時に、二万人の御弟子たちがおられました。その中で、最も優れて頭が良かったのが、この槃特尊者である。槃特尊者は仏様の教えを全て暗記し、人びとから大法師として崇められました。しかし、槃特尊者は次第に慢心を起こし、他の弟子たちをバカにするようになりました。物惜しみの心を起こして、人びとに法を説かなくなったのであります。つまり、
『自分は頭が良い。他の者はバカだ。そんなバカのために説法したくない』 
と思い、人に法を説かないという慢心の科(とが)と物惜しみの科との二つの罪を犯し、そして命終したのであります。
次に生まれ変わった時は、仏様のいらっしゃらない時代で、勿論、仏様の教えもない時代でありました。
その時、槃特尊者は、猪を殺して、その肉や皮を売って生計を立てる仕事に就きました。
数え切れないほどの猪を殺し、しかも『かわいそう』という憐愍(れんみん)の心を起こすことなく、ただただ一円でも多くお金を稼ぐことをも目的にしておりました。ある日、川で溺(おぼ)れた時、一人の縁覚(えんがく=ひとりで悟りを求める人)に助けられました。
槃特尊者は、その縁覚に恩返しをしようと思って、縁覚の住む所に行きました処、そこには五百人の縁覚がおりました。
槃特尊者は、どの人が自分を助けてくれた縁覚か判らなかったので、そのー五百人の縁覚に御給仕をして恩返しをしたのであります。
そして、命終して、今世に生を受けたのである。
だから、君たちも、決して法を説くことを慳(おし)んではいけない。きれいな心で、人のために法を説きなさい。そして、全ての生命に愍(あわれ)みの心を持ちなさい」

 と言われたのであります。

 (続く)

nice!(15)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:blog

修利槃特(すりはんどく) 完 [説話等]


 釈尊は、この槃特尊者が過去世の罪障を消滅して、今世には立派な僧侶になったことを世間の人々にも知らせたくて、槃特尊者と三百人の僧侶をお供に、波斯匿王(はしのくおう)の御城に向かいました。
 お城には門番がおりまして、門番は釈尊と三百人の僧侶をお城の中に入れましたが、槃特尊者を見るや、槃特尊者を馬鹿にして、お城の中に入れなかったのであります。
 槃特尊者は一人門の外に残されました。
 槃特尊者は、
 「今日は釈尊の御給仕をさせて頂くためにお供してきたのに、釈尊とはなればなれにされてしまった。それならば、この門の外で御給仕をさせて頂こう。」
 と思いまして、釈尊のお姿をお思い浮かべ、御給仕の真似ごとを始めました。
 それを見ていた門番は、
 「又、バカの槃特が変なことをやり始めた。」
 と思ったのであります。
 そのころ、お城の中では、大変なことが起こっておりました。
 釈尊がお城に着くや、水の入ったタライが、空中に浮かんで近づいてきた。よく見ると、そのタライには、人間の手の臂(ひじ)から先が付いていたのであります。
 次は、水の入ったコップが、次は、きれいなて手ぬぐいが、空中に浮かんで、釈尊のもとに来て、釈尊もまた、当然のようにそれを使い、手を洗い、口をすすがれたのであります。
 波斯匿王はそれを見て、大変驚いて、釈尊に、
 「これは、どういうことでしょうか。この手は、一体どなたの手でしょうか。」
 と尋ねたのであります。
 釈尊は、
 「この手は、私の弟子の修利槃特の手であります。今日、私は修利槃特に給仕をさせる為に連れて来たのでありますが、門番の人にとがめられて、実は今、門の外にいるのです。そして、門の外で、私に給仕しているのです。私と修利槃特は、どんなに離れていても、心が通じているから、こういうことができるのです。」
 と仰せになったのであります。
 波斯匿王は、慌てて門の外の槃特尊者をお城の中に招き入れました。
 そして再び、釈尊に尋ねました。
 「失礼ですが、釈尊、聞くところによりますと、槃特尊者は大変頭が悪く、三年経っても一偈覚えることができず、最近、ようやく二句を暗記することができたそうでございますが、一体どうして、このような立派な御僧侶になられたのでありましょうか。」
 この質問に対し、釈尊は、
 「王よ、お経文をいかにたくさん暗記しようとも、行ずることの方が尊いのであります。たくさんのお経文を暗記しても、その心が判らなかったならば、何の功徳もありません。たった一つのお経文でも、正しく理解し、修行したならば、大きな功徳があるのです。」
 と仰せになりました。
 これを聞いて、三百人の僧侶は阿羅漢の位を得ることができました。又、国王も、婦人も、太子も、大臣も大変喜び、国中の人々は、もう誰も「バカの槃特」と呼ぶ者はいなくなり、「釈尊の御弟子、十六羅漢の一人、修利槃特尊者」と褒め称えるようになったのであります。
 後に、釈尊は『法華経』を説かれ、槃特尊者はこの『法華経』を全く疑うことなく信じたのであります。この『法華経』を素直に信ずる大功徳により、釈尊より「普明(ふみょう)如来」の記別(きべつ=仏様が弟子の未来の成仏を御約束されること)を受けられたのであります。

 仏様の功徳、『法華経』の功徳の大きさを示された槃特尊者を見習って、純粋な信心をしたいものです。

                                                 完
nice!(32)  コメント(4)  トラックバック(0) 
共通テーマ:blog

群盲索象(ぐんもうさくぞう) [説話等]


 人には誰でも、大なり小なり慢心というものがあります。仏道修行をする上では、この慢心は大敵となります。折角、尊い仏法を信仰していながら、慢心を起こしたならば、得るべき功徳がは得られず、かえって悪童に堕ちてしまいます。なぜなら、慢心を起こした人は、「自分は正しく、他人は間違い」・「自分は勝、他人は劣」と思い込んで、人を見下し、人と争う修羅の心を生ずるからであります。
 『六度集経(ろくどじっきょう)巻第八明度無極章(みょうどむごくしゅう)第六』(国訳本縁6-309)に、有名な「群盲索象(ぐんもうさくぞう)」、或は「模象(もぞう)の科(とが)」と言われるお話が説かれてあります。
 昔、鏡面王(きょうめんおう)という仏法を篤く信仰する王がおりました。王は、多くの臣下・国民が仏法を信ぜず、様々な程度の低いつまらない教えを信じて、それによって争っていたので、何とかそれらを捨てさせ、尊い仏法を信仰させようと思っておりました。
 ある日、王は国内の生まれつき目の見えない人を集めました。
 そして、鏡面王は、その生まれつき目の見えない人たちに、大きな象をさわらせてみるよう命じました。
 その人たちは、象とはどのようなものなのか、話には聞いておりましたが、さわれるのは生まれて初めての事であります。
 ある者は足をさわり、ある者は尾、ある者は腹、ある者は脇、ある者は背、ある者は耳、ある者は頭、ある者は牙、又、ある者は鼻をさわり、おのおの、
 「象とは、このようなものか」
 と思ったのであります。
 象をさわり終わると、その目の見えない人たちが、何か言い争いを始めました。
 鏡面王は、その様子を見て、
 「お前たちは、今、象にさわってみただろう。果たして、象はどのようなものだったか言ってみよ」
 と言いました。
 すると、足をさわった者が、
 「国王よ、象とは大きな漆おけのようなものであります」
 と答えました。 
 尾をさわった者は、
 「いえ、ほうきのようなものであります」
 尾の元をさわった者は、
 「いえ、二人とも間違っております。象とは杖のようなものであります」
 腹をさわった者は、
 「いいや、違う。太鼓のようなものだ」 
 脇をさわった者は、
 「壁のようなものだ」
 背をさわった者は、
 「高い机のようなものだ」
 耳をさわった者は、
 「大きな箕(み)のようなものだ」
 頭をさわった者は、
 「大きな顔のかたまりのようなものだ」
 牙をさわった者は、
 「角のようなものだ」
 最後に、鼻をさわった者は、
 「国王よ、象とは大きな縄のようなものであります」
 と答えました。
 皆、自分の手で、直接、象に触れた者ばかりであります。ですから、
 「自分が正しい、自分こそが正しく、他の者は間違っている」
 と主張して譲らなかったのであります。
 その争いの様子を見ていた鏡面王は、臣下一同に対して、
 「目の見えない人たちを笑ってはいけない。目の見えない人たちの争いの姿は、お前たちと一緒である。皆、真理に迷って、自分の信じているつまらない教えを、最高の教えだと主張して争っている。お前たちは、もっと大きく尊い仏教の教えを知るべきである。目の見えない人たちは、空しく争って、自分は正しく、他人は間違いであると非難した。一頭の象をめぐって、お互いに争った。そのような愚かな争いをしてはならない。そのような争いをする者は、目があって、真実の目がない者である」
 と。
 鏡面王の言葉を聞いた人々は全て、自分の執着していた宗教を捨てて、仏教の教えを学ぶようになりました。
 この鏡面王が生まれ変わって、釈尊になられました。
 このお話の中で、おもしろいことは、目の見えない人たちは、皆、直接さわった上、誰も嘘を言っていないのに、皆、間違っているということです物事の一部分を指して、全体であると思ったならば、それは大きな間違いであるということです。物事の全体を把握することが、いかに難しいかが良く判ります。
 仏法を学ぶためには、自分の智慧に頼ったならば、往々にして間違ってしまいます。仏様の御言葉と仏様より正しく法を譲られた方(正しい師匠)によるべきであります。

 「心の師とはなるとも心を師とせざれ」(『曽谷抄』)


                                                  了

nice!(13)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:blog

閻魔王と5人の天使 1 [説話等]


 一切衆生の中で、人間に生まれることは、たいへんに、まれなことであります。私たちが、人間に生まれた真の意義・目的は、仏道修行をして、身(しん)・口(く)・意(い)の三業に、功徳・善根(ぜんこん)を積むためであります。
 ところが、それを知らず、また、忘れて、悪業を積む人がおります。そのような人は、死して成仏できず、閻魔(えんま)王の前に引き立てられ、裁きをうけ、地獄・餓鬼・畜生の三悪道に堕ちるのであります。
 閻魔王は、猛悪忿怒(みょうあくふんぬ)の赤い顔をして、眼は光り、その顔を見ただけで、魂も消えそうになります。また、その声は、百千の雷が同時に鳴ったような大きさであり、鼓膜(こまく)を破らんほどです。
 この閻魔王が、娑婆世界に5人の天使を遣わして、一切衆生に仏道修行を勧めているということが、『中阿含経巻第十二 王相応品第六 天使経第七』(国訳阿含部4-257)に説かれてあります。 
 閻魔王の配下の獄卒(ごくそつ)が、亡者を、閻魔王の御前に引き連れて、
 「天王(てんのう)。この者は人間でありましたが、父母に孝養をつくさず、僧侶や徳のある立派な人を敬わず、善業を積まず、悪業を積みました。ただ願わくば、天王、この者の罪をお裁き下さい」
 これを聞いて、閻魔王の裁きが始まります。
 「そなたは、人間であったとき、私が、人間界に使いとして遣(つか)わした第1の天使を見たことがあるか」
 「いいえ。見ておりません」
 「そなたの村の中に、赤ちゃん幼児が、自らの大小便に汚れているところを父母が見て、その身を洗い清めたのをみたことがないか」
 「それならば、見たことがあります」
 「それが、私が人間界に遣(つか)わした第1の天使である。そなたは、それを見て、『私も、このように、この世に生を受けたのだ。父母の恩を報ずるためにも、仏道修行をして、身・口・意の三業に善根を積もうと思わなかったのか」
 「思いませんでした」
 「そなたは、放逸(ほういつ)な人間である。そのために、罰を受けなければならない。それは、そなたの父母のせいではない。国王のせいでもない。天のせいでも僧侶のせいでもない。外(ほか)ならぬ、そなたが造った悪業のためである。今から、そなたは、その報いを受けなければならない」
 次に、閻魔王は、罪人に、
 「そなたは、人間であったとき、第2の天使を見たことがあるか」
 「いいえ、見ておりません」
 「そなたの村の中に、年老いて寿命が尽き、歯も無く、頭は白く、体は曲がり、杖を頼りに、身を震わせて歩く姿を見たことがないか」
 「それならば、見たことがあります」
 「それが、私が、人間界に遣わした第2の天使である。そなたは、それを見て、『私も、いずれは、そのように年をとって老いていく。そのためにも、若いうちから、信心をして、身・口・意の三業に善根を積もう』と思わなかったのか」
 「思いませんでした」
 「そなたは、いい加減な人間である。そのためにも、罰を受けなければならない。それは、誰のせいでもない。外ならぬ、そなたが造った悪業のためである。今から、そなたは、その報いを受けなければならない」
 次に、閻魔王は、罪人に、
 「そなたは、人間であったとき、第3の天使を見たことがあるか」
 「いいえ。見ておりません」
 「そなたの村の中に、重病の人が苦しみ、命の尽きようとする姿を見たことがないか」
 「それならば、見たことがあります」
 「それが、私が、人間界に遣わした第3の天使である。そなたは、それを見て『私も、いずれは、あのように病に苦しむときが来る。そのためにも、健康なうちから、篤く仏法を信仰して、身・口・意の三業に善根を積もう』と思わなかったのか」
 「思いませんでした」
 「そなたは、ダメな人間である。そのためにも、罰を受けなければならない。それは、誰のせいでもない。外ならぬそなたが造った悪業のためである。そなたは、その報いを受けなければならない」


 (続く)

nice!(12)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:blog

閻魔王と5人の天使 完 [説話等]


 次に閻魔王は、罪人に、
 「そなたは、人間であったとき、第4の天使を見たことがあるか」
 「いいえ、見ておりません」
 「そなたの村の中に、人が死んで、その死骸を鳥や獣が食べたり、火葬場で焼かれたり、爛(ただ)れたり、腐ったりする姿を見たことがないか」
 「それならば、見たことがあります」 
 「それが私が、人間界に遣わした第4の天使である。そなたはそれをみて『私もいずれは、死んでしまう。生きているうちに少しでも多く、身・口・意の三業に善根を積もう』と思わなかったのか」
 「思いませんでした」
 「そなたは、愚かな人間である。そのために罰を受けなければならない。それは誰のせいでもない。外(ほか)ならぬ、そなたが造った悪業のためである。そなたは、その報いを受けなければならない」
 最後に閻魔王は、罪人に、
 「そなたは、人間であったとき、第5の天使を見たことがあるか」
 「いいえ、見ておりません」
 「そなたの村の中に、国王が悪人を捕らえて、その罪に応じて、手を切ったり、足を切ったり、手足共に切ったり、耳を切ったり、鼻を切ったり、檻の中に入れたり、火あぶりにしたり、刀で切ったり、杖や棒で打ちすえたり、生きながらにして、柱に張り付けにしたり、その首を晒(さら)したりする姿を見たことがないか」
 「それならば見たことがあります」
 「そなたは、それを見て、『わたしも不善・悪業を行じたならば、あのように罰せられる。生きているうちに、悪業を積まず、真剣に仏道修行を行じ、身・口・意の三業にわたって、功徳・善根を積もう』と思わなかったのか」
 「思いませんでした」
 「そなたは、救いようのない人間である。そのために罰を受けなければならない。それは、誰のせいでもない。外ならぬ、そなたが造った悪業のためである。そなたは、その報いを受けなければならない」
 このように、赤ちゃん・老人・病人・死人・罪人の5人が、閻魔王が、人間界に遣わした天使であります。閻魔王が、私たち人間に、
 「仏道修行をしなさい。功徳・善根を積みなさい。悪業を積んではいけない」
 と教えるために遣わされた天使であります。
 このように、亡者は、閻魔王の裁きを受けて、罪の重い者は地獄へ送られるのです。ただし、正法をもって、故人を回向すれば、地獄に堕ちることはありません。しかし、遺族に回向してもらう事を期待するよりも、まず、自分自身が、真剣に仏法を信仰し、身・口・意の三業にわたって、功徳・善根を積む事が何よりも大事であります。これが、私たちが人間に生まれてきた意義であり、目的であります。悪縁にたぼらかされて、その目的を見失ってはなりません。


                                                   了
nice!(13)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:blog

心の財(たから) 1 [説話等]

 『雑阿含経(ぞうあごんぎょう)』(大正新脩大蔵教2-495)に、有名な「4人の妻」というお話があります。
 昔、あるところに、ひとりの男がおりまして、この男には4人の妻がおりました。この長者の寿命が尽きて、いよいよ、明日は死ぬということになりました。
  『いよいよ、オレも明日、あの世とやらに行かなければならない。人から聞けば、「あの世とは、たいへん良いところである」という者もいる。また、「あの世とは恐ろしいところである」という者もいる。いずれにしても、ひとりで、あの世に行きたくない。4人も妻がいるのだから、だれか、付いて来てはくれまいか』
 と思ったのであります。
 そこで、その男は第1番目の妻を呼びました。この第1番目の妻は、この男がいちばん愛したであり、小さい時から、ずっと、一緒にいた妻であります。この第1番目の妻に、
  「私は寿命が尽きて、明日、あの世に行く。私はお前を、いちばん愛していた。小さい時から、ずっと、一緒だったじゃないか。どうか、明日、私と一緒に、あの世へ行ってくれないか」
 と頼んだのであります。
 ところが、第1番目の妻は、
  「あなたが死んだ後、家のことや、仕事のこと等、するべきことがたくさん残っております。どうか、あの世には、1人で行ってください」 
 と言って断ってしまった。
 次に第2番目の妻、この妻は、たいへん若くて美しく、たくさんの恋敵の中から勝ち得た妻であります。この妻に、
  「明日、私と一緒にあの世へ行ってくれ」
 と頼みますと、
  「私は、まだ若くて美しいから、あなたが死んだ後は、また別な男性を見つけて幸せになります。どうか、、あの世には、1人で行ってください」
 と言って断ってしまった。
 次に、第3番目の妻、この妻は、この男にとっていちばん心の落ち着く妻でありました。この妻に、
  「明日、私と一緒にあの世へ行ってくれ」
 と頼みますと、
  「あなたのお葬式は、私が責任もって盛大に執り行います。法事も、墓参りも欠かしません。しかし、寿命がある限り、まだ生きていたい。どうか、あの世には、1人で行ってください」
 と言って断ってしまった。
 最後に第4番目の妻、この妻は、妻とは名ばかりで、奴隷のように、こき使われていた妻でありました。しかし、愚痴も涙もこぼしたことが無かった。
 この妻に、
  「明日、私と一緒にあの世へ行ってくれ」
 と頼みますと、
  「あなたがたとえ、素晴らしいところに行っても、恐ろしいところへ行っても、未来永劫にわたって、ついて行きます」
 と言ったのであります。

 このお話の、第1番目の妻、その男がいちばん愛していた妻とは、私たちの体であります。私たちは、生まれてから死に至るまで、いちばん大事にするのは、自分の体であります。中には、丈夫な人もいれば、病弱な人もおります。足の速い人もいれば、遅い人もおります。頭の良い人もいれば、そうでもない人もおります。手先の器用な人もいれば、不器用な人もおります。しかし、その体をあの世まで持っていくことができません。
 頭の善し悪し、健康・病弱、器用・不器用、は、私たちの成仏とは、関係ありません。

 第2番目の妻、若くて美しい妻とは、私たちが汗水垂らして蓄えた財産とか、名誉とか、社会的地位といったものです。これもあの世まで持っていくことができません。死んでしまったならば、結局、他人の物になってしまうものであります。
 それどころか、日蓮大聖人様は『持妙法華問答抄』に、
 名聞名利は今生のかざり、我慢偏執は後生のほだし(紲)なり。嗚呼、恥ずべし恥ずべし、恐るべし恐るべし。・・・名聞狐疑偏執を致せるは堕獄の基(もとい)なり
 と仰せになっておりますように、この第2番目の妻は、むしろ、堕地獄の因にも、なりやすいのであります。


 (続く)

nice!(21)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:blog

心の財(たから) 2 [説話等]

 第3番目の妻、この男にとっていちばん、心の落ち着く妻とは、本当の奥さんであります。
 男性にとりましては、奥さん・親・兄弟・子ども・心の許せる親戚・友人等であり、女性にとりましては、、ご主人・親・兄弟・子ども・心の許せる親戚・友人等であります。これらは、人生における大事な人たちでありますが、あの世に一緒に行ってくれるわけではありません。どちらかが先に逝き、どちらかが残るのであります。しかし、信心のこと、仏法のことを教えてくれたり、一緒に仏道修行してくれたりしたならば、その人は、善知識というありがたい存在となります。信心・仏法から遠ざけようとしたり、寺院参詣の妨げをしたならば、悪知識になるのであります。
 第4番目の妻、妻とは名ばかりの奴隷のような妻は、未来永劫に亘って、ついてきてくれる妻とは、私たちの心であります。私たちが、生まれてから死ぬまで、さまざまな、良いこと、悪いことを思ったり、実行したりします。これは、善業・悪業と申しまして、これが心となって、未来永遠に付いて回ってくるのであります。
 このお話の第1番目の妻が、身の財であり、第2番目の妻が、蔵の財であり、第3番目の妻の、善知識は、心の財の縁であり、第4番目の妻の、善業が、心の財の体、心の財そのものであります。
 すなわち、心の財を積むことこそが、私たちが生きていくうえで、最も大切なことであり、未来まで持っていける唯一の尊い宝であります。

 
 (続く)

nice!(20)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:blog

心の財(たから) 3 [説話等]

 その心の財とは一体、何であるのかと言うと、それは種々有りますが、根本は、仏法僧の三宝を信ずるという心であります。私たちが仏法僧の三宝を信ずることによって、私たちの心は、七宝によって飾られるのであります。

 七宝とは、いちおう、金(こん)・銀(ごん)・瑠璃(るり)・玻璃(はり)・瑪瑙(めのう)・真珠・玫瑰(まいえ)のことでありますが、天台大師の『法華文句巻第八』(国訳経疏部2-370)や日蓮大聖人様の『阿仏房御書』や『御義口伝』に、七聖財(しちしょうざい)の聞(もん)・信(しん)・戒(かい)・定(じょう)・進(しん)・捨(しゃ)・慚(ざん)であると仰せになっております。
 すなわち、『阿仏房御書』に、
 「聞・信・戒・定・進・捨・慚の七宝を以てかざりたる宝塔なり」
 とあり、『御義口伝 上』に、
 「有七宝(うしっぽう)の事 御義口伝に云はく、七宝とは聞・信・戒・定・進・捨・慙なり。又云はく、頭上の七穴なり。今日蓮等の類南無妙法蓮華経と唱へ奉るは有七宝の行者なり云云」
 と仰せであります。
 七聖財とは、仏道修行する上で必要な7つの法の財ということであります。


 (続く)

nice!(15)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:blog

心の財(たから) 完 [説話等]

七聖財とは?

 「聞(もん)」とは、正法をよく聞くこと。つまり聞法であり、これが第1に大切なことであります。正法をよく聞かないことには、次の「信(しん)」は生まれてきません。
 「信(しん)」とは、聞法によって、その正法を信受するということであります。
 「戒(かい)」とは、防悪持善ということでありまして、悪を防ぎ、善を持つ、善を勧めるというのが「戒」であります。
 「定(じょう)」とは、信心する上に、必ず、三障四魔(三障:煩悩障すなわち貪瞋痴の惑と、業障すなわち五逆・十悪の業と、報障すなわち地獄・餓鬼・畜生の苦報。四魔:衆生を悩ます4種の魔。貪欲・瞋恚・愚痴などの煩悩が煩悩魔、五蘊{ごうん}の和合から成る肉体が陰魔、人の寿命を奪う死が死魔、欲界の第六天の魔王が人間の心身を乱すのが他化自在天魔。)が現れる。また、人生において、さまざまな悪いことに出会う。それらに心を動かされない。紛動されない、信心から離れないということであります。
 「進(しん)」とは、精進、一所懸命、信心するという事であります。停滞したり、緋の一時的に燃えるような信心ではいけない。水の流れるような不断の信心をするということであります。
 「捨(しゃ)」とは、妙法蓮華経のために、信行を惜しまない。一心欲見仏、不自惜身命(いっしんよっけんぶつ、ふじしゃくしんみょう:一心に仏を見たてまつらんと欲して、自ら身命を惜しまず)の修行をする。信行の邪魔になる物事・煩悩に執着しないということであります。
 「慚(ざん)」とは、慚愧(ざんき)の略であります。仏法を信仰する人は、常に、向上心を持たなければならない。自分が向上するためには、常に、自分の心を慚愧しなければなりません。
 
 何か善いことを見聞しては、自分自身を反省し、何か悪いことを見聞しては、自分自身を反省することが「懺」であります。
 何か悪いことが起きると、人間は、だいたい、他人のせいにします。自分のせいにする人は、あまり、おりません。しかし、仏法を信仰する人は、それではいけません。悪いことが起こったならば、何でも、まず、自分が反省することが大事であります。

 『涅槃経巻第十九 梵行品第八』に、
 
 「二つの白法有りて、能く衆生を救う。一つには慚(ざん)、二つには愧(き)なり。慚とは自ら罪を作らず。愧とは他を教えて作らしめず。慚とは内自ら羞恥(しゅうち)し、愧とは発露(ほつろ)して人に向かう。慚とは人に羞じ、愧とは天に羞ず。是れを慚愧と名づく。慚愧無き者は、名づけて人と為さず。名づけて畜生と為す。慚愧有るが故に、則ち能く父母・師長を恭敬し、慚愧有るが故に、父母・兄弟・姉妹有り」(国訳涅槃部1-394)

 とございます。
 自分の心を恥じることを「慚」といい、他人に恥じることを「愧」と言います。また、人に恥じることを「慚」といい、天に恥じることを「愧」と言います。慚愧の心のない人は「人間」とは言えません。そのような人を「畜生」と名付けるのであります。
 私たちが、仏法を信仰するということは、この7つの尊い宝によって飾られた宝塔であるということであります。私たち仏法を信仰する者の心は、いつも、この7つの宝で飾られていなければなりません。この聞・信・戒・定・進・捨・慚の七宝のひとつひとつが、私たちを幸福の境界に運んでいく心の財であります。
 末法の御本仏日蓮大聖人様の御教えは、この七宝に限らず、すべて、心の財になるものばかりであります。そして、その心の財の根本が、南無妙法蓮華経の五字・七字であります。


                                              了
nice!(17)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:blog

酒に三十五の失(とが)あり [説話等]

 仏法には五戒と言って、基本的な5つの戒めがあります。それは、不殺生戒(ふせっしょうかい)・不偸盗戒(ふちゅうとうかい)・不邪淫戒(ふじゃいんかい)・不飲酒戒(ふおんじゅかい)・不妄語戒(ふもうごかい)の5つです。
 この中の不飲酒戒とは酒を1滴も飲んではいけないというものではありません。
 日蓮大聖人様もお酒を召されていたようでありますし、日蓮正宗の二大法要の1つ御大会では三三九度の儀式が奉修されております。また、御本尊様へのお供え物としても酒は欠かせません。
 おとなりの中国では、酒は夏(か)の国を築いた禹王(うおう)のときできたと言われております。
 儀狄(ぎてき)という者が酒を造り、禹王に献上したところ、禹王は酒が美味しいことを認めながらも、
  「後世必ず酒を以て国を亡ぼす者あらん」 
 と言って、儀狄を重用せず、後の人を戒めたということであります。
 しかし、夏の最後の王となった桀王(けつおう)は、まさに、この酒のために国を亡ぼしてしまったのであります。
 酒を「聖人」とも「賢人」とも称え、「命の水」とも申します。
 酒に10の徳があります。即ち、百薬の長、延命長寿をもたらす。旅行の食、寒さをしのぐ。持参に便あり、憂いを忘れさせる。位無くとも貴人と交わり、労苦を癒してくれる。万人と和合し、独居の友となる。しかし、これは、あくまでも適量を飲んだ場合に限ります。
  『法華経抄』に、
  「初め則ち人・酒を呑み、次に則ち酒・酒を呑み、後に酒・人を呑む」
 とあります。
 初めのうちは人間が呑んでいた酒が、次には体の中の酒が外の酒を呑むようになり、最後には酒が人を呑むようになります。こうなると酒は数々の災いをもたらします。
 竜樹菩薩は、『大智度論巻第十三』に「酒に三十五の失(とが)あり」として、

 1には、現世に財産がなくなる。なぜなら、酒に酔うと心に節限なくなり、無駄な出費をするからであります。
 2には、いろいろな病気の原因である。
 3には、争いのもとである。
 4には、裸になっても恥ずかしいとも思わない。(過去にいましたね・・・)
 5には、評判が悪くなり、人から敬われない。
 6には、智慧を覆い隠す。
 7には、今得られるべき物が得られず、既に得ている物を失う。
 8には、秘密にすべきことをベラベラと喋ってしまう。
 9には、仕事が出来なくなる。
 10には、酔いが醒めては慚愧(ざんき)・憂愁の本となる。
 11には、体力がなくなる。
 12には、健康が損なわれる。
 13・14には、父母を敬わなくなる。
 15には、僧侶を敬わない。
 16には、婆羅門を敬わない。
 17には、目上の人を敬わない。
 18・19・20には、仏・法・僧を尊敬しなくなる。
 21には、悪人と仲良くなる。
 22には、賢人・善人を遠ざける。
 23には、破戒の人となる。
 24には、無慚無愧なり。
 25には、欲情を制することが出来ない。笑だしたら笑い続け、泣きだしたら泣き続けたりする。
 26には、いやらしくなる。
 27には、人から憎悪される。
 28には、親族や良い友人から嫌われ、捨てられる。
 29には、悪いことをする。
 30には、善いことをしなくなる。
 31には、立派な人から信用されない。なぜなら、酒を呑むと我がままになるからである。
 32には、涅槃を離れる。
 33には、気違いの縁を作ってしまう。
 34には、短命の上、死んでから地獄に堕ち、再び人間に生まれ変わることが出来ない。
 35には、万が一、人間に生まれ変わったとしても気違いとなる。
 このような種々の過失があると説いています。重々戒めるべきでありましょう。
 
                                             了
nice!(14)  コメント(5)  トラックバック(0) 
共通テーマ:blog

伍子胥(ごししょ) 1 [説話等]

●序

 何ごとも、1人で達成するということは至難の業であります。まして、天下を取る、天下を治めるということは、立派な部下・家臣がいて初めて出来得ることであります。
 古来より、天下を取るような王には、立派な家臣がおりました。しかし、王が慢心を起こして、忠義な家臣、立派な部下の言葉を用いなくなったら、その王の生命は終わりです。其の国も滅んでしまいます。
 ここに、中国の覇王と成りながら、忠義無二の家臣・伍子胥(ごししょ、~前485)の諌暁を疎ましく思い、伍子胥に切腹を命じたため、ついには、自らの命を断つことになってしまった呉の第25代・夫差(ふさ、在位前495~前473)という王がおりました。

●伍子胥、楚より呉に亡命

 中国の春秋時代、楚の第27代平王(在位前528~前516)のときのことです。平王の太子建(けん)には、太傅(たいふ=太子の後見役)として伍子胥と、小傅として費無忌(ひぶき)という人が付いておりました。
 前522年、平王は、奸臣・費無忌の讒言を信じて、伍子胥の父・伍奢と伍尚とを殺してしまいました。
 難を逃れた伍子胥は、一旦、亡命して、楚の平王に対して、父と兄の復讐をすることを決意します。
 伍子胥は亡命の際、仲の良かった申包胥(しんほうしょ)に、
  「私は、必ず楚を滅ぼしてやる」
 と言いました。
 すると、愛国の士・申包胥は、
  「そのときは、私が楚の国を守ってみせる」
 と答えました。
 伍子胥は、申包胥と別れ、楚の国を離れて、宋・鄭・晋を転々と亡命し、最後に呉に亡命しました。呉の力を借りて事を成し遂げようとしたのであります。そして、呉の太子光(こう)の賓客となりました。
 当時、呉の国と楚の国とは大変仲が悪かった。その濫觴は、呉の娘と楚の娘とが、国境近くで養蚕用の桑の葉を奪い合った事により、この娘2人が喧嘩をし、両家の対立になり、2つの村の争いになりました。そして、呉の村が皆殺しになるという結果となりました。
 何と、桑の葉が原因で、二国が憎しみ合い、戦争をするまでに発展したのです。


 (続く)

nice!(36)  コメント(1)  トラックバック(0) 
共通テーマ:blog

伍子胥(ごししょ) 2 [説話等]

●呉の王家の騒動

 呉の王家にクーデターが起こりますが、その起因について申し上げます。
 呉の第19代・王寿夢(おうじゅぼう)には4人の太子がおりました。長男・諸樊(しょはん)、次男・余祭(よさい)、三男・余昧(よまい)、四男・季札(きさつ)です。
 この4人の兄弟の中で、四男の季札が際立って優秀で、寿夢はこの季札に王位を譲ろうと考えておりました。呉の人民もそれを望んでおりました。しかし、肝心の季札が、どうしても王位に就くことを固辞したのであります。
 そこで仕方なく、長男の諸樊(在位前560~前548)に王位を譲りました。
 第20代諸樊は、父・寿夢が末弟の季札に譲りたかっていたことを知っておりましたので、自分の後、王位を継ぐように勧めましたが、やはり季札は断りました。
 そこで諸樊は、長男、次男、三男と継いで、その後に四男の季札に王位を継がせて、父の望みを叶えようと考えたのであります。
 王位は、諸樊から第21代余祭(在位前547~前531)へ、余祭から第22代余昧(在位前530~前527)へと予定通り受け継がれました。
 余昧は即位4年にして王位を季札に譲ろうとしました。しかし季札は王位を受けず、辞退してしまった。
 そこで余昧は自分の子・僚(りょう、在位前526~前516)に、第23代の王位を継ぎました。
 これに不満を抱いたのが、長男・諸樊の子の光(こう)であります。
  『本来ならば、寿夢・諸樊の後に自分が王位に就くはずだったのに、寿夢・諸樊・余祭・余昧と王位が継承されたのは、あくまでも季札を王にするためである。それが叶わない今は、自分が王位に就くべきである』
 と考えた。
 ところが、三男、余昧の子が王位を受け、光は太子として、従弟の臣下という立場の屈辱の日々を送らなければならなかった。
 前517年、そのようなところに、楚の国から来た伍子胥が太子光の賓客となった。太子光は優れた参謀を得たのであります。
 伍子胥は楚に復讐するため、太子光の望みを叶えようと協力します。まず、伍子胥は太子光に刺客の専諸(せんしょ)を太子光に推挙します。
 前515年、太子光は、僚王を自宅の宴会に招待しました。宴会が始まり、途中、太子光が中座したとき、専諸は僚王に焼き魚を差し出します。その焼き魚に刀が隠してあり、僚王に近づき、僚王を刺殺しました。
 そして太子光が王に即位しました。これが第24代呉王闔廬(こうりょ、在位前515~前496)であります。


 (続く)

nice!(20)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:blog

伍子胥(ごししょ) 3 [説話等]

●楚への復讐
 
 呉王闔廬(こうりょ)は、伍子胥を重要な地位に迎えて、国政の相談相手としました。
 このとき、楚の国では大臣の伯州犁(はくしゅうり)が殺され、孫の伯嚭(はくひ)が呉に亡命しました。呉王闔廬は、この伯嚭を大夫にとりたてました。
 伍子胥は、呉国に住む孫武(孫子)に出会い、その戦に関する卓越した才能を見抜いて、呉王闔廬に推薦しました。呉王闔廬は孫武に将軍の地位を与えました。
 前507年、呉軍は満を持して楚に攻め入りました。
 父と兄の仇である楚の平王は、呉王闔廬が即位する前年(前516)に死去しておりました。
 伍子胥は、平王の子・昭王(在位前515~前489)を捕らえようとしましたが、既に逃げ出した後でありました。
 復讐の鬼となった伍子胥は、平王の墓を暴き、その屍に300回も鞭打ちしました。
 これが「死者に鞭打つ」と語源であります。
 それを伝え聞いた、かつての親友・申包胥(しんほうしょ)は、使者を伍子胥に送り、
  「いかに復讐のためとはいえ、ひどすぎる。『人が多く集まって事を起こすと、一時、天に勝って、何でもできる。しかし、天が落ち着いたならば、天の正道がその人を破るものである』ということを聞いたことがある。伍子胥殿は、かつて、平王の臣下であり、平王にお仕えした身ではないか。その平王の亡骸を辱めるとは、必ず天罰下る者である」
 と伝えました。
 この時の、伍子胥の、申包胥の使者への返答が、
  「吾(われ)、日暮れて途(みち)遠し、吾故に倒行(とうこう)して之を逆施(げきし)せり=私は、もはや、日が暮れているのに、遠い道程を歩く思いである。だから、私は、道理に逆らっても、手段を選ぶゆとりは無いのだ」(『史記巻第六十六 伍子胥列伝第六』 漢文大系88-130)
 という有名な言葉です。


 (続く)

nice!(14)  コメント(2)  トラックバック(0) 
共通テーマ:blog

伍子胥(ごししょ) 4 [説話等]

●痛哭七夜

 伍子胥は、この勢いで、楚の国を滅ぼそうとしました。
 しかし、前505年、申包胥が、楚の昭王の親戚に当たる秦へ行き、秦の第14代哀公(在位前536~前501)に会って救援を求めました。
 秦の哀公は、楚が無道であることを知っておりました。そのような国王を助けても、何の得にもなりませんので、その要求を退けました。
 すると、申包胥は秦公の宮殿の前の庭で泣きだしました。楚国のため、楚王のため、楚の国民のため、命懸けで泣きました。何と、7日7夜泣き続けたのであります。
 秦の哀公は、

  「楚、無道なりと雖も、臣の是くの若(ごと)き有り。存する無かるべけんや=楚の国は無道であるが、このような忠臣がいる以上、見捨てることはできない」(『史記巻第六十六 伍子胥列伝第六』 漢文大系88-131)

 と言って挙兵し、楚の国が滅びるのを助けました。
 結果、呉は敗退しました。
 孫武・伍子胥という戦の天才が2人が攻め、あと一歩で滅びる運命にあった楚の国を、申包胥は、泣くことによって助けたのであります。
 後に申包胥の屋敷の門は「忠臣の門」と名付けられました。

●檇李(すいり)の戦い

 呉国と越国とは、呉王闔廬(こうりょ)・越の允常(いんじょう)の代より対立するようになりました。
 その越の允常が死去して、その子の越王勾践(在位前496~前465)が即位したときに、呉王闔廬は、一気に越国に攻め込みました。
 前496年、越王勾践は三隊の決死隊を使って大勝します。
 三隊の決死隊とは、まず第一隊が呉軍に近づき、陣前に立って、大声を挙げて、一斉に自分の首をはねます。
 第二隊・第三隊も同様にします。
 これを目の当たりに見た呉軍は、皆、呆気にとられて、戦意を失ってしまいます。そこを一気に越軍が攻め込む作戦です。
 これが見事に功を奏したのであります。
 越軍は、呉軍を姑蘇(こそ)で敗り、呉王闔廬は、このときに矢傷を受けました。それがもとで、呉王闔廬は死んでしまいます。
 呉王闔廬は、臨終の際に、伍子胥に相談し、太子夫差を第25代の王に立てました。そして、夫差に、
  「夫差よ、お前の父の仇は勾践である。それを忘れはしないだろうな」
 と言いました。
 これに対し、呉王夫差は、父・闔廬に、
  「敢てせず。三年にして乃(すなわ)ち越に報いん=絶対に忘れません。3年以内に、必ず越に復讐します」(『史記巻第三十一 呉太伯世家第一』 漢文大系85-35)
 と言って、3年以内に仇を討つことを誓いました。


 (続く)

nice!(27)  コメント(2)  トラックバック(0) 
共通テーマ:blog

伍子胥(ごししょ) 5 [説話等]

●呉王夫差、臥薪。越王勾践、嘗胆。

 前495年、即位した呉王夫差は、大夫の伯嚭を、百官を統べる太宰に昇格させ、軍事強化に力を入れました。
 そして自らは臥薪して、つまり、寝るときは薪の上に寝て、その痛みを味わい、父の仇を憎むことを忘れないように自分を戒め、軍事訓練を積み重ね、復讐の機会を待ちました。
 呉王夫差は、必ず、呉、夫椒(ふしょう)の戦いで、越を破ります。
 越王勾践は、5千の兵とともに敗走し、会稽山(かいけいざん)に篭ります。
 越王勾践は、太夫の文種(ぶんしょう)を使者として、太宰の伯嚭に多大な賄賂を贈り、
  「越国は呉国の属国となり、越王勾践は、呉王夫差の臣になり、勾践の妻は、夫差の妾になっても結構ですから、どうか、お命だけは助けて下さい」
 と助命嘆願しました。
 呉王夫差は、これを聞いて、越王勾践を許そうとしました。
 しかし、伍子胥は、過去の例を引いて、
  「今こそ越国を滅ぼすべきである。今滅ぼさなかったならば、必ず後悔するであろう」
 ということを説いて、諌めました。
 それに対し、賄賂をもらっている太宰の伯嚭は助命すべきであると説いた。
 呉王夫差は、伍子胥の諫言よりも、伯嚭の言を用いて、越王勾践の命を救い、約束通り、越王勾践は呉王夫差の下僕になり、勾践の妻は夫差の妾となりました。 
 その後、范蠡(はんれい)が代わりに人質になり、越王勾践は、越国に帰ることを許されました。
 帰国した勾践は、粗衣・粗食に甘んじ、野良に出て働き、民を労苦と分かち合い、死者が出ると、弔問し、病人が出るとお見舞いに行くという事をしました。これで、国民が尊敬しないはずがありません。
 更に、越王勾践は毎日嘗胆、つまり、苦い豚の胆を嘗めて、
  「汝(なんじ)、会稽の恥を忘れたるか」(『十八史略巻一 春秋戦国』漢文大系20-59)
 と自分に言い聞かせて、復讐の日を待ちました。
 呉王夫差の臥薪と越王勾践の嘗胆を合わせて、復讐するため、将来の夢を実現するため、あらゆる辛苦を耐え抜く意味の「臥薪嘗胆」と言う言葉が生まれました。
 後に、范蠡も許されて帰国しました。


 (続く)

nice!(16)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:blog

伍子胥(ごししょ) 6 [説話等]

●西施(せいし)

 史書に掲載されず、民間に伝承された話によれば、この時、越王勾践は、呉王夫差に、西施という絶世の美女を送ったと言われています。
 西施は、元は越王勾践の側室だったという説もあります。
 『窪尼御前御返事』に、
 「から(唐)国にせいし(西施)と申せし女人は、わかなを山に摘(つ)みて、を(老)ひたるはわ(母)をやしな(養)ひき。天あはれみて、越王と申す大王のか(狩)りせさせ給ひしが、みつけてきさき(后)となりにき。これも又かくのごとし。をや(親)をやしなふ女人なれば天もまぼらせ給ふらん、仏もあはれみ候らん」
 と仰せになっているのは、この側室説からです。
 『荘子外篇 天運第十四』によると、西施は、胸を患っていたらしく、時おり、胸を押さえて眉を顰(ひそ)めることがありました。絶世の美女は、眉を顰めても美しく、村中の男たちの噂となりました。
 その噂を聞いた、あまり美しくない女性が、
  『眉を顰めたならば、美しくなれ。そうすれば、村中の男たちが、振り向いてくれる」
 と思って、むやみ、男を見ると眉を顰めた。あまり美しくない顔が、更に美しくなくなってしまった。
 すると、その顔を見た男たちは、門を閉めたり、逃げ出したりしてしまった。
 このことから、外形にとらわれて、本質を知らない人のことや、謙遜して、優れた人の真似することを「顰(ひそみ)に倣(なら)う」というようになりました。
 この西施が、呉王夫差に献上された。
 西施の役目は2つ。1つは呉王夫差を堕落させ、呉国の政治を腐敗させること。もう1つは、呉王夫差と伍子胥とを仲たがいさせることであります。
 呉王夫差は西施に夢中になり、西施のために館娃宮(かんあいきゅう)という広大な宮殿を造り、西施と館娃宮に入り浸りになってしまった。当然、政治が乱れた。
 伍子胥が度々、呉王夫差に諫言しても、今や耳を貸さないのみならず、伍子胥を疎ましく思うようになりました。


 (続く)

nice!(11)  コメント(2)  トラックバック(0) 
共通テーマ:blog

伍子胥(ごししょ) 7 [説話等]

●伍子胥の死

 呉王夫差、即位7年目に、北方の大国・斉に内部抗争が起こり、呉王夫差はこれを機に斉を従えようとして、斉に出陣することを決めました。
 伍子胥は、
  「越王勾践は、粗食・粗衣の倹約に甘んじ、死者を弔問し、病人を慰問し、いつか越国の民衆を用いようとしております。この越王勾践が死なないうちは、必ず、呉国の憂いになるでしょう。越は呉にとって、腹心にある病のようなものであります。ところが、王は越のことを先にしないで、斉に執心しております。これは大変な誤りであります」
 と言って諫言しました。
 呉王夫差は、伍子胥の言う事を聞かず、斉を攻め、討ち破った。後には魯を討ち、また即位10年目・11年目にも、斉を討ちました。
 帰国すると、越から手厚い貢物が届き、呉王夫差は大変喜びました。
 しかし、それでも伍子胥は、
  「越は呉にとって、腹心にある病のようなものである」
 と言って、越を討つことを諫言しました。
 しかし、呉王夫差は伍子胥の言う事を聞かなかった。これによって、伍子胥は、呉国の滅ぶことを確信しました。
 前484年、呉王夫差は、伍子胥を使者として斉国に送りました。
 伍子胥は、我が子を歳の大夫。鮑牧(ほうぼく)に預けて帰国しました。
 呉王夫差はそれを聞いて大変怒り、伍子胥に属鏤(しょくる)の剣を与えました。これは「自決せよ」と言う意味であります。
 伍子胥自決するに当たって、
  「私の墓の上に、梓の木を植えよ。梓は育ちが早いから、成長して、呉王の棺桶を作るのに役立つだろう。また、私の目をくりぬいて、呉の都の東の門に置いてくれ。越が呉を滅ぼすのが見られるように」
 と言い残し、自決しました。
 呉王夫差は怒って、伍子胥の遺体を墓に入れさせることを許さず、長江に捨てさせた。この日が5月5日でありました。一説に、5月5日の端午の節句は、伍子胥の霊を慰めるためにできた風習であるといわれています。


 (続く)

nice!(16)  コメント(3)  トラックバック(0) 
共通テーマ:blog

伍子胥(ごししょ) 完 [説話等]

●呉の滅亡

 前482年春に、呉王夫差は、河南黄地で会盟し、中国の覇者となりました。しかし、6月、越王勾践は満を持して、呉王夫差が留守中の呉に戦いを挑み、大勝しました。
 呉王夫差が帰国すると、呉国は大打撃を受けており、やむなく、越に貢物を送って一旦は和議を結びました。
 しかし前473年11月、越は再び呉の都を攻め、やっとの思いで妬蘇山(こそざん)に逃げた呉王夫差は、
  「死んで伍子胥に会わせる顔がない」
 と言って、顔を布で厚く覆い隠して自決しました。
 呉を滅ぼした越王勾践は、太宰の伯嚭を不忠の臣として誅殺しました。
 また、大役を終えて帰国した西施(越王勾践の側室)は、
  「越王勾践が、第2の呉王夫差にならないように」
 という理由で、越王勾践の后の手によって殺されました。
 後世の人は、国のために犠牲になった西施のために、西施の生まれ故郷の苧羅(ちょら)村に浣紗台(かんしゃだい)という展望台を建てました。
 そして、伍子胥や呉王夫差・越王勾践・范蠡の名よりも、多くの人の心に残ったのであります。

                                                  了
nice!(13)  コメント(3)  トラックバック(0) 
共通テーマ:blog

阿闍世王(あじゃせおう) 1 [説話等]

1.阿闍世王の誕生

 釈尊御在世中、摩竭陀国(まかだこく)に頻婆娑羅王(びんばしゃらおう)という国王がいました。頻婆娑羅王はお后の韋提希夫人(いだいけぶにん)とともに、篤く仏法を信仰しておりました。この頻婆娑羅王と韋提希夫人には1つの悩み事がありました。それは子ども、太子がいなかったことであります。そこで、占い師に見てもらったところ、その占い師は、
  「御子は授かります。この国の山中に、ひとりの年老いた仙人がおります。この仙人は、もうすぐ寿命が尽きて亡くなります。そうすれば、お后様は御懐妊されることでありましょう」
 と言った。
 跡継ぎが生まれると聞いて、2人はたいへん喜びました。しかし、ここで頻婆娑羅王は、1日も早く跡継ぎが欲しいと思い、兵を山中に送り、件(くだん)の仙人を殺してしまったのであります。
 韋提希夫人は懐妊いたしました。
 韋提希夫人が懐妊したと聞いて、占い師はたいへん驚きました。なぜなら、仙人はまだ寿命が残っている。なのに、夫人が懐妊するはずがないからであります。占い師は頻婆娑羅王に謁見し、尋ねたところ、
  「仙人を殺した」
 と言う。
 占い師は、
  「とんでもないことをされました。あの仙人、何もしなくても、もうすぐ寿命が尽きて亡くなったのに、それを殺したとなれば、その報いは必ず現れます。この子は、やがて生まれ、育ち、大きくなって、大王を害するでありましょう」
 と予言されました。
 頻婆娑羅王はそれを聞いてたいへん驚きました。しかし、今さらどうすることもできません。
 やがて、韋提希夫人は男の子、太子を出産いたしました。その太子は善見(ぜんけん)と名付けられましたが、誰も「善見太子」とは言いません。みな、「阿闍世(あじゃせ=未生怨)太子」と呼びました。
 頻婆娑羅王は、
  『この善見(阿闍世)太子が大きくなったら殺される。それならば、一層のこと』
 と思い、善見(阿闍世)太子を殺そうとして、高楼(こうろう)から投げ出しましたが、指一本傷つけただけで、殺すことができなかったのであります。
 このことがあって、国の人々は、善見(阿闍世)太子のことを「婆羅留枝(ばらるし=無指・折指)」とも呼びました。
 父を殺すために生まれてきたこの阿闍世太子は、悪人の代表というべき性格を持っておりました。即ち、殺害を好み、人びとに悪口ばかり言う。心は貪瞋痴の三毒で充満しており、悪人ばかり近づけ、それを部下とし、享楽主義者であり、現在のみを考え、悪いことをすれば、未来はどのような結果になるか、全く考えない愚かな太子でありました。


 (続く)
nice!(35)  コメント(3)  トラックバック(0) 
共通テーマ:blog

阿闍世王(あじゃせおう) 2 [説話等]

2.提婆達多の親近

 類は友を呼ぶ。この阿闍世太子に、増上慢の極悪僧侶の提婆達多(だいばだった)が近づき、提婆達多が闍世太子の目の前で、ひとつの神通力を現しましたので、阿闍世太子は、提婆達多を尊敬するようになりました。
 提婆達多はひそかに、
  『自分は頭が良い。自分こそが釈尊の跡を継ぐべき者だ』
 と自負しておりました。
 そして厚かましいことに、釈尊に、法を付嘱するように要求したのであります。
 しかし、釈尊は、提婆達多の無慈悲・悪心を見抜いておられ、
  「舍利弗のような、人びとに尊敬されている勝れた弟子にも、法を付嘱していないのに、汝のような、人の唾(つば)を食(じき)するような者に法を付嘱することはできない」
 と、厳しく呵責され、付嘱を拒否されたのであります。
 提婆達多は、釈尊に対して、
  「釈尊の教団をつぶしてやる」
 と激しく詰(なじ)り、その場を去りました。
 提婆達多はありとあらゆる手を使って、釈尊の教団をつぶしにかかりましたが、ことごとく失敗しました。
 そこで、提婆達多は、釈尊の大檀那である頻婆娑羅王を殺して、阿闍世太子を王にして、釈尊の教団をつぶそうと企てたのであります。


 (続く)

nice!(21)  コメント(1)  トラックバック(0) 
共通テーマ:blog
暁のファン募集中です☆ ヨロシクです(^^)/~~~

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。

×

この広告は1年以上新しい記事の更新がないブログに表示されております。