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『立正安国論』 序 其の壱 [立正安国論]

  はじめに

 『立正安国論』を考察すると宣言してから月日が流れ、思うようになかなか綴る事ができなかったが、しかし先日の友人を折伏成就した事を期に記すことにした。その友人とは幼馴染で、仲が良い時があればケンカもよくした、かけがえのない友である。
 最初に信心の話をしたのが中学の頃であったが、お寺に誘ってもなかなか行く雰囲気が無かった。中学を卒業してしばらくは、たまに携帯電話や道端で話をする事があっただけだったが、先日たまたまお寺にいた時に電話が鳴り、せっかくの機会であったのでお寺に誘い、無事に日蓮正宗に入信することができた。およそ7~8年経っての成就であったが、不思議な縁があり、その日は総本山・大石寺第16代日就上人の御正当会に当たる日であり、また青年部の方がいらっしゃった事(私はそのお寺とは所属が違うので、友人の紹介者としてOさんが御授戒願いを引き受けてくださった)や、御授戒(間違った教え・誤った思想などを捨てて、本門戒壇の大御本尊様に帰依する儀式)の時間帯に両親が唱題していた事もあり、なんとも言葉では言い表されない深い縁を感じた日であった。
 その後、昨日は友人に私と共にお寺の行事に参加(毎月1日の御経日や御講)しようと連絡を取り、多くの功徳を積んでいただけるようにと、日々、御本尊様にご祈念申し上げております。これからも縁のある方を折伏し、そして折伏ができる人材へと育成できるように尽力する次第である。

 近日の宮崎県の口蹄疫問題、新燃岳の大噴火、日本政治の迷走、世界通貨戦争やチュニジア革命・エジプト革命、さらにNZでの大地震など、日本のみならず、世界各国で大きな揺れが起きている。将来が見えない現代社会において、様々な手段を取って幸福を望み、また実践し得ようと模索している。しかし、現実には目先の欲望にかられ、他人の不幸の上に特定の人が幸を享受し、「自分さえよければ良い」という自分勝手な行動に人々は幻滅して、「何をしても無駄」などと諦めてしまっている人がいるであろう。
 いったい、苦しみや不幸の原因はどこにあるのだろうか?
 日蓮大聖人様は本抄において、

  「世皆(みな)正に背き、人悉(ことごと)く悪に帰す。故に、善神(ぜんじん)国を捨てて相去(あいさ)り、聖人(しょうにん)所辞(じ)して還らず。是(ここ)を以(も)って、魔(ま)来たり鬼(き)来たり、災(さい)起こり難(なん)起こる。言はずんばあるべからず。恐れずんばあるべからず」

と仰せられ、「世の民衆はみな正(正しい法)に背き、人々はのこらず悪法に帰依している。それが原因で善神は国を捨てて去ってしまい、聖人は所を辞して帰ってこない。このため善神・聖人にかわって魔神・鬼神が来て、災難を起こすのである。この事は、声を大にして言わなければならないことであり、恐れなくてはならないのである」と、災難が起こる原因を明確に記しております。
 一切の不幸の原因は間違った思想・誤った教えにあり、その悪業の積み重ねによって天災・人災が及ぶと仰せられているのである。この事はおいおい説明する事とする。
 浅学非才の身で恐縮ですが、少しでも皆様の悩みなどが解決されますよう、また友人の教学研鑚のためにもここに記す次第であります。不定期更新かつ中長期的に及ぶ事と存じますが、ご贔屓の程よろしくお願い申しあげます。


  序

 『立正安国論』は、日蓮大聖人様御歳39歳の時に文応元(1260)年7月16日、最明寺入道時頼に献じられた諌暁書(かんぎょうしょ)であり、752年の星霜を経ております。当時の鎌倉は大災害に見舞われ、大地震や大風雨・大洪水、全国的な疫病に大飢饉、鎌倉大火等の、実に日本全国の半分くらいが死に至ったとも言われるくらい、非常に不安定かつ暗い世情であった。

 建長6(1254)年 1月10日 鎌倉大火
             5月9日 鎌倉大風
 康元元(1256)年 8月6日 鎌倉大風・洪水
             9月1日 疫病(赤斑瘡)流行
 正嘉元(1257)年 8月1日 鎌倉大地震
             8月23日 鎌倉大地震【正嘉の大地震】
 正嘉2(1258)年 1月17日 鎌倉火災
             6月24日 鎌倉異常気象による寒気
             8月1日 大風雨・諸国の田園損亡
             10月16日 鎌倉大雨・洪水
 正元元(1259)年 春 大飢饉・大疫病
 文応元(1260)年 4月29日 鎌倉大火
             6月1日 鎌倉大風雨・洪水
             (7月16日 『立正安国論』を幕府に奏呈)

大地震.jpg

                    ↑正嘉の大地震

 鎌倉時代の歴史書である『吾妻鏡』でも、その正嘉元年に起きた大地震について、「神社佛閣一宇而無全」と記述されている。すなわち、神社や仏閣一宇として完全な形で残ってあるものは無いと書き残されている。まして普通の家ならば瓦礫の山である事は想像に難くない。
 まさに末法という、インドで仏教をお説きになった釈尊の力は失われ、平安末期から天災・人災が絶えなく続き、人々はあらゆる煩悩の苦しみから逃れるために念仏や戒律をたもって時を過ごしていた。しかし、その結果は実る事無く、ますます災難が大きくなるのであった。 
 当時流行していたのが念仏である浄土宗であるが、依然として民間の間では天台宗や真言宗、律宗または八百万の神などを篤く信仰していたらしい。それほど仏教・神道に救いを求め、苦しみから逃れたかったのであろう。
 大学1年生のゼミ発表では、かの有名な3大随筆の1つ『方丈記』で宗教批判を行った事がある。作者は半僧半俗であっただろう鴨長明であり、彼はルポルタージュ精神で当時起きた災害や無常観を詳細にわたって書かれている。彼も最後には念仏を唱えて締め括っているが、それくらい念仏の浸透(常識)は広かったと思う。
 そもそも念仏が大きく広まったのは平安時代中期の天台僧・源信の『往生要集』という、阿弥陀仏の名号を唱えれば極楽浄土へ行けると説いたものが発端であった。それに感銘した法然が専修念仏を広め、阿弥陀経等以外の教え、例えば法華経などは衆生にとって難しい御経だから、「捨てよ・閉じよ・さしおけ・なげうて」と念仏のみを推し進めた。さらに念仏は進化(?)を遂げて踊念仏や盆踊りなどが派生していった。それらが鎌倉時代にも深く浸透していったのであろう。
 しかし、一向に念仏などを唱えても災難はやむ事が無く、より一層混迷を極めるばかりであった。
 日蓮大聖人様は本抄の奥書きに、

  「文応元年太歳庚申(たいさい・かのえさる)之を勘(かんが)ふ。正嘉に之を始めてより、文応元年に勘(かんが)へ畢(おわ)んぬ。
  去(い)ぬる正嘉元年太歳丁巳(たいさい・ひのとみ)八月廿三日戌亥(いぬい)の刻の大地震を見て、之を勘(かんが)ふ。其の後、文応元年太歳庚申七月十六日を以って、宿谷禅門(やどやぜんもん)に付して、故最明道殿に奉(たてまつ)れり」

また『安国論御勘(ごかん)由来』には、

  「正嘉元年太歳丁巳八月廿三戌亥の刻、前代に超えたる大地震。同二年戌午八月一日大風。同三年己未(つちのとひつじ)大飢饉。正元元年己未大疫病。同二年庚申四季に亘(わた)りて大疫已(や)まず。万民既に大半に超えて死を招き了(おわ)んぬ。而(しか)る間国主之に驚き、内外典(ないげてん)に仰せ付けて種々の御祈祷有り。爾(しか)りと雖(いえど)も一分(いちぶん)の験(しるし)も無く、還りて飢疫(きえき)等を増長す。日蓮世間の体(てい)を見て粗(ほぼ)一切経(いっさいきょう)を勘(かんが)ふるに、御祈請(ごきしょう)験無く還りて凶悪を増長するの由(よし)、道理文証(もんしょう)之を得了(おわ)んぬ。終(つい)に止むこと無く勘文一通を造り作し其の名を立正安国論と号す。文応元年庚申七月十六日辰時(たつのとき)、屋戸野(やどや)入道に付し故最明寺入道殿に奏進す了(おわ)んぬ」

と述べられている。すなわち、末法濁世の様相は年を追うごとに色濃く顕われ、正嘉元年より文応元年までの4年間を見ただけでも、大旱魃、鎌倉大地震、京都大風雨、鎌倉大風雨・大洪水、全国的な疫病の流行、大飢饉、鎌倉大火等々、枚挙にいとまが無いほどに、天災・人災疫病等が国土を襲い、人々は塗炭の苦しみを味わっていた。
 為政者は、国土の災難を打ち払うべく、神道や仏教諸宗に命じて災難対治を行わせたが、まったく何の効果が無いばかりか、かえって災難が増大する有り様であった。
 そして、これら相次ぐ大災難のために、民衆は次々と餓死、病死し、すでに全国民の半数にも及ぶかというほど、多数の死者が出ていたのである。
 大聖人様は、そのような世相を目の当たりにして、深い御仏智を巡らせた結果、災難が興起する根本原因は、邪宗邪義が跋扈(ばっこ)し国中の人々が謗法(ほうぼう)と化していること、また、災難を根絶せしめ国土を安穏にする方途(ほうと)は、邪宗・謗法を捨てて正法に帰依する以外にないこと等を、明らかに知られた。
 しかして、これを一国の権力者および民衆に知らしめ、一切衆生を救済せん、との大慈大悲を起こされ、災難根絶の大真理を明かした一書・立正安国論を御著述、文応元年7月16日、時の権力者、最明寺入道こと前執権・北条時頼に提出あそばされたのである。

 次回は『立正安国論』の題号について記そうと思う。

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『立正安国論』 序 其の弐 [立正安国論]

  『立正安国論』の題号について

 立正安国論の題号は「正法を立てて国土を安穏にする論」の意である。
 この由来は法華経『方便品第二』に、
  
 「正直捨方便 但説無上道 (正直に方便を捨てて ただ無上道を説く)」

と説かれており、釈尊が今まで説いてきた小乗教・大乗教等は方便であると仰せられている。つまり、厳しい戒律を持(たも)つ事で煩悩を断つ修行や、西方浄土に往生すること等はすべて正しい法へ導くための手段であった。いつまでも方便にとらわれて真実を見ないところが邪道であり、その邪を破すという意義がそこに存する。また無上道に正法を立てる事が、顕正となる。いわゆる「破邪顕正」が、そのまま「立正」という事である。
 この「立正」を付けた教団が「立正佼成会」であるが、しかし実態は、「立正」ではなく、氏神や自分の檀家寺を守るようにと、方便をそのまま適用している。また、人生の根本であり指針である本尊に迷い、過去に6回も変えている。日蓮大聖人様は人本尊開顕の書である『開目抄』に、

 「諸宗は本尊にまどえり。(中略)例せば、三皇已前に父をしらず、人皆禽獣に同ぜしがごとし」

と喝破あそばされている。本尊とは勝れたもの人生の根本としてを拝し、実践するのである。これに迷うことは恩義や道理を知らない事と同じであり、かえって悪業を積む原因となる。
 そして法華経には、

 「不受余経一偈 (余経の一偈をも受けざれ)」

とハッキリと説かれている。阿弥陀経だとか大日経などを交えて法華経を実践するのではなく、ただ純粋に法華経を信仰することが肝心であると誡められている。これをいい加減に「それまでの宗教を捨てる必要はない」と教える立正佼成会は、法華経の精神に背いているわけです。

 話はそれましたが、次に「正」とは何かを見てみる事にしよう。
 これは日蓮大聖人様自ら宗教批判の原理を表し、そのうちの1つに「五重相対」がある。これはどの教えが勝り、どの教えが劣っているかを判断する基準を表したものです。
 最初に判断されるのが「内外相対」といい、「内道」と「外道」を比較されておる。「内道」とはすなわち、宇宙法界の一切と過去・現在・未来の三世にわたるところの正しい原因・結果、さらに因縁・果報という事をハッキリ正しく述べておる仏教である。反対に「外道」とは、仏教以外の教え。例えば仏教以前のバラモン教であったり、西洋ではキリスト教であったり、東洋では儒教・道教などを指すわけです。

 もちろんキリストの言葉や孔子の言葉にも正しい事を述べている。しかし、それが死後でも通用するのであろうか。また神がどのようにして誕生したかはハッキリと書かれておらず(神は最初から存在していた)、一切の万物の理法である、原因があって結果が生ずる事に反している。仏教では仏になる原因、すなわち修行があり、その結果としての仏果を成じたのであって、必ず仏になる原因がある。それによって一切衆生がその筋道の上から本当の仏の修行と悟りに基づき、真の幸せを得る事ができるのである。
 また因縁因果は、そのまま善因善果・悪因悪果という大原則に通じている。善因は必ず善果が生じ、悪因は必ず悪果を生じるという因果の理法が徹底してないために、いま世の中において「目前の結果さえ良ければ、悪い事をしても平気である」といったような誤った思想が現れてくる。

 したがって、この内外相対した場合に「内道」の仏教と、仏教以外の教えの「外道」との相対において、仏教が因縁因果の道理を説く故に本当に正しい教えである事の筋目から見なければ、これから『立正安国論』を進めるのに本当の意義が判らなくなってしまう。
 やはり仏の教えをきちんと正しい意義と筋道において見ることにより、はじめて「正」が立つことになる。これが第一の内外相対である。

 次は「大小相対」であります。この「小」とは小乗教のことで、同じ仏教の中でも小乗と大乗の区別があり、仏教は外道に対すれば正しいが、大乗と小乗を内容の上から相対すれば、小乗は非常に視野が狭い。小乗の教えとは、単に六道の迷いから抜け出して、より安穏な灰身滅智、すなわち煩悩を断じ尽くして身心を無に帰することにより無余涅槃を目指していた。しかし、それは自分だけが迷いを去って悟りを開けばいいということだけで、法界全体の存在とその因果の姿、又その大きな法界観、世界観によるところの修行の道が欠けているのである。
 つまり、常に「自分が自分が」と己ばかりを見、他人の苦悩を相を見る事ができないのである。実際に一人だけの存在ではなく、必ず他との関連において善悪、正邪、幸不幸など、あらゆる事が存在している。したがって、自分が善い行いによって幸せになっていくと共に、他をも導いていくという事がなければならない。故に、小乗は「空」の真理を示すのみであるのに対し、大乗は「空」と「仮」と「中」の真理観が説かれている。それらをはっきり示して、全体観の上から教えを説くのが大乗の教えである。

 ここにおいて「大乗非仏説」を論ずる人がいます。それは、大乗は釈尊滅後数百年において起こった運動であり、実際に釈尊が説いたのは小乗(原始仏教・根本仏教)にあり、大乗は説いていないとする説である。これは古代インドから起きた説だが、それほど大きく取り上げる事は無かった。中国でも道教との確執が生じたが大乗非仏説は起きなかった。が、日本においては盛んに訴える時期があった。しかし、これに反対する人も多く、私が通っている東洋大学の創設者・井上円了は、
 
  「一に小乗の中に既に大乗に発達すべき教義を内包しているのであり、故に小乗が仏説なら大乗も当然に仏説である。二に大乗は仏が説いて後に、世に行われないで埋没していたが、馬鳴(めみょう)や竜樹が大乗こそ時期相応と知って弘(ひろ)めたのである」

と主張したのだ。また姉崎正治は歴史方面から大乗の仏説であることを論証しようと試みていた。明治36年には村上専精(せんしょう)が大乗仏説批判を出し、結論として教理の上からみれば大乗は小乗より勝れ、仏説であることは間違いない、しかし歴史的に見れば、仏説であることを証明することは困難である、と言っている。

 これは私見であるが、仏の意味とはそもそも、「覚者」である。とある書籍で、現地の青年から「私は毎朝仏になる」と笑い、作者はたいへん不思議に思った。しかし、帰国の機内で思い返すと、あれはジョークであった事に気がついた。つまり「覚者」とは無明の迷いから「目覚めた者」の意である。釈尊が説いたのは「苦しみを除き、楽を与える方法」であり、煩悩の渦にのみ込まれている一切衆生に真理を説き明かしたのである。
 それが次第に戒律の学問中心へと変貌し、利己的な修行に偏ってしまった。そこでいよいよ、釈尊の意をくんで一切衆生を済度せんが為に法華経・大日経等をはじめとする大乗仏教が興隆した。釈尊が教えを説かれた目的は、すべての衆生を救うところにあり、小乗教のような自己のみの完成を目指す教えだけを真実とする考え方は、釈尊の本意に背く事となる。そして大乗教に説かれる予言的中や、法華経に説かれる深遠にして完璧な教理は、法界一切を開悟した仏でなければ明かすことができないものであった。これらの理由から、現代では大乗仏教に釈尊の精神と教えが正しく説かれているとし、大乗を仏説とする考えが定着したものと考えられる。
 
 したがって小乗と大乗を相対するならば、小乗に対して大乗こそ真実の正法であるにもかかわらず、小乗が大乗に背くならば邪の意義が生ずる。故に「正を立てる」とは、小乗を廃して大乗を立てる事が大小相対の意味である。(平安時代においては、天台宗が法相宗の「五性格別」の邪義を破した記録がある)

 次に「権実(ごんじつ)相対」といい、「権」とは「かりのもの」方便の意であり、「実」とは真実の意である。仏教五千七千の経巻を大きく分ければ、方便と真実とに分かれる。この方便教として華厳・阿含(あごん)・方等(ほうどう)・般若等の四十余年の諸経が説かれている。しかし、冒頭の「正直に方便を捨てて ただ無上道を説く」と、釈尊が法華経においてはっきりと宣言され、法華経こそ一切衆生を真に導き幸せにするところの教えであると示されたのである。法華経『薬王菩薩品第二十三』には、

 「仏は諸法の王なるが如く、此の経も亦復(またまた)是(かく)の如し。諸経の中の王なり」

と説かれ、一切経の中の王は法華経であると残されております。
 そうすると、この権経によって宗旨を立てているところの、いわゆる念仏・禅・真言・律等の様々な仏教における権大乗の宗旨は、すべて正法を無視し、正法の意義と価値に背いておるところに邪の意味がある。その邪を打ち破って、真実を立てるところに権実相対における「立正」の意義が存するのである。
  
 次が「本迹相対」である。これは法門(文底下種の法華本門)の上から言うならば、本門の大法をもって根本とし「正」といたすわけであるから、爾前迹門にとらわれた考え方は邪法となる。その法華迹門を中心とする宗旨が天台宗であります。これは一往、法華経の教えを持って正しく仏法を立てておるが、まだ権実相対までがその教義の主意になっており、きちんとした形で本門と迹門とのけじめがなされていない。像法時代までは正しい教えであったが、現在の末法の荒凡夫では到底救う事ができない、まだまだ不完全な教義であったのである。
 末法においては法華本門の教えをもって爾前迹門との区別を立てていくところに「立正」の「正」という意義が存するのである。

 そして最後が「種脱相対」である。これは下種(末法の荒凡夫は、釈尊の仏法の結縁がなく善根がない本未有善の衆生である。しかし、日蓮大聖人様の三大秘法・南無妙法蓮華経を他へ教える折伏によって、初めて仏に成る種を衆生の心田に植えられ、仏に成る根本の原因をつくることをいう)の法華本門の教えこそが本門の宗旨の実体であり、日蓮大聖人様の御出現の目的であります。
 その種脱に迷乱するところの日蓮他門家や創価学会等はことごとく、「立正」と口では言っても真実の「立正」とはなりえないのである。
 それは何かと言えば、下種の本尊とその三大秘法(本門の本尊・本門の戒壇・本門の題目)こそが真の「立正」の「正」という意味であり、末法万年の下種仏法の弘通、化導の上にハッキリと示された大法であります。そこに種脱相対しての「立正」とは、三大秘法の妙法大曼荼羅、本門戒壇の大御本尊様に他ならないのです。また中興の祖・日蓮正宗第26世日寛上人は、

  「初めに本門の本尊に約せば、正とは妙なり、妙とは正なり。故に什師(羅什三蔵)は妙法華経と名づけ(乃至)天台は三千(一念三千)を以て妙境と名づけ(乃至)故に正は即ち妙なり。妙とは妙法蓮華経なり、妙法蓮華経とは即ち本門の本尊なり」

と、「正」とは何かというと、第一には「妙」という事である。「妙」が「正」、「正」がまた「妙」である。故に「妙」という事を離れて真実の「正」は存在しない。それ故に「妙」について、さらに本仏の悟りを拝するならば、それは「妙法蓮華経」の五字なのである。そして「妙法蓮華経」とは本門の本尊であるから、本門の本尊を正しく立てる事によって「立正」の「正」となるのである。
 ここでさらに奥深く議論が進むのだが、結論からいえば、「立正」とは即ち久遠元初・下種三宝の南無妙法蓮華経を立てる事が「立正」なのである。しかし、『立正安国論』を奏呈あそばされた時期は、上行菩薩の再誕としての御振る舞いであり、未だに下種三宝を顕されていなかった。が、元意はまさしくそれである。権力者や宗教者の姦計によって日蓮大聖人様は竜の口の処刑場へ赴かれたが、首を斬るその直前に光の球体が太刀取りの前を横切り、誰も大聖人様に近づく事ができなかったと伝えられている。この不可思議な現象により、大聖人様は、

 「日蓮といゐし者は、去年(こぞ)九月十二日子丑(ねうし)の時に頸はねられぬ。此は魂魄(こんぱく)佐渡の国にいたりて云云」

と、これまでの上行菩薩の再誕日蓮としての仮の姿(垂迹身)を発(はら)って、久遠元初自受用報身如来日蓮という真実の姿(本地身)を顕された、この魂魄とは久遠元初の自受用身としての魂魄であると明かされております。
 これ以降、末法の御本仏としての御振る舞いをされ、弘安二年には熱原の法難が起こり、念仏などの邪宗の為政者たちが罪もない農民たちを捕縛し、「法華の題目を捨てて念仏に帰依すれば、命は助けてやる」と迫ってきたのでした。入信間もない農民たちが身命を賭して南無妙法蓮華経の正法を守り抜こうとする信心に嘉(よみ)せられ、大聖人様の本懐の中の本懐である、本門戒壇の大御本尊を御図顕あそばされたのである。
 この本門戒壇の大御本尊様を立てる事が「立正」なのである。
 
 創価学会・池田大作は「本門戒壇・板本尊が何だ!寛尊(日寛上人)は『信心の中にしか本尊はない』と。ただの物です!」と平気で愚弄しています。これは曲解であり、御本尊の親である大御本尊の血脈が流れていなければ、信心しても功徳が顕れてこないのである。血脈が切れた創価学会には何ら功徳は生じません、むしろ悪業を積む因となります。そして「立正」とはなり得ないのである。

 また宗教批判の原理の一つに「三証」というものがある。すなわち「文証・理証・現証」の三種類である。文証とは文献上の証拠をいい、その教えが仏の教説である経典を根拠としているかどうかで正邪を判定することである。『涅槃経』に、

 「若し仏の所説に随わざる者有らば、是れ魔の眷属なり」
とあり、大聖人様は、

 「経文に明らかならんを用ひよ、文証なからんをば捨てよ」

と文証の重要性を説かれ、文証のないものを用いてはならないと示されています。
 理証とは、その宗教の教えや主張が道理に適っているかどうかを基準として正邪を判定することである。その宗教が自説の正当性をどんなに主張しても、それが道理に適ったものでなければ、必ず破たんをきたす。それとは逆に、正しい道理に基づく宗教は、いかなる力をもってしても崩すことは出来ないのであり、これについて大聖人様は、

 「仏法と申すは道理なり」

と仰せである。正しい宗教は普遍妥当性を有するものでなければならず、この一大道理に貫かれた教えこそ法華経であり、その根本の法が大聖人様の仏法であります。
 現証とは現実の証拠といい、その宗教を信仰して現れる実証をもって正邪を判定することである。この現証について大聖人様は、

 「日蓮仏法をこゝろみるに、道理と証文とにはすぎず。又道理証文よりも現証にはすぎず」

と仰せられ、三証の中でも特に現証の大切さを説かれておるのです。
 正しい宗教には、因果の道理によって正しい現証があるのであり、邪な教えを信ずれば悪果を招くことになる。特に新興宗教などは現世利益を誇大に宣伝しているが、これらは理証も文証もない、その教祖の思いつきなどによるものであり、このような邪教を信ずれば、ついにはその身を滅ぼすことになるのである。これについて大聖人様は、

 「法に験(しるし)の有る様なりとも、終(つい)には其の身も檀那も安穏なるべからず」

と仰せられ、邪宗教の現罰の相を教えられている。

 私もかつては創価学会に所属していた。平成以降は学会は日蓮正宗から離れ、まったく独自の教義を作り変えて会員を指導してきた。しかし、私は生まれつき喘息持ちであり、学会に入ってから発作が何度も起きて病院の入退院の繰り返しの日々であった。気管支系の発作、特に私は喘息であったのだが、仏法では重たい悪業の故に気管支系に病気が発症し、短命に終わると説かれています。そう思うと、過去世にはよほど多くの人たちをあやめてきた結果なのではなかろうか、と肌身で感じるようになった。
 私の喘息にとどまらず、今度は母が原因不明の病に倒れ、私の目の前で母の耳から血がとめどなく流れていた事を、今でも脳裏に焼き付いている。それからというもの、学会の信仰に不信を抱き、早く母が回復して自分も喘息が治れるように、抗うようにと正しい法に恵まれたいと願った。 
 そこで小学三~四年生くらいの時の、過去に所属していた寺院に参詣し、いままでの創価学会の誤った教えを捨てて、日蓮正宗の教えに帰依することを誓った。入信間もなく、ぜんそくの症状が少しずつ治まり始め、母も病から回復していきました。もし、あのまま創価学会に残っていたならば、いまはもうこの世を去っていたかもしれません。
 また、これは近年の話ですが、父が不思議な体験をしました。二~三年前、父が勤めている会社・消火栓標識のお仕事なのですが、神奈川県のとある道路の標識の現場へ行って調査していた時、突然、緩やかなカーブから車が真っ直ぐに父たちがいる標識まで突っ込んだのでした。
 突っ込んだ車のご老人の運転手が心臓発作を起こしたのが原因で、父の同僚がその車のタイヤの下敷きになり、首の上にタイヤが乗りかかった状態だと話していました。父はギリギリで助かったのですが、同僚が下敷きになっている事を見、まず運転手を他の同僚と共に救出し、その次に下敷きになっている同僚を助けるために車に乗ってエンジンをかけて移動させたのでした。父は「あの時はよく行動できたなと思っている、普通だったら怖気づいて動かなかっただろう」と不思議に思っていました。
 しかし、残念ながら運転手・父の同僚は搬送先の病院で息を引き取り、帰らぬ人となりました。この事故は新聞の記事になり、事故の悲惨さを父が話してくれました。
 父の亡くなった同僚は熱心な創価学会信者であり、もちろん葬式も友人葬という形で行われました。その葬式は多くの人が参加して、学会婦人部は「一般の葬式にこれだけの奥の人が葬式に出てるのよ、これは創価学会が正いである証拠」と声を高らかに言ったそうです。しかし、一番大事なのは故人が成仏したか否かであり、人の数の問題ではありません。
 この事故は本当につらい衝撃で、私自身も目の前が一気に底なしの暗闇に突き落とされたような、深く悲しみに沈んでいた。それから日が経って後に、車を運転されていたご老人と亡くなった父の同僚に御塔婆を建立し、追善供養を申し上げました。
 まさに人生は一寸先は闇であり、いつ死ぬのか分からない。だからこそ、一分一秒でも正しい法に縁し奉り、自分の人生に悔いのない生き方をしていくことが肝要なんだと思う。この正法をたもつ事によって、いかなる災難にも諸天善神によって護られる。父が信心していなければ、恐らく事故に巻き込まれたでしょう。先日幼馴染を折伏したのも、大聖人様が御図顕あそばされた御本尊様に手を合わせて「南無妙法蓮華経」と唱えていってほしいかったからです。これを実践することで幸福を得られるのです、これは確信をもって言えます。

 今回は大きな余談となり、まとまりの無い記事となってしまいましたが、とにかく大聖人様の仏法は奥深くかつ広いのです。次回は『立正安国論』の形式について記します。

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『立正安国論』 序 其の参 [立正安国論]

3.11が起きてから、なかなか記事にする機会が無くなってしまったが、
しかしここで諦めてしまっては亡くなられた方に大変申し訳なく思い、
いま生きている私たちが何をすべきなのかを考えた時、
言わずもがな、日本のみならず世界で大きな変革が起きている。
その大いなる歴史のうねりの中心に立つのは、いったい誰だろうか?
それは能動的に活動する人たちである。


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「~序 其の壱」http://ryugenji-novel11olo1.blog.so-net.ne.jp/2011-02-25
「~序 其の弐」http://ryugenji-novel11olo1.blog.so-net.ne.jp/2011-03-05-2



 『立正安国論』の構成は十問九答となっている。主人と客との問答形式で、まず正法に迷っている客が質問を発し、これに正法を持(たも)つ主人が答えを示す。次第に災難の由来、仏法の正邪、仏法と世間の関係、災難解決の方途等の奥義が明かされていくのである。
 第二十六世日寛上人はこの主人と客の問答形式について、
  「当(まさ)に知るべし、賓主の問答を仮立(けりゅう)したまう所以は愚者をして解(げ)し易(やす)からしめんが為なり」(文段七頁)
と仰せられ、無知の人々に深義を理解せしめていくためには、問答形式がきわめて有効な手段であるというのである。
 これは折伏にも通用し、相手の質問をよく聞いて疑問に答えていくことに当てはめられるだろう。巷の新興宗教は勧誘を控えめに、その代わりアンケートと称して通行人を呼び止めているのが増えている(ここでは統一協会を例にする)。一見何でもないアンケートだが、重要なのはその内容ではなく、キッカケとして通行人をさり気なく宗教に引き込もうとする事だ。
 そのアンケートの内容は、前回の記事でも載せたが、まったくもって平凡な、小学生ならだれでも書ける稚拙なものであった。宗教と言うよりも、ただ道徳の域を出ないエセ新興宗教なのだが、哀れなことに、自分の同じくらいの若い人がその信仰に精を出している。
先日友人から話を聞いたのだが、彼らは集団で生活し、自分の自由の時間は寝る時以外にないという。その宗教について誤りを指摘すると、信者は何となく中途半端にしか返答できなく、リーダー格らしき人物がやってきては一点張り。ただ信者自身は、その宗教についてかなり懐疑的であった、と。
 あなたは幸せですかと聞けば、まだ幸せの途中ですと答え、また、宗教は結局同じ目的だから、別に自分の好きなように信心してもいいじゃないと言う。それを友人は、例え同じ目的でも、それにはまず目的へ向かう手段や質の問題が生じる。例えば車で利用するとしよう。その車が安全で性能が良ければそれに越したことはないが、しかし欠陥のある部品車を利用すれば、途中事故に遭う可能性がある。あるいは安全点検の基準に達していなければ、いつ何時に事故に遭うか分からない。ブレーキペダルが壊れていれば、当然事故に遭う確率は増してくる。それと同様に、宗教といえどもその中には高低があり、正邪も厳然とある。それを無視して「自分の好き嫌い」で、外見が立派でも欠陥品があったら大変危険ではないか。
 話はだいぶ反れてしまったが、いかに日本人が宗教を安易に選んでいるか痛感させられる。

 本書における主人・客については、歴史の観点では客を時の実権者・最明寺入道こと前執権・北条時頼であり、主人は紛れなく日蓮大聖人である。また一往は、客は正法を知らぬ邪宗・謗法の大衆、主人とは正法を受持する大聖人の門流に他ならない。さらに再往をいえば、われわれ一切衆生は悉く迷える客であり、その迷妄を破してご教導あそばされる御本仏・日蓮大聖人こそ唯一の主であると拝さなければならない。
 『産湯相承事』に、
 「日蓮、天上天下・一切衆生の主君なり、父母なり、師匠なり」(御書一七一〇頁)
との御金言を、創価学会をはじめ日蓮宗等の宗派はよくよく拝すべきである。

 構成は十問九答となり、

 第一段 災難の来由(らいゆ)
 第二段 災難の証拠
 第三段 誹謗正法の由(よし)
 第四段 まさしく一凶の所帰(しょき)を明かす
 第五段 倭漢の例を出だす
 第六段 勘状の奏否
 第七段 施(せ)を止(とど)めて命を断つ
 第八段 斬罪(ざんざい)の用否
 第九段 疑いを断じて信を生ず
 第十段 正に帰して領納

に分けることができる。先ほども十問九答と記したように、最後の客の問いのみで主人の答えはないが、それは最後にいたり、ついに客が主人の説に信伏し、捨邪帰正を誓ったが故に、客の言葉はそのまま主人の意に一致し、主人の答えをあらためて必要としないためである。

 以上、『立正安国論』の序を終える事とする。次回から本文に添って考察を行う。

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『立正安国論』 第一段 「災害の来由」 壱 [立正安国論]

 始めに断っておくが、わたしが本書を考察することにいたったのは、決して東日本大震災が起きたからだという理由ではないことを明記しておく(本ブログを読んでいただいている方ならご存知であろう。考察の時期が大震災前である事は動かない証拠である)。変にオカルトとして捉えてもらいたくないだけでなく、的を外れた非難で罪障を積ませるわけにもいかないからだ。ご了承のうえ、拙い考察を一読していただきたい。




 立正安国論   文応元年七月一六日  三九歳

 旅客(りょかく)来たりて嘆(なげ)いて曰(いわ)く、近年より近日に至るまで、天変地夭(ちよう)・飢饉(ききん)・疫癘(えきれい)遍(あまね)く天下に満ち、広く地上に迸(はびこ)る。牛馬巷(ちまた)に斃(たお)れ、骸骨(がいこつ)路(みち)に充(み)てり。死を招くの輩(やから)既に大半に超え、之(これ)を悲しまざるの族(やから)敢(あ)へて一人(いちにん)も無し。
 然る間、或(あるい)は「利剣即是(りけんそくぜ)」の文を専らにして西土教主(さいどきょうしゅ)の名を唱へ、或は「衆病悉除(しゅびょうしつじょ)」の願を恃(たの)みて東方如来(とうほうにょらい)の経を誦し、或は「病即消滅・不老不死」の詞(ことば)を仰いで法華真実の妙文(みょうもん)を崇め、或は「七難即滅(しちなんそくめつ)・七福即生(しちふくそくしょう)」の句を信じて百座百講の儀を調(ととの)へ、有るは秘密真言の教に因(よ)って五瓶(ごびょう)の水を灑(そそ)ぎ、有るは坐禅入定(ざぜんにゅうじょう)の儀を全(まっと)うして空観(くうがん)の月を澄(す)まし、若(も)しくは七鬼神(しちきじん)の号を書して千門に押し、若しくは五大力(ごだいりき)の形を図して万戸(ばんこ)に懸(か)け、若しくは天神地祇(てんじんちぎ)を拝して四角四堺(しかくしかい)の祭祀(さいし)を企(くわだ)て、若しくは万民百姓(ばんみんひゃくしょう)を哀(あわ)れみて国主・国宰(こくさい)の徳政(とくせい)を行なふ。
 然(しか)りと雖(いえど)も唯(ただ)肝胆(かんたん)を摧(くだ)くのみにして弥(いよいよ)飢疫(きえき)に逼(せま)り、乞客(こつかく)目に溢(あふ)れ死人(しにん)眼(まなこ)に満てり。臥(ふ)せる屍(しかばね)を観(ものみ)と為(な)し、並べる尸(かばね)を橋と作(な)す。
 観(おもんみ)れば、夫(それ)、二離(じり)・璧(たま)を合はせ、五緯(ごい)・珠(たま)を連(つら)ぬ。三宝(さんぼう)世に在(いま)し、百王未(いまだ)だ窮(きわ)まらざるに、此(こ)の世早く哀(おとろ)へ、其(そ)の法何(なん)ぞ廃(すた)れたるや。是(こ)れ何(いか)なる禍(わざわい)に依(よ)り、是れ何なる誤(あやま)りに由(よ)るや。

 通釈

 旅客が来て嘆いて言うには、近年より近日に至るまで、天変地夭・飢饉・疫病があまねく天下に満ち、広く地上にはびこっている。牛馬はいたるところに死んでおり、その死骸(しがい)が道路いっぱいに充(み)ちている。すでに死亡した人々は大半をかぞえ、このような世相を悲しまぬ者はただの一人もいない。 
 そこで、あるいは、「阿弥陀(あみだ)の名号(みょうごう)は罪を除(のぞ)く利剣(りけん)である」との文を専一(せんいつ)に信じて、阿弥陀仏の名を唱え、あるいは、「すべての病が悉(ことごと)く除かれる」という文を信じて、薬師如来(やくしにょらい)の経を口ずさみ、あるいは、「病がたちまち消滅(しょうめつ)して不老不死の境涯(きょうがい)を得る」という詞(ことば)を信じて、法華経の経文を崇め、あるいは、「七難がたちまちのうちに滅(めっ)して七福を生ずる」という句を信じて、百人の法師(ほっし)が百ヶ所において仁王経(にんのうぎょう)を講ずる百座百講の儀式(ぎしき)を整え、またあるいは、「秘密真言の教えによって五つの瓶(かめ)に水を入れて祈祷(きとう)を行い、あるいは、坐禅(ざぜん)を組み入定(にゅうじょう)の形式ばかりを整えて空観(くうがん)にふけり、もしくは、七鬼神の名を書いて千軒の門に貼ってみたり、もしくは、悪魔を払うとされる五大力菩薩(ごだいりきぼさつ)の姿を画(えが)いて万戸(ばんこ)に掲(かか)げ、もしくは、天の神・地の神を拝(おが)んで、都や町の四方においてお祭りをし、あるいは、国王・国宰(こくさい)など時の為政者(いせいしゃ)が万民(ばんみん)を救済(きゅうさい)するために徳政を行(おこな)っている。
 しかしながら、ただ心を砕(くだ)くのみで、ますます飢饉や疫病がひどくなり、乞食(こじき)はあふれ、死人は満ちるばかりである。その有り様といえば、積み上げられた死骸(しがい)は、あたかも物見台(ものみだい)のようであり、すきまなく並べられた死骸は、まるで橋のようである。
 考えてみるに、太陽・月・五大星は平常通り天にある。仏法僧(ぶっぽうそう)の三宝(さんぼう)も厳然(げんぜん)と世におわし、また、かつて第五十一代平城(へいぜい)天皇の時に八幡大菩薩(はちまんだいぼさつ)の託宣(たくせん)があって、百代の王を守護(しゅご)すると誓(ちか)ったというが、いまだ百代にもなっていない。それなのにこの世は早くも衰(おとろ)えてしまい、世間の法は何故(なにゆえ)に廃(すた)れてしまったのか。これは、どのような禍(わざわ)いにより、またいかなる誤(あやま)りによって、生じた事なのであろうか。


 「旅客」とは、一応は安国論上奏の相手である時の最高権力者・最明寺入道こと北条時頼をさすが、総じて真実の正法を知らぬ謗法の大衆である。さらに言えば、われわれ一切衆生は悉く迷える旅客であり、その迷妄(めいもう)を破り教導あそばされる末法の御本仏・日蓮大聖人こそ唯一の主(あるじ)である。故に「日蓮、天上天下・一切衆生の主君なり、父母なり、師匠なり」。創価学会、日蓮宗、また日蓮系新興宗教は、この御文をよくよく拝すべきである。

 「近年より近日に至るまで」とは、一応は文字通りの意であるが、奥書に「正嘉(しょうか)に之(これ)を始めてより、文応元年に勘(かんが)へ畢(おわ)る」とあるように、正嘉元(一二五七)年から文応元(一二六〇)年までの四年間を指す。
 また正嘉元年の前年には大風・洪水・疫病が発生し、正嘉元年には大地震、翌年はふたたび大風さらに大雨が起こり、諸国の田園が亡失したと記録されている。次の正元(しょうげん)元年は春に大飢饉が起こり、それまでの様々な災害により穀物(こくもつ)が実らず、食べ物が不足して民衆が非常に飢えに苦しんでいた。さらに、それにしたがって大疫病が流行したという。

 「天変地夭」天変は天空に起こる変動で、暴風・雷・日食・月食など。地夭は地上に起こる変災で、地震など。自然界の変動によって起こる災害をいう。

 「飢饉」農作物が実らず、食物が欠乏(けつぼう)すること。

 「疫癘」疫病、伝染病のこと。

 「利剣即是」中国浄土宗の祖・善導(ぜんどう)が、その著書『般舟讃(はんしゅうさん)』の中で、煩悩・業・苦を断ち切る利剣は、西方安養(あんよう)浄土の弥陀(みだ)の名号を唱えることである、と説いたことをさす。つまり、南無阿弥陀仏と唱えることによって、様々な災難や煩悩とそれによる罪障がなくなるという意。

 「西土教主」阿弥陀如来のこと。浄土三部経に、阿弥陀は西方十万億土の教主である、と説かれていることから、このように称する。

 「衆病悉除の願」天台宗の祈祷。本願薬師経に説かれる、薬師如来が一切衆生の病気を治そうと立てた十二願の一つで、薬師如来の名号を聞けば、衆病を悉く除くというもの。

 「東方如来」薬師如来のこと。東方浄瑠璃(じょうるり)世界の仏である故、このように称する。

 「病即消滅・不老不死の詞」天台宗の祈祷。天台宗では、法華経薬王品第二十三の「此(こ)の経は則(すなわ)ち為(こ)れ閻浮提の人の病の良薬なり。若(も)し人病有らんに、是(こ)の経を聞くことを得ば、病即(すなわ)ち消滅して不老不死ならん」との文によって病魔退散を祈った。法華経は一代経中の真実経であるから「法華真実」と述べているが、それでも少しも効力がないと例証として挙げている。したがって、ただ単に法華経だけを唱えても災いのもとを断たなければ効力がないという意味が、ここに伏線として示されている。

 「七難即滅・七福即生の句」天台宗の祈祷。仁王般若経受持(じゅじ)品の「般若波羅密(はらみつ)を講讃(こうさん)すれば、七難即(すなわ)ち滅し七福即ち生じ、万姓(ばんせい)安楽にして帝王歓喜す」との文による。

 「百座百講の儀」これは昔、頂生(ちょうせい)王という悪王が、帝釈天王を追い出して三十三天(須弥山の頂上)の王になろうとしたことがあった。その難を防ぐために帝釈天王が、仏の教えにしたがって百人の法師を招(しょう)じ、百の講座を設けて般若経を講説したところ、その功徳によって頂生王が退散したという故事に由来する。
 この意から災害を払う儀式として、日本では斉明天皇のときに始まり、後に宮中の年中行事となった。鎮護国家・天下太平を祈る儀式。

 「五瓶の水」真言宗で災いを祓(はら)うために行った修法の一つ。五つの瓶に水を入れて、その水を修行者の頭に順々に注いていくというもの。また真言の僧侶が祈祷をする時に壇(だん)を作り、その上に中央に一つと四方に四つ、その瓶の中に五宝・五穀・五薬・五香というものを入れ、浄水をそこに注いで祈祷をする。

 「坐禅の入定の儀」禅宗の修行。端座して沈思黙念(ちんしもくねん)することにより、禅定(身口意の三業を止めて無心の境)に入り、悟りを得ること。

 「空観の月を澄まし」禅宗では、仏の説いた経典は月をさす指であり、その月とは心であるとする。そして坐禅観法によって、心に空観を悟るところが仏である、と立てる。そのことをさして、「空観の月を澄まし」といわれる。
 しかし、教えの本質である法華経を離れて、ただ精神統一したくらいで煩悩充満のありとあらゆる罪障が無くなるわけもなく、またその心が仏の境界として幸せな道に導かれる道理もない。如来の正しい禅を忘れて、我見の人師による祖師禅にとらわれているのを、大聖人は「禅天魔」と喝破あそばされている。「仏の所説に順(したが)わざる者有らば、当(まさ)に知るべし、是(こ)れ魔の眷属(けんぞく)なり」(涅槃経)。

 「七鬼神」却温神呪経(きゃくうんじんしゅきょう)にある、夢多難鬼(むたなんき)・阿伽尼鬼(あかにき)・尼伽尼鬼(にかにき)・阿伽那鬼(あかなき)・波羅尼鬼(はらにき)・阿毘羅鬼(あびらき)・婆提利鬼(ばだいりき)・の七鬼神のこと。この名を紙に書いて各門に貼れば、悪鬼が近寄らず、災いに侵(おか)されないと信じられていた。

 「五大力」仁王護国般若波羅密多経(にんのうごこくはんにゃはらみったきょう)に説かれる、五大力菩薩の略。金剛吼(こんごうく)・竜王吼(りゅうおうく)・無畏十力吼(むいじゅうりきく)・雷電吼(らいでんく)・無量力吼(むりょうりきく)のそれぞれの菩薩。この菩薩の画に書いて、門戸に貼ると災厄よけになると信じられた。

 「天神地祇」中国陰陽道や日本神道において立てる、天上にいる神と大地に住む神。「四角四堺の祭祀を企て」の箇所は、京都などの王宮のある場所で、御所を中心にして都の四隅のところに壇を作って鬼神を供養し結界を行う意。

 「国主・国宰の徳政」国王は天下の主で、国宰は一国の主。徳政とは、天皇や大臣、宰相等が自らの財産を貧民に施したり、借金を棒引きにさせるというような政令で、今日でいえば福祉政治がこれにあたるであろう。

 「肝胆を摧く」肝臓や胆のうなどの五臓六腑をもみ摧(くだ)くの意で、心を砕き、誠心を尽くすこと。

 「二離・璧を合はせ」二離とは並び連なる光明のことで、太陽と月のこと。璧(たま)を合わせとは、日月が平常通りに天にあって照らしていること。

 「五緯・珠を連ぬ」五緯とは、木星・火星・金星・水星・土星の五つの惑星のこと。珠を連ぬとは、星が紐(ひも)に連ねたように、平常通り並んで空に出ていること。

 「三宝」仏・法・僧の三宝のこと。ここで「三宝も世に在(いま)し」というのは、天台宗をはじめ、真言、念仏、禅宗等の仏教諸宗が、盛んに世の中で信仰されていることをさす。

 「百王未だ窮(きわ)まざるに」第五十一代平城天皇の世に、八幡大菩薩の託宣があり、百王を守護するとの誓いがあったといわれるが、この当時は、ようやく第九十代亀山天皇の代で、まだ百代になっていないのだから、八幡大菩薩の守護があるはずではないかと、との意。



 まず第一段の、客人からの質問である。
 客人は、この近年でいったい災害が至るところで人々を悩まし、日本全国の人口のおよそ半分が死に至ってしまった、その原因は何であろうか、と憂え嘆いているのである。記憶に新しい昨今の東日本大震災から今日で四年目を迎えた新潟中越地震、海外ではニュージーランド、ハイチ、チリ、中国等が地震で多くの方が犠牲となった。
 さらに、現代の最大の邪教である創価学会の私党・公明党が与党入りしてからの不可解な事件や事故、政治の混迷と政治不信を招いている。また外交の面においては中国との尖閣諸島問題、韓国との竹島問題、ロシアとの北方領土問題等が日本に圧力を掛けてきている。
 気象も「異常」が「普通」となりつつあり、ゲリラ豪雨から猛暑日まで、過去においても顕著に表れてくる現象は無かったではないか。
 様々な問題が山積する中で、もはや人として生きていく道すら見失いかけている。
 鎌倉時代と今と置き換えても、何ら変わることはない。

 果たして日本人は宗教に対して深い関心があるだろうか?
 普段は信仰心もないのに、何かが起きた時に限って神頼みし、終わった後で「義務を果たした」ばかりの表情がある。本当にそれでいいのだろうか?
 また菅総理は四国遍路を昔から行っているが、仮にその信仰が正しければ、斯様な政治の混乱を招くことは無かったであろう。現にお遍路信仰は、利益がない事を証しているではないか。お遍路は結局のところ、観光のためのお遊戯である。信仰でも何でもない。

 政治の徳政については『日本書紀』「仁徳天皇」に、
  「高殿(たかどの)に登って遥かにながめると、人家の煙があたりに見られない。これは人民が貧しくて、炊(かし)ぐ人がないのだろう。
  (中略)
  三月二十一日、詔して『今後三年間すべて課税をやめ、人民の苦しみを柔らげよう』といわれた。(後略)」
とあるように、仁徳天皇が国見をして治めている領地の家々に煙が立っていないことで民が貧しい生活をしていると知り、天皇自身が質素な着物や食をし、徳をもって免税を行ったところ民が豊かになった、という伝承である。この伝承は創作ではないかとも言われるが、しかし後の世はこれを倣って徳政を行うこともあった。が、あくまで世間における徳であって、仏法に比べれば劣るものである。

 八幡大菩薩の託宣・あるいは神の加護については、次の主人の答えの結論にある。直接関係ないが末法に近づくにつれて「百王思想」という、天皇が百代になれば尽きてしまうという思想がある。平城天皇でちょうど折り返し地点で、後世の繁栄を願うのが人情であろう。八幡大菩薩は周知の通り、神仏習合の先駆的象徴である。しかし正しい教えに帰依しなければ、何ら効力は無いのである。

 現代が抱えている問題を、根本から解決できる道はないであろうかと、客人は心から欲しているのは確かであろうが、しかし宗教の正邪については無知である。宗教は星のように多く存在するが、その中でも勝劣はあり、自分ひとりだけの救済か、自分だけでなく多くの人を救う教えか、また自分だけ合っている宗教を信仰すればいいとか、好き嫌いで選んでいるとか、もしくは先祖代々から信仰しているから続けているとか、人それぞれの信仰があるであろう。
 しかし、いま一度立ち止まって、本当に正しい宗教であろうかと考えるべきではないか。たとえば家族内で突然死や不慮の死がないか、病気や借金に苦しんでいないか。また何よりも、信仰することによって心から歓喜が起こり、その歓喜を他の人にも勧めていくという誇り。つまり、日々の生活において、常に「この信仰をさせていただいている」感謝の気持ちがあるかである。それが生きる楽しみになり、どんな困難でもそれが糧となる。信心とは、即生活なのである。(続く)

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『立正安国論』 第一段 「災害の来由」 弐 【改訂版】 [立正安国論]

 前回は旅客が「近年より近日に至るまで、天変地夭(ちよう)・飢饉(ききん)・疫癘(えきれい)遍(あまね)く天下に満ち、広く地上に迸(はびこ)る」と嘆き、鎌倉幕府の命により、あらゆる宗教が息災延命の祈祷等を行ってきたが、かえって事態が悪化し、数々の災害が起こる理由は何であるか主人に尋ねたところで閉じた。
 今回は主人の最初の答えであり、かつ有名な御文を記すとしよう。


 主人の曰(いわ)く、独り此の事を愁(うれ)ひて胸臆(くおく)に憤悱(ふんぴ)す。客来たりて共に嘆く、屡(しばしば)談話を致さん。夫(それ)出家して道に入る者は法に依(よ)って仏を期(ご)するなり。而(しかる)るに今神術(しんじゅつ)も協(かな)はず、仏威(ぶつい)も験(しるし)無し。具(つぶさ)に当世の体(てい)を覿(み)るに、愚かにして後生(こうせい)の疑ひを発(お)こす。然(しか)れば則(すなわ)ち円覆(えんぷ)を仰いで恨みを呑み、方載(ほうさい)に俯(ふ)して慮(おもんばか)りを深くす。倩(つらつら)微管(びかん)を傾(かたむ)け聊(いささか)経文を披(ひら)きたるに、世(よ)皆(みな)正(しょう)に背き、人悉(ことごと)く悪に帰(き)す。故に善神(ぜんじん)国を捨てゝ相(あい)去り、聖人所(ところ)を辞して還(かえ)らず。是(ここ)を以(もっ)て魔来(き)たり鬼(き)来たり、災起こり難起こる。言はずんばあるべからず。恐れずんばあるべからず。

 通釈

 主人のいわく。
 自分は一人このことを愁(うれ)いて、胸中に思い悩んでいたが、あなた(客)が来て共に嘆くので、これについて少々語り合おうと思う。
 そもそも、出家して仏道に入(い)る者は、正法(しょうぼう)によって成仏を期(ご)するものである。しかるに、今や神術もかなわず、仏の威徳(いとく)による験(しるし)も顕(あらわ)れない。
 つぶさに現在の世の中の有り様をみると、民衆は愚かにして、後輩としての疑いを起こしている。しかして、天を仰(あお)いでは恨みを呑み、地に伏(ふ)しては、深く憂慮(ゆうりょ)に沈んでいる。 
 わずかばかりの眼(まなこ)を開いて、少し経文を開いてみるに、世の民衆は皆(みな)正法に背き、人々は悉く悪法に帰依している。
 ゆえに善神は国を捨てて去ってしまい、聖人は所を辞して帰ってこない。このため、善神・聖人にかわって魔神(まじん)・鬼神(きじん)が来て、災が起こり、難が起こるのである。
 このことは、声を大にして言わなければならないことであり、恐れなくてはならないことである。


○胸臆(くおく)に憤悱(ふんぴ)す
 胸の奥においてこの状態を見て憤(いきどお)り、苦しんでおりましたの意。
 「りっしんべん」に「非」の字は、心ここに非ずということで、言葉に出すこともできないというもどかしさを述べている。

○神術も協(かな)はず
 前回で旅客が述べていたように、天神地祇(てんじんちぎ)を拝し四角四堺(しかくしかい)の祭りを行っても、いっこうに効き目がないことをさしている。

○仏威(ぶつい)も験(しるし)なし
 同じく前の、阿弥陀仏の名号(みょうごう)を唱え、薬師如来に祈り、仁王講(にんのうこう)を修する、あるいは加持祈祷(かじきとう)や坐禅を組むなど、ありとあらゆる仏教諸宗の祈りを行っても、何ら威力が顕れず、まったく災難がおさまらないことをいっている。

○後生(こうせい)
 後生(ごしょう)と読めば死後・未来等の意であるが、ここでは後生(こうせい)と読み、後輩、後進の意を表す。先生、先輩、先進に対する語。

○円覆(えんぷ)・方載(ほうさい)
 円覆とは天をいい、方載とは地をいう。古代の中国人は、大地を四角の平面、天はそれを覆う球面と考えた。

○微管(びかん)を傾(かたむ)け
 微管は細い管(くだ)。細い管からのぞくと、広い所の全体観が見えない。このことから、愚かな凡夫の狭い見方をたとえる言葉として用いられる。ここでは、狭い見解という意味で、謙遜(けんそん)の気持ちが込められている。

○世(よ)皆(みな)正(しょう)に背き人悉(ことごと)く悪に帰(き)す
 正とは正法(しょうぼう)、悪とは悪法のこと。世の中が、皆、正法に背き、禅・念仏・真言等の悪法に帰依するが故に、国土に災難が起こっている、ということを喝破(かっぱ)された御文。すなわち、この「世皆背正人悉帰悪(せかいはいしょうにんしつきあく)」の八字こそ、災難興起(さいなんこうき)の原因を一言で明かした肝要の文であり、なかんずく「背正帰悪」の四字こそ肝心である。なお、また「正」とは、文(もん)の面(おもて)には明言されていないものの、本門三大秘法(本門の本尊・本門の戒壇・本門の題目)をさすことはもちろんである。

○善神(ぜんじん)国を捨てゝ相(あい)去り
 善神とは、大梵天王(だいぼんてんのう)・帝釈天王(たいしゃくてんのう)等の諸天善神のことで、国土と民衆を守護する働き。金光明経(こんこうみょうきょう)に、
  「我れ等(ら)及び余の眷属(けんぞく)・無量の諸天をして、此の甚深(じんじん)の妙法(みょうほう)を聞くことを得ず、甘露(かんろ)の味(あじはひ)に背き、正法の流れを失ひて、威光(いこう)及び威勢力(いせいりき)有ること無からしむ。(中略)我れ等四王(しおう)並びに諸(もろもろ)の眷属及び夜叉(やしゃ)等、斯(か)くの如き事を見て、其の国土を捨てて擁護(おうご)の心無けん」
 と説かれるように、この善神の威力は、妙法の甘露の法味によって支えられているので、もし、国土に正法を信受(しんじゅ)し妙法を唱える者がなくなれば、守護の力を失い、その国土を捨て去ることになる。

○聖人所(ところ)を辞して還(かえ)らず
 聖とは、耳の穴がよく通って、他の人よりもよく音声を聞きうることで、聖人とは、普通人(ふつうじん)の聞きえない天の声を聞ける人のこと。世間においては、知徳(ちとく)が勝れて万事に通達した、理想的人物のことを聖人(せいじん)といい、こうした人物が国を捨て去れば、国が乱れて治(おさ)まらなくなる。が、ここでは、仏法における聖人(しょうにん)の意で用いられており、仏の別号(べつごう)である。世間の聖人が国を去っても乱国(らんごく)となるが、ましてや、仏法の聖人・仏が去った場合にはなおさらである。

○魔
 魔とは梵語で訳すと、奪命(だつみょう)・奪功徳(だつくどく)・障礙(しょうげ)・攪乱(かくらん)・破壊等という。人命を奪ったり、幸福生活を破壊したり、病気を起こさせる等々の働きをなす。

○鬼
 三悪道(さんなくどう)の一つである餓鬼(がき)に具(ぐ)する働きで、人身に病気を起こしたり、国土にインフレを引き起こす。


 さて、客人が災害の原因は何であるか尋ね、主人はまだまだ至らぬ身でありますがその疑問についてお話しましょうと、数々の御経の中から記されている御文を集約して答えた。
 日蓮大聖人様は、災難によって来たる根本原因と、そこから災難が起こるまでの過程を、三段階に分けて示されている。すなわち、

 「世(よ)皆(みな)正(しょう)に背き、人悉(ことごと)く悪に帰(き)す」

とあり、まず世の人々が正法正義(しょうぼうしょうぎ)に背き、邪法邪師(じゃほうじゃし)を信奉(しんぼう)すること(背正帰悪)によって、

 「善神(ぜんじん)国を捨てゝ相(あい)去り、聖人所(ところ)を辞して還(かえ)らず」

つまり国土を守護していた善神・聖人は、その国土を捨てて去ってしまい(神聖去辞)、それにかわって国土には、

 「魔来(き)たり鬼(き)来たり」

国土を破壊する魔鬼(まき)の働きが乱入して(魔鬼来たり乱るる)、ついには恐るべき大災難が起こる、と明かされたのである。
 
 これは因果の道理に基づくものであり、他のキリスト教やイスラーム教では絶対に明かすことができない真理である。東日本大震災後でローマ法王が、少女に対する答えが出なかったのも、キリスト教が因果を説いていないからである。ただただ「奇跡」ばかりを説き、理性を狂わしめ、過去において何度も大きな過ちを繰り返してきた。「歴史は繰り返す」の言葉を、よくよく考えるべきである。
 因果の道理とは、すなわち現実に即した原理である。原因が何もないまま結果が生まれることは、絶対にあり得ない。天地創造の神がこの世界を作ったならば、ではその神は一体どこから誕生したのだろうか?ただ漠然として、「最初から存在していた」くらいでしかならない。神ありきでこの世界が成り立っているのであれば、戦争も災害も不慮の死も神の意志であろうか?
 仏教は違い、この世界(平たく言えば宇宙全体)の真理を悟られたのが仏であり、仏が最初から生まれたわけではない。法があって仏がおり、その教えを乞うて御僧侶や衆生がいるのである。しかし、残念ながら仏教といえどもそれぞれの教えがあり、程度の低い教えがあれば、自己中心の教えもあるのである。だが、それはあくまでも方便であって、仏が悟られた教えではない。
 現在の日本仏教の教判が整えられたのが、中国の天台大師である。天台大師はそれまでの教判を吟味し、華厳時・阿含時・方等時・般若時・法華涅槃時の五時に整え、法華経こそ最勝の教えであると示された(もちろん、それ以前の教判にも影響を受けていた)。
 
 今年は法然八百遠忌・親鸞七百五十遠忌の法要が行われたが、それが一因となって今回の東日本大震災が起きたのであろう(一因と書いたが、実際は日本の宗教が氾濫し、宗教法人の有無に関係なくおおよそ二十万弱の宗教があると言われている。そういった宗教の混迷により、数々の災いを国・地域、そして国民にもたらしているのである)。大聖人は「念仏無間」と破折され、仏の本意に背いて「法華経を捨てよ、閉じよ、閣(さしお)け、なげうて」と、そして法然はこの世の穢土(けがれた世界)を嫌い、有りもしない西方極楽浄土を願って「阿弥陀仏」と唱えよと、自分勝手に解釈したのである。『法華経・第二』に、

  「若(も)し人信ぜずして此の経(法華経)を毀謗(きぼう)せば(乃至)其の人命終(みょうじゅう)して阿鼻獄に入らん」

とあるように、法華経を誹謗した者は命尽きて地獄に堕ちる、と厳然たる事実が説かれているのである。東日本大震災の光景は、まさに地獄の様相ではなかったか。
 そして今は、真言宗の祖・空海が話題に上っている。
 「真言亡国」とあるように、現実に仏として生誕された釈尊を蔑(ないがし)ろにし、我々衆生の縁のない架空の仏・大日如来を本尊として建てている。これは大黒柱(仮に釈尊として)を倒す行為である。
 また既に中国で広まっていた天台宗の法華経の「一念三千」を、善無畏が盗んで、大日経は法華経と一念三千の上では理が同じであるが、法華経には無い二事があるから大日経が勝れていると主張した。盗人猛々しいものである。
 しかも、釈尊が説いた法華以前の教えは方便であったのに、大日如来が説いた密教こそが真実の教えであるとし、「第一大日経 第二華厳経 第三法華経」と、法華経を貶めたのである。
 法華経には、

  「四十余年には未だ真実を顕さず」

と説き、さらに、

  「此の法華経は、諸仏如来の秘密の蔵なり。諸経の中に於て、最も其の上に在り」

とハッキリ説かれているのである。
 
 思うに、先日の和歌山地震はこの様なことがあるから起きたのであろう。
 今こそ、日本のみならず世界中で、真剣に、宗教を考えなければならない時ではないか。(続く)

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『立正安国論』 第二段 「災害の証拠」 壱 [立正安国論]

 前回で旅客は「近年より近日に至るまでの災害はなぜ起き、どうして祈祷の効果が顕れないのか」と嘆き主人に尋ねた。主人の答えとして「僭越ながら申し上げますが、経文を開いてみると世の中の民衆が正法に背き邪法に帰依しているため、本来守護する役目があった諸天善神は国を去り、聖人はその場を去って帰らず。それに代わって悪鬼・鬼神が我が物として神社や堂宇に住みつき、人々の混乱を招いているのである」と経文の中身を集約されたのだった。
 この答えに対し旅客は大変驚き、まさに仏法に理解できない人々にとっては驚天動地の内容であり、容易に信じがたく解しがたい御教示である。では、その第二段を見ることにしよう。


 客の曰(いわ)く、天下の災・国中の難、余(よ)独り嘆くのみに非ず、衆(しゅ)皆(みな)悲しめり。今蘭室(らんしつ)に入(い)りて初めて芳詞(ほうし)を承(うけたまわ)るに、神聖(しんしょう)去り辞(じ)し、災難並び起こるとは何(いず)れの経に出(い)でたるや。其(そ)の証拠を聞かん。


 通釈
 客が言うには、天下・国中の災難については、自分ひとりだけが嘆いているのではなく、大衆が皆悲しんでいる。今あなたの所に伺って、初めて立派な御意見を承(うけたまわ)ったところ、善神や聖人が高度を捨て去る故に災難が相次いで起こるということであるが、それは、いったい、いずれの経典に出ているのか。その証拠を聞かん。

○蘭室
 蘭香の室の意で、高徳の人、善人、佳人のいる所。香りの高い蘭のある室にいると、その香りが身体にしみてくることから、高徳の人や善人と共にいると、いつのまにか、その徳の感化を受けるということに譬(たと)えた話。

○芳詞(ほうし)
 芳(かんば)しい詞。立派なお話という意味。

○神聖(しんしょう)
 ここでは、善神と聖人を並べて略したもの。

 前回の主人の答えに、旅客は「そのような説は初めて聞いた。もし、根拠があるならば伺いたいものである」として、まず文証(経文上の証拠)の提示を求めたのである。



 主人の曰く、其(そ)の文(もん)繁多(はんた)にして其の証(しょう)弘博(ぐはく)なり。

 通釈

 それに対して主人が答えて言うには、そのような経典はたくさんあり、その証拠は数え切れないほどである。

○其の証弘博なり
 弘も博も「ひろい」の意。災難の起こる原因を明かした経文、証拠は、諸経中、いたるところにあり、あらゆる角度から論じられていることをいう。


 金光明経(こんこうみょうきょう)に云(い)はく「其の国土に於て此の経有りと雖(いえど)も未(いま)だ嘗(かつ)て流布(るふ)せしめず、捨離(しゃり)の心を生じて聴聞(ちょうもん)せんことを楽(ねが)はず、亦(また)供養し尊重し讃歎(さんたん)せず、四部の衆(しゅ)、持経(じきょう)の人を見るも、亦復(またまた)尊重し乃至(ないし)供養すること能(あた)はず。

 通釈

 まず金光明経には、次のように説かれている。
 「(四天王が仏に申し上げて言うには、もし、ある国王がいて)その国土に正法があるにもかかわらず、国王がそれを流布させないで、むしろ、捨て離れる心を起こして聴聞しようともせず、供養することも、尊重することも、讃歎(さんたん)することもせず、正法を持(たも)つ四部の衆(しゅう)や持経の人を見ても、なお尊重も供養もしない。

○金光明経
 釈尊の一代五時説法のうちの方等時の経で、ここで引用された文は、金光明最勝王経(こんこうみょうさいしょうおうきょう)第六巻四天王護国品の一節である。

○其の国土に於て
 経文には、この文の前に「爾(そ)の時に四天王倶(とも)に合掌して仏に曰(もう)して言(いわ)く、世尊若(も)し人王(にんのう)有り」とある。すなわち、以下に続く文は、四天王が仏に向かって述べた言葉である。

○未だ嘗て流布せしめず
 国王がこの経を流布させない、という意。

○捨離の心を生じて
 捨離とは、捨て離れること。この文は、国王が、正法に対して捨離の心を生じた、との意。

○四部の衆
 比丘(びく)・比丘尼(びくに)・優婆塞(うばそく)・優婆夷(うばい)をいう。比丘・比丘尼は出家して受戒した男子と女子。すなわち僧と尼僧(にそう)のこと。優婆塞・優婆夷とは、俗家(ぞくけ)にあって仏法を信行する男子と女子のこと。

○持経の人
 正しい仏法を信じ持(たも)つ人。


 遂(つい)に我れ等(ら)及び余の眷属(けんぞく)、無量の諸天をして此の甚深(じんじん)の妙法を聞くことを得ず、甘露(かんろ)の味はひに背(そむ)き正法(しょうぼう)の流れを失ひて、威光(いこう)及以(および)勢力有ること無からしむ。悪趣(あくしゅ)を増長(ぞうちょう)し、人天(にんでん)を損減(そんげん)して、生死(しょうじ)の河に墜(お)ちて涅槃(ねはん)の路(みち)に乖(そむ)かん。

 通釈
 そして我れ等(帝釈天や四天王)および眷属である無量の諸天に対して、この甚深の妙法を聞けず、(諸天が食べ物としている)甘露の味わいを得られず、(諸天が飲み物としている)正法の水流に浴せず、ついには威光、勢力がなくなるようにされてしまう。しかして、国中に地獄、餓鬼、畜生、修羅などの四悪趣(しあくしゅ)が増長して、人界、天界の境界はそこなわれ、煩悩の苦しみに落ち込んで、涅槃(成仏)の道に背き遠ざかってしまうのである。

○我れ等及び余の眷属
 我れ等とは、帝釈天王を中心として、東西南北を守る四天王のこと。東を守るのが持国天王、西を守るのは広目天王、南は増長天王、北は毘沙門天王である。余の眷属とは、それ以外の諸天善神のことである。

○此の甚深の妙法
 いちおうは金光明経のことをさす。方等部(ほうどうぶ)に属する金光明経を、なぜ妙法と称しているのかといえば、所対不同(しょたいふどう)の故である。つまり、外道に対すれば、小乗教である阿含経(あごんきょう)も、なお妙法と称することができ、小乗教に対すれば、権大乗教(ごんだいじょうきょう)である方等部の金光明経も妙法といえるからである。かくのごとく、所対の不同によって、爾前(にぜん)の諸経であっても甚深の妙法と称する場合があるが、一切経(いっさいきょう)を従浅至深(じゅうせんしじん)して判ずるならば、真の甚深の妙法とは、文底下種の妙法蓮華経に限られる。したがって、文(もん)はいちおう金光明経をさしているが、日蓮大聖人の御真意においては、文底下種の妙法蓮華経をさすものであると拝さねばならない。

○甘露の味はひに背き正法の流れを失ひて
 甘露の味わいとは、天界の衆生(諸天善神)の食(しょく)のことで、諸天は、仏の説いた正法、及び正法によって顕現(けんげん)する仏界(ぶっかい)を食として、正しく強く働く。また、正法の流れも甘露の味わいと同義であって、正法を諸天の飲む水にたとえた語。したがって、この文は、諸天善神にとっての食となり水となる正法を、国王が断つゆえに、諸天は飢え渇(かわ)いた状態となって、諸天としての働きをなすことができない、との意。

○悪趣
 趣(しゅ)とは境界(きょうがい)の意で、十悪(じゅうあく)・五逆(ごぎゃく)・謗法(ほうぼう)の悪業を犯した者が堕ちる苦悩の境界を悪趣という。ここでは地獄・餓鬼・畜生・修羅の四悪趣(四悪道)のこと。

○生死の河
 生死(しょうじ)とは、生老病死という人生の根本的な苦しみのことで、煩悩に支配された迷いと苦悩の生活。ここでは、前(さき)の四悪趣に人(にん)界・天界を加えた六道(りくどう)を輪廻する人生のこと。

○涅槃の路
 涅槃とは梵語で、滅度(めつど)・寂滅(じゃくめつ)・解脱(げだつ)などと訳す。一切の煩悩を滅ぼし、永遠不滅の幸福感を得た悟りの境涯をいう。ここでは、前の六道から脱却した、声聞・縁覚・菩薩・仏の四聖(ししょう)をもって涅槃となしている。


 世尊(せそん)、我等四王(しおう)並びに諸(もろもろ)の眷属及び薬叉(やしゃ)等、斯(か)くの如き事(じ)を見て、其の国土を捨てゝ擁護(おうご)の心無けん。但我等のみ是の王を捨棄するに非ず、必ず無量の国土を守護する諸大善神(しょだいぜんじん)有らんも皆悉(ことごと)く捨去(しゃこ)せん。既に捨離し已(お)はりなば其の国当(まさ)に種々(しゅじゅ)の災禍(さいか)有りて国位を喪失すべし。

 通釈
 世尊よ、我れ等四天王並(なら)びに諸々の眷属、及び夜叉等は、かくのごとく国王が正法を流布せしめないことを見て、その国土を捨てて擁護(おうご)しなくなってしまうであろう。そのうえ、ただ、我れ等四天王のみがこの国土を捨て去るばかりでなく、国土を守護する無量の諸天善神も、必ず皆、悉(ことごと)く国土を捨て去るであろう。

○夜叉
 勇健(ゆうけん)・能嘶鬼(のうたんき)と訳す。本来は形貌醜怪(ぎょうぼうしゅうかい)で猛悪(もうあく)なインドの鬼神(きじん)であるが、仏教においては、天・竜・乾闘婆(けんだつば)・迦楼羅(かるら)・緊那羅(きんなら)・摩睺羅伽(まごらか)と共に八部衆(はちぶしゅう)として、また毘破門天の眷属として、法華経の行者を守護する。

○斯くの如き事を見て
 国王が正法を「未(いま)だ嘗(かつ)て流布(るふ)せしめず」にいることを見て、の意。

○擁護の心無けん
 謗法(ほうぼう)の国土には、諸天善神の守護がなくなってしまう。けれども、もし正法の行者があれば、諸天は行者の頂(いただき)に宿って、その行者を守護するのである。二十六世・日寛上人は「持経者(じきょうしゃ)に於(おい)て亦(また)両向(りょうこう)有り。開目抄の意は、謗法の世をば守護神捨て去る故に正法の行者に験(しるし)無し等云云。八幡抄(はちまんしょう)の意は、其の国を捨去(しゃこ)すと雖(いえど)も、若(も)し正法の行者有れば即(すなわ)ち其の頂に宿る等云云。是れ共業別感(ぐごうべっかん)に由る故なり」と仰せられている。


 一切の人衆(にんしゅ)皆善心(ぜんしん)無く、唯(ただ)繋縛(けばく)・殺害・瞋諍(しんじょう)のみ有って、互ひに相(あい)讒諂(ざんてん)して枉(ま)げて辜(つみ)無きに及ばん。疫病(やくびょう)流行し、彗星数(しばしば)出で、両(りょう)の日並び現じ、薄蝕(はくしょく)恒(つね)無く、黒白(こくびゃく)の二虹(にこう)不祥の相を表(あら)はし、星流れ地動き、井の内に声を発し、暴雨・悪風時節(じせつ)に依(よ)らず、常に飢饉(ききん)に遭(あ)ひて苗実(みょうじつ)成らず、多く他方の怨賊(おんぞく)有りて国内を侵掠(しんりょう)せば、人民諸(もろもろ)の苦悩を受けて、土地として所楽(しょらく)の処(ところ)有ること無けん」已上

 通釈
 すでに諸天善神が捨て去ってしまったならば、その国には種々(しゅじゅ)の災禍(さいか)があって、まさに国主はその地位を失ってしまう。一切の人衆(にんしゅう)は、皆、善心(ぜんしん)がなく、ただいろいろな束縛や、殺害、争いばかりがあって、互いに相手を讒言(ざんげん)し、罪のない者をも曲げて罪に陥(おとしい)れるであろう。そして、国土には疫病が流行し、空には彗星がしばしば出て、一度に太陽が並んで現れ、日食や月食などの薄蝕(はくしょく)が規則通りに行われず、黒白(こくびゃく)の虹が出て不詳の相を現し、流れ星が出、地震が起きて、井戸の中から異様な地鳴りがする。また、大雨や暴風があって、風雨(ふうう)が時節どおりでなく、常に飢饉に遭って、穀物が実らず、多くの他国の怨賊(おんぞく)が国内を侵略し、人々は諸々の苦悩を受け、楽しく生活のできるところはどこにもなくなってしまうであろう」以上。

○繋縛・殺害・瞋諍
 繋縛とは束縛されて自由を失うこと。殺害とは殺人。瞋諍とはけんか、争いのこと。

○讒諂
 讒は讒言で、事実を曲げて、他人を悪く言うこと。諂は諂訣(てんゆ)で、諂(へつら)うこと。すなわち、他人を讒言して罪に陥れ、自分は目上の者に媚びへつらってよく思われようとすること。

○枉(ま)げて辜(つみ)無きに及ばん
 法律を曲げて、罪のない者まで陥れようになるであろうとの意。

○彗星
 「けいしょう」とも読む。ほうき星のこと。古来より、彗星の出現は、大火や兵乱(ひょうらん)などの起こる悪い前兆とされている。

○両の日並び現じ
 太陽が二つ三つと同時に並んで出ること。一つだけが実物で、他は幻の太陽である。大気中の微細な氷の結晶などから成る雲を光線が通るとき、反射・屈折した結果、生ずる暈(かさ)が正体で、その交差するところがとくに輝いて、太陽が並び出たかのように見えるのである。陰陽道(おんようどう)では、二つの太陽が並び出ることを、国に二王が並び立ち、世の中が乱れる瑞相(ずいそう)であるとした。日寛上人は、「尭(ぎょう)の時、十の日並び現ずること註(ちゅう)の如し。劫末(こうまつ)に七の日現わるること涅槃経(ねはんぎょう)の如し云云」と仰せられている。
 また最近の例では、昭和四十九年四月に、東京都内に現れた二つの太陽の写真新聞に載り、昭和五一年二月二五日には、近畿四国地方で、太陽を中心に虹の輪がかかり、その輪の中に小さな幻の太陽が三つ現れるという珍しい幻日(げんにち)現象が見られ、数紙に写真が掲載されている。


○薄蝕恒無く
 薄(はく)とは、太陽や月が出ていながら、大気中の塵埃(じんあい)などにより、その光を失うこと。蝕(しょく)は日食や月食のこと。恒無くとは、通常通りではない、との意で、臨時に日食・月食が起きること。

○黒白の二虹
 七色の虹ではなく、黒や白の虹。急激な気候の異変によって生ずる、悪気流のようなものではないかと考えられる。白虹(びゃっこう)は、霧雨のように細かい雨滴(うてき)に光があたってできる。昔の中国では、白虹は革命や戦乱の前兆とされた。

○井の内に声を発し
 地震のとき、地震波(じしんは)によって空気が振動し、井戸の中から遠雷や大砲の音のような音を発することがある。あるいは地鳴りのことをさすものとも考えられる。

○侵掠
 侵略と同じ意味で、他国を攻撃し、国土を奪うこと。


 金光明経において釈尊の説法を聞き終わった四天王が、つまり大持国天王・大毘沙門天王・大広目天王・大増長天王が護国について自ら考えた所を、仏に向かって申し上げている箇所である。この趣意は、国王が「此の経」、つまり仏の尊い教えを軽視すること、あるいは侮蔑することが非常に大きな災難につながることを述べているのである。
 これを現在に置き換えれば、日本国憲法で主権があるのは私たち国民である。つまり主権在民
であるので、国民が正しい法に背くことになれば人心が荒廃し、疫病や災害など現証として現れてしまうのである。正しい仏法で甘露のごとき最上の勝れた法味を受けていたことにより、国土を守る善神らが正しくはたらきを為していた。しかし、国民が正しい法から捨離の心を生じ、自分の主観で宗教を判じ、あるいは宗教に関わるのが嫌で世間の娯楽に浸りたいという怠惰の心が世の中にあふれていくと、ついに正法の功徳の流れを滅失し、善神の護国のはたらきは為さなくなってしまうのである。
 顧みれば、江戸時代において寺請け制度(檀家制度)に安住し、布教を忘れた宗教的堕落を招き、民衆はこれは軽視して敬遠する風潮が強かった。また国民から宗教論議を奪ったのは明治政府の国家神道対策(廃仏毀釈)に端を発し、明治四年五月一四日にはすべての神社を国家の宗教と定めた。強引に推し進めたその結果、言論の自由・信教の自由が奪われ、勝てもしない戦争を引き起こし敗戦した。
 それと反発するように日本国民の宗教的意識が低下し、戦争直後に新興宗教が跋扈(ばっこ)。宗教の無知によって邪教が誘因される結果となった。
 こうした幾重の誘発によって日本国民は宗教離れ化したのである。

 また「宗教」の代名詞に「心」を使う宗教学者が増えているが、宗教=心という考えは誤りである。なぜならば、心を正しく導くのが宗教だからである。

 また昭和四九年と五一年の不可思議な現象であるが、実はこの頃において創価学会等の問題が起きていた。第六十六世日達上人が、創価学会の池田本仏論を初めて公の場で破折せられたのが昭和四十九年四月の法華講春季登山のお御目通りの席であった。その時期に、二つの太陽が観測されたわけである。さらに昭和五一年といえば、まさに元妙信講問題と創価学会教義逸脱問題が起きて、日蓮正宗を揺るがす事態となっている時期であり、そういう状況の中で、太陽が三つ四つ現れる、という現象が確認されたのである。
 経典には、国に大謗法が充満した時に、自然界にこうした異常な現象が起きることが説かれているわけだが、創価学会の大謗法路線が露呈し、日蓮正宗と対立する事態が起こった、まさにその時に符合し、こういった現象が起こっている。この事実をよく考えなければならない。

 (続く)

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