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東京にも大地震! [大地震]

宮城県北部で大地震が発生!
わたしが住む東京にも、およそ震度6くらいの大きな揺れを受けました。
いま現在も少し大きい余震が続いています。

(東京は震度4か5と報道していますが、あれは震度6以上です)


我が家も物が倒れました。

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父の部屋はパソコンの上にあった物や、テレビが倒れていました。
今もまだ余震が続く。
なので、御本尊様をお巻きして大事に私のそばに置いております。

これは明らかに自公が力付いた結果であり、
また謗法による結果の大地震であると思う。
この事を『立正安国論』でも取り上げなければならない。

ではでは。

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やっと連絡とれました。 [大地震]

こんばんは☆

東北関東大地震が起きて、まる2日が経ちました。
今晩、今回の大地震やスマトラ沖地震、新潟中越地震、
ニュージーランド地震等の犠牲者のお塔婆を建て、ご焼香させていただきました。
また被災者の方へお見舞い申し上げます。

ようやく私の伯父と祖母の連絡が取り、無事であることを確認できました。
福島の郡山の郊外に住んでおり、家も相当古い建造物でしたが、
さいわい倒れることはなかったそうです。
これで本当に、家族全員の無事が確認できました。

一日も早く被災地が復興できますようご祈念すると共に、義援金を支援したいです。
しかし義援金詐欺が既に起こっているかもしれないので、要注意。

ではでは。


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創価学会のみなさんへ [大地震]

先日、緊急拡散メールがありました。
もちろん、これは創価学会員のみならず、自分たちや世間の皆さまにもかかわることだと思い、
そのまま転載します。




東日本大震災で被災された方々へ

東日本大震災で被災された方々、また殉難された方々、心よりお見舞い申し上げます。
日々、被災された皆様の一日も早い復興への御祈念と、殉難された全ての方々への追善回向を真剣にさせていただいております。
また、折々には殉難された方々の全精霊の塔婆供養もさせていただいて、日蓮正宗の御僧侶による追善回向をお願いしております。
非力な自分ですが、精一杯の気持ちを込めて御本尊様へ御祈念申し上げております。
御本尊様の広大なお力が必ずや皆様方の活力として顕れておられることと確信しております。




今回の東日本大震災を眼前にして

             日蓮正宗法華講員 樋田 昌志

今回、文明が発達し安心快適な生活を多くの国民が何の疑いもなく享受していたこの現代の日本に、まさかの未曾有の大災害である東日本大震災が現実に起きました。
この震災で、直接に被害を受けられた方がた、そして原発問題など、その”余震”をさらに受け続けている方々を含め、これは日本国民一同が受けた、まさに「国難」であることは日本人なら誰もが感じていることでしょう。

これは仏法の眼から見たならば、まさに鎌倉時代の"正嘉の大地震"に匹敵する大災ではないかと思うのであります。

日蓮大聖人様の立正安国論の冒頭のお言葉

    立正安国論   文応元年七月一六日  三九歳

 旅客来(き)たりて嘆(なげ)いて曰(いわ)く、近年より近日に至るまで、天変・地夭(ちよう)・飢饉(ききん)・疫癘(えきれい)遍(あまね)く天下に満ち、広く地上に迸(はびこ)る。牛馬巷(ちまた)に斃(たお)れ、骸骨(がいこつ)路(みち)に充(み)てり。死を招くの輩(ともがら)既に大半に超(こ)え、之(これ)を悲しまざるの族(やから)敢(あ)へて一人も無し。(234)

・・・・牛や馬などの動物達が亡くなり、その骸骨が道々に溢れ、市・町・村の住民の半数以上の方々が亡くなってしまった。・・・

この御文の通りの姿が、まさかこの文明の進んだ現代において現実に起こるとは、誰もが予想し得ないことでした。
この惨状を、我が身で体験し、家族・親類が体験した方々におきましては、言葉に尽くせないほどのご苦労があり、
また、被災地以外の国民も、被災地の惨状やご苦労を、日々の報道などから知らされて、深い同情とともに悲痛な想いに駆られない方は一人もおられないことでしょう。

この大災害の根本原因はいったいどこにあったのか。

大聖人は鎌倉時代、何年来の災難を深く哀しまれ、その根本原因を究明され、当時一国に最大に広まっていた念仏宗(をはじめとする一切の誤まれる宗教の本尊と教義)こそが、その元凶であると喝破せられ、

◆ 如(し)かず彼(か)の万祈を修せんよりは此の一凶(いっきょう)を禁ぜんには。
(様々な宗派で祈りを幾らしても無駄であり、詰まるところ、一番広まっている邪宗・謗法を禁止・廃絶しなくては、一国の安泰はあり得ない)

と厳しく仰せられたのです。


翻って、今回の大震災の根本原因を、現時の日本の状況から考えますと、

今日本で一番大きな宗教団体はどこか?
政治・政権や経済界に大きな影響力を持つほどの宗教団体はどこか?

誰もが知っています。
それは「創価学会」であります。
もし、創価学会が正しい宗教であり、その本尊と教義が正当であるならば、800万世帯を公称する、これほど多くの会員数を誇っているのですから、日本国は法界に所する諸天の加護を大きく受けて、

◆ 吹く風枝をならさず、雨土くれをくだ(砕)かず、(如説修行抄)

との、安穏な国土の一分を現出しているはずであります。

にもかかわらず、このような世界的にも未曾有な、もちろん我が国としても、まさに第二次世界大戦以来の最大規模の国難が起きた、ということは、日本最大の宗教団体である創価学会の、宗教としての在り方と、「本尊と教義」の是非を真摯に考えてみる必要があるのではないでしょうか。

宗教の一番根本を為すものは、「本尊」であります。
本尊こそが一切の教義・信条・活動・修行の根幹であり、出発であり帰趨・帰着するところであります。

この本尊がもし不当なものであれば、当然その修行も活動も一切が正しいものではなく、結果、その人の人生は次第次第に取り返しのつかない惨憺たる状況となるのであります。

創価学会員の皆さん。
ご自分・御家族・周りの学会員・幹部の家庭・・・などなど、冷静に見つめて見てください。
どうですか?

 ● やる気が出ない  ● 引きこもり  ● 鬱病  ● 自殺
       ● ガンの多発  ● 大事故の多発  ● 突然死  ● 最愛の人を亡くす
            ● 火事  ● 犯罪者が多い  ● 犯罪に巻き込まれる  ● 精神障害
                 ● ペットの異変・異常死  ● 破産・倒産  ● 経済苦
                      ● 離婚・一家不和  ● 人格破綻  ● 脳機能障害

というような現証が増えていませんか?
否、率直に言って、このような現証だらけ、ではありませんか?

このような悲惨な状況は一体何が原因で起きるのか?


平成5年 創価学会は自分たちの「本尊」を作成し、全国の学会員へ頒布し始めました。

平成7年1月17日 忘れもしない阪神大震災。

この前日・前々日と、長田区(この震災で"一本部(4支部)消滅"というほどの壊滅的被害を被った地区)中心に、1000体以上もの日蓮正宗の御本尊が不当に回収され、学会版の本尊に交換されました。(この時、奪取された日蓮正宗の御本尊の行方は未だ不明です)

そしてその翌町早暁の5時45分 あの惨状は起きたのです。

もし、学会の本尊が本当に御仏の心に叶うものであったならば、それが大量に流布された直後に、あのような大災害が起こるものでしょうか?


そして、16年の歳月が過ぎ、今回の大震災です。

今年平成23年は、あの時の殉難者の方々のまさに17回忌に当たる年です。

これが何を意味するのかは我々が軽々に判断できるものではありません。
が、ここに何か深い因縁・因果を感じるのは私だけでしょうか?

私たちは、ここでもう一度、この災難興起の由来を真剣に考えて見なければなりません。
これはもう、法華講員も、創価学会員も、そのような括りではなく、全ての日本国民の問題であります。

まさに、日本国に間違った本尊が大量に存在する、この事がこの大災害の根本的な原因であると、いよいよ気がつくべきなのではないでしょうか?

邪な本尊は、小を取れば一家の不幸 大を見れば国が滅びんとするほどの悪しき力を、現実に持っているのであります。

創価本尊が頒布されて約18年。
その創価本尊が自分の家の仏壇に祀られてからの歳月に起こった、自らの生活を振り返って見てください。
大切な家族を冥々に不幸に落とし、そして大を見れば国が大きく傾くほどの大災害が、国民全てが生活全般の拠り所とする、この日本国にとうとう起きてしまったのであります。

どうか、今一度、立ち止まって、じっくり考えてください。

今、ここで本気で、「創価本尊こそが不幸の根源である!」と、創価学会員も法華講員も共々に深く気づき、創価本尊を換えなければなりません。

このまま、災難の根本原因である創価本尊の撤去に、こぞって真剣に取り組まなければ、今後、日本国が二度と立ち上がれないほどの大きな大災害が起きてしまうかもしれないのです。

大聖人様は立正安国論で、釈尊の経典の原理から、一国に邪な本尊や教義が広まると、七つの難が起こることを論証し検証され、当時、正嘉の大地震などを含め、既に5難は起きており、ここでその邪教を退治しなければ次に起こる二難を預言されております。
それが有名な、自界叛逆(ほんぎゃく)難 と 他国侵逼(しんぴつ)難です。
つまりこれは、内乱・内戦と、他国から攻込まれる ということであります。

これは、当時、北条時輔の内乱・そして蒙古の襲来として実際に起こったのであります。


ここ数年、政権の過剰で頻繁な交代劇  ロシア・中国 北朝鮮の不穏な動き・・ 世界経済の日本への圧迫・・

今、我々日本国民が災難の根本原因の撤去に真剣に取り組まなかったならば、残るこの二難が起こるであろうことは、大聖人様の御預言に照らして必定と言わなければなりません。

因果の法則は三世変わることなし。 であります。

まさか?ではありません。
まさか?と思うような、考えもしなかった大災害が16年の間に既に我が国に2回も起きたのであります。

◆ 先難是(これ)明らかなり、後災(こうさい)何ぞ疑はん。若し残る所の難(なん)悪法の科(とが)に依って並び起こり競ひ来たらば其の時何(いかん)が為(せ)んや。(中略)而るに他方の賊来たりて其の国を侵逼(しんぴつ)し、自界叛逆(ほんぎゃく)して其の地を掠領(りょうりょう)せば、豈(あに)驚かざらんや豈騒がざらんや。国を失ひ家を滅せば何(いず)れの所にか世を遁(のが)れん。汝須(すべから)く一身の安堵(あんど)を思はゞ先ず四表の静謐(せいひつ)を祈るべきものか。

(経文に預言されている七つの難のうち、地震などの大災害は既に起きた。まだ起きていないあとの二つの難が起きることをなんで疑うことができようか。
残る二難である、内乱・内戦・戦争・外国からの外圧などによる経済破綻などなどが、悪法を放置することによる悪果報によって一遍に競い起ってきたならば、その時、非力な我々は一体どのようにしてそれを回避し防ぐことができようか。
他国が本当に武力をもって我が国を占領したり、また内戦によって国内で領土の奪い合いなどが起こった時、我々は驚き恐れ惑い戦慄くしか術がないではないか。
住む故郷を追われ、家も無くしたならば、一体、どこに安住の地を求めるというのか。
我々は自分と、そして家族の幸せを真剣に思うならば、まずは何をさておいても、一国の安穏を祈り、その実現の為に行動しなければならない。)

この御文がこれほど的確に現出するとは、まさに誰も信じていなかったのであります。
その油断・慢心が今回の災難の遠因とも言えるのではないでしょうか。

自身の本当の幸福を願うのならば、まず第一に、国土の安泰を願い、そのための行動を起こさなければ、一家の幸福など一夜にして全て灰燼に帰してしまうのであります。
このことの悲惨さは既に眼前の惨状として我々は体験したのであります。

どうか、創価のみなさん。
今お宅に安置されている御本尊を、日蓮正宗の血脈正しい正統な御本尊に交換してください。
それが一国を救い、皆様の家庭が平和になれる、唯一の道なのであります。

法華講員の皆さん、我々が、今一層、誤った本尊に対しての破折撤去に精励しなくては、我々自身が安穏でいられる保証はない、と深く銘記すべきであります。
"どんな災害が起きても、法華講員だけは護られるはず・・・"
などという自己中心的で甘い楽観は既に打ち砕かれたのであります。

今回の大震災で生き残った我々が、一国を覆い尽くす邪教・謗法の撲滅、つまりは"現代の一凶"である創価本尊に対して真剣にその撤去の行動を起こすことが、この震災で殉難され尊い命を亡くされた方々の追善回向として為すべき正しい道の一分となることを深く考えなくてはなりません。

どうか、どうか、創価の皆さんも、法華講の皆さんも、この国難を前にして、心を大きく開いて、共々に国の為、家族の為、子孫の為に、現代の一凶である「創価作成の本尊」をこの国から無くそうではありませんか。

どうか、よろしくお願いいたします。
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災害の原因とはなにか? [大地震]

災害の起因と依正不二の理、そして『立正安国論』

 先月11日に起きた「東日本大震災」から、一ヶ月と一週間を迎えようとしています。その前のニュージーランド地震も多数の犠牲者が出ており、専門家の話ではニュージーランドで起きた地震と連動し、今回の東日本大震災が起きたのではないかと話されています。しかも、世界で四番目の大きさのマグニチュード9.0という観測で、今回のような巨大地震が予想外だった理由は、少なくとも記録に残されている過去数千年の歴史では、例が無かったためだと説明しました。つまり、過去にも日本北部で大地震が起きたが、長期的な記録が不足されていたため、任意の地点で最大どの程度の規模の地震が来るかを予測する事が、困難な事だと、ノースウェスタン大学の地球物理学者セス・スタイン氏が語りました。

 その巨大地震は日本が一部4メートル移動したとの報告(3月現在)があり、さらに地球の形状軸(地球の不均一な質量分布でバランスをとる際に、その中心となる仮想線を指す。地球は南北を結ぶ軸を中心に自転しているが、形状軸はその軸から約10メートルずれている)でさえ17㎝の振動の大きさを観測され、地球の自転に影響を及ぼしたといいます。例えると、フィギュアスケートをしている人がスピンして回転速度を上げる時、腕を体に巻きつけます。それと同様で、地球の質量が(この場合はプレートが)一瞬だけ自転軸に向かって集まり、その結果、自転速度が速くなって一日が短くなったというのです。
 
 ここで少し角度を付けて、今回の大震災について考えてみたいと思います。

 まずは哲学から入ろうと思います。
 昨今はニーチェやハイデカー、マイケル・サンデルなどの著名な哲学者、ドラッカーなどの社会・経営学者の関連した本がベストセラーし、NHKでは大ベストセラーになった「もしドラ」をアニメ化され、ますます哲学・経営学に対する知的好奇心が寄せられると思います。

 現代は「哲学の貧困」の時代とも言われ、改めて過去の哲学を再検討・再評価を見直す動きが出ています。哲学を平たく言えば、世界と人生などについて知的探求し、その真のあるべき姿を考えられる限り追究して、物事を根本原理から統一的に把握・理解しようとする学問であると思います。いま現在は一般の方々も哲学に興味が再び芽生え始め、書店や図書館に行って本を求める光景が増えてきました。
 その原因は恐らく、欧米における「力の思想」のかげりが出始め、人の生きがいとは一体どういう事なのか、正義とは何だろうか、障害や悩みをどう乗り越えればいいのか等の、日常における疑問を解決したい思いがあるからではないでしょうか。

 ソクラテスは単に生きるのではなく、よく生きる事が大切であると語っています。せっかく人として生まれてきたのに、ひたすら目先の欲望に囚われ、自分勝手に生きていくことで、本当に充実した人生と言えるでしょうか。そして、よく生きるとは一体何でしょうか。

 また産業革命以降のヨーロッパは論理的合理的な解釈を基づくようになり、人に対する価値観が変わった。産業革命で自然界を人間が征服し、支配して思いのままにできるという事を最初に証明した事柄です。同じ頃に起きたフランス革命では、人間界のいろいろな階層を、最も合理的と考える方式に従って編成し直せばいい、今までの伝統的な国王支配などというものは、はなはだ非合理的であると考えた。つまり、人間の考えによって非合理を捨てて合理的な社会をつくることを目指したのです。

 産業革命が自然界に対する人間の自由な力の発揮であったと同様に、フランス革命は人間社会に対する人間の自由な力の発揮であったと言えるのです。つまり、人間は「神」の存在が無用になったと信じたのかもしれません。そこをニーチェは「神は死んだ」と表現した。神は自然に死んだのではなく、人間たちが神を殺したというのです。
 さて、このように神から自由になった人間は、かくして有限性から無限性へ、との価値観へと変わり、「敬虔」に替わって「合理さ」が台頭してきました。

 しかし、人間は生命的存在であって、知性だけでは簡単に管理できないような生き物です。これを合理的に考えると「人間は何のために生きるか」の問いに対し、「死なないために生きる」という答えくらいしか返ってきません。あるべき世界をいくら思い描いても、現実は理想とかけ離れた、欲望ばかりが先行し、ただ物だけが真の存在だけであって生命の存在を見出せない。それは目に見えない、非合理的であるからでありましょう。それが現代に入って、ようやく見直され始めたのです。

 仏教では、四諦を説いて八正道を示しています。「諦」とは、つまびらか、くわしく、又まことの道理を意味します。人生の迷いと悟りを明らかにした四つの真理が、四諦であります。すなわち苦諦・集諦・滅諦・道諦です。
 現実の世界は苦であることを苦諦、
 その原因は渇愛などの煩悩であると明かしたのが集諦、
 この煩悩を滅する所に悟りがある事を滅諦、
 その為に八つの正しい修行を行ぜよというのが道諦です。

 八正道とは正見・正思・正語・正業・正命・正精進・正念・正定の事を言います。
 正見は因果の道理を覚知した上での正しい見解。
 正思とは正しい見解による心の働き。
 正語は相手を思いやる言語。
 正業は邪悪な行業を捨て、その振る舞い・行動が道に適うこと。
 正命とは身口意の三業を清浄にし、生活法を正すこと。
 正精進は善法を求めようと努力精進すること。
 正念とは邪念を捨てて、常に正見を心がけて忘れないこと。
 最後の正定は無垢清浄の禅定に入ることを言います。

 しかし、今の時代は末法であるため、釈尊が説かれた教えでは末法の衆生を救う事ができません。では、どのようにして正しく悟る事ができるのでしょうか。それは末法の御本仏・日蓮大聖人様が御図顕あそばされた御本尊様に手を合わせて、「南無妙法蓮華経」と題目を唱えることです。それ以外に方法はありません。
 御本尊様に向かって題目を唱え、大慈大悲の御命を境智冥合させていただく事によって、自然と苦しみの根本から解決を見出すことができるのです。そして慈悲と歓喜の心が湧き起ってくるのです。日蓮大聖人様は、

  「末法に入って今日蓮が唱ふる所の題目は前代に異なり、自行化他に亘りて南無妙法蓮華経なり」

 と仰せられ、唱題を上げれば上げるほど慈悲による折伏の心が涌き、そして、

  「南無妙法蓮華経は大歓喜の中の大歓喜なり」

 と生命力が躍動し、この素晴らしい信心を、信仰していない人に話さずにはいられなく
なるのです。ソクラテスの言葉を借用すれば、よく生きることが大切である=御本尊様へ大確信をもって題目を唱え、無明に迷う人々に正しい信心へと導き、共に成仏することではないでしょうか。


 次に「現代宇宙論」から見ていきたいと思います。ご安心してください、数式は一切使いません。
 ご存知の通り、今日のテレビやパソコン、携帯電話は量子力学の原理によって成り立っています。半導体やマイクロチップなど、わずかな大きさで電気製品や乗り物などを制御しています。その基礎が始まったのは二十世紀初頭で、その頃はアインシュタインが「一般相対性理論」を構築していた時期でした。

 始まりは一九〇〇年、ドイツのマックス・プランクが、物体から放射される電磁波のエネルギー分布は不連続であると発見した事に遡ります。それは何かというと、電磁波はある特定の単位のエネルギーをもった粒子の形で放射しているとしか解釈できないという事です。プランクはこの仮想の粒子を「量子」と命名しました。

 それからアインシュタインが、強い光を受けた金属結晶の表面から電子が叩き出される「光電効果」の解釈を、光の量子説に取り入れました。その結果、「光電効果」は光量子の衝突によって、そのぶつかった面から電子が外部に放出され、または物質内部の伝導電子数が増加する、という理論を立てました。

 さらに時間が流れると光は、波であり、そして粒子であるという事実が明らかになり、ハイゼンベルクの「不確定性原理」をもって量子力学の完成の段階に入りました。「不確定性原理」とは、平たく言うと、ミクロの世界は、どこにも確たる実体はないというのが骨子です。人間がある対象を観測すると、それ自体が粒子に影響を及ぼすのです。
 これを仏教で例えると、「空諦(くうたい)」という、万物に確たる実体が無いという真理に当てはまります。

 またデンマークの物理学者ニールス・ボーアが提唱した概念が相補性です。それは相互に矛盾する現象や性質が、一つの存在に互いに補い合って共存するという事です。たとえばミクロの粒子は、粒であると同時に波でもあるので、その粒子性と波動性が相補的であると表現されます。ボーアによれば、不確定性原理も、相補的な関係の一種であるとされます。
 
 すべてのミクロの粒子は、ある時は波として、ある時は粒として観測されます。それは純粋な波や粒なのではなく、同時にたしかに波でもあり粒でもあります。さらにまた同時に、波だけでもなく粒だけでもないのです。
 故に相補性は、仏教の「仮諦(けたい)」にほぼ該当します。仮諦とは、すべては暫定的な因念和合した変動する存在であり、和合がつきれば消滅するとの真理です。人間でいえば、肉体や言動が仮(け)です。肉体や言動は、一時的に存在する仮(かり)の現象なのです。
 (次の内容は難しいので略します…)
 結論的に、観測してない間は不確定となり、人が観察すると初めて確定するという。つまり、(人による)観測こそが現象のあり方を決めているのです。それは原理的に言うと、「私が月を眺め、月がそこにあることを認識したときのみ、月の存在は事実となる」という世界こそが、本当の世界になるという事です。この考えは、今から2千年以上前に仏教が説かれていたのです。科学はようやく、仏教の真髄に近づいてきたと言えます。

 また人体の構造も水素原子をはじめ、酸素分子、炭素分子、窒素分子等によって構成されています。宇宙の基本元素も水素と少量のヘリウムから成り、恒星の中心における核融合反応で作られた重い元素、炭素(C:タンパク質、糖、アミノ酸、脂質等は、全ての炭素を含む炭素化合物)や窒素(N:タンパク質に含む。また体内で化学反応を起こす酵素は、窒素を含むアミノ酸で構成される)、酸素(O)が、超新星爆発によって星間空間にまき散らされ、そこから暗黒星雲を経て太陽及び、地球のような惑星が形成され、さらにその地球の元素を一時的に借りて人間のような生物が誕生したのです。

 つまり私たちの体は、恒星内部や超新星爆発の際の数十億度という温度を経験した物質によって作られました。人間は、宇宙の星くずによって作られたのです!

 地球は酸素やケイ素(Si)にアルミニウム(Al)、鉄(Fe)、カルシウム(Ca)、ナトリウム(Na)、マグネシウム(Mg)等から成り立っている。これらも宇宙の中に存在する元素です。しかし、宇宙の元素の存在量のうちから水素とヘリウムを除くと、ほとんど地球と同じなのです。

 またパンスペルミア説という、生命・DNAは地球から誕生したのではなく、宇宙からやってきたというユニークな学説があります。これはフレッド・ホイルという、「ビッグバン理論」と真っ向から対立した「定常宇宙論」を提唱した学者が唱えたものです。あまりにも異端な発想に、今でもこれを支持する学者は少ないですが、なかなか手ごわい学説です。

 通説では地球の生命は「原始のスープ」から自然発生して「化学進化」した。実験で原始大気を模した混合気体に水を加えて雷の代わりに放電のエネルギーを与えると、様々な有機分子ができたという。しかし、その実験は原始大気を誤った結果であり、修正を加えて再度同じ実験をすると、なかなかうまく有機分子が発生出来なかったのです。

 地球の生物がこのように誕生したのは、実は彗星に付着したバクテリアやウイルスが、ようやく地表が冷えて海ができ環境が整った地球に間髪入れずに辿りつき、そして繁殖を繰り返して進化していったというのです。私たちの体も、遺伝子の10パーセント以上がウイルス起源のものだという報告があり、DNAの中の普段は不活性な部分からウイルス粒子が出現する珍しい病気もあります。

 それから星々の間に漂う宇宙塵の正体は、実は乾燥したバクテリアであって、0気圧や1平方センチメートルあたり10トンの圧力に耐え、極低温から600℃の瞬間的な加熱にも耐えた実験がある。しかも典型的なバクテリアの胞子と宇宙塵は同じ大きさであり、彗星の中に閉じ込められれば化学反応で氷が解け、活動の源である水にバクテリアが繁殖。少しずつ条件が異なる彗星の中で、バクテリアとウイルスが増殖・組み換えを起こして進化した。ある時、近くを通りかかった恒星の重力の摂動を受けて、新しい彗星が太陽へと向かって長い旅をする。太陽に近づくにつれてバクテリアが活発し、自ら生成したガスの勢いで宇宙空間に投げ出され、しばらく宇宙を漂った後に地球に落ちてくる。

 その後はバクテリアの遺伝子に、ウイルスがさまざまなパーツの遺伝子を付け、生き残るために最適な遺伝子の組み合わせを持つものが選出される。結果的に、私たちが目にする多様な生物相は、このようにして生まれたというのが、パンスペルミア説です。昨年の暮れはNASAが「ヒ素を食べる生命体」を発見した事で、ますますこの説が注目されるかもしれません。

 以上を踏まえると、一見、縁が無いような恒星や地球も、原子も分子も、実際は私たちとほぼ共通の形・物質で構成されているのです。という事は、生きている私たちと住む環境は、切っても切れない関係にあるのではないでしょうか。


 仏教ではこの事を「依正不二の理」を説いています。
 依正とは、依報・正報であります。正報は過去の業の報いとして受けた心身を言い、つまり私たち個々の命となります。依報は私たち衆生が依り所となる環境・国土のことであります。それは、地球や宇宙などを意味します。その関係が二にして一体であると説かれているのです。日蓮大聖人様は依正不二について、

 「夫十方は依報なり、衆生は正報なり。依報は影のごとし、正報は体のごとし。身なくば影なし、正報なくば依報なし。又正報をば依報をも(以)て此をつくる」

と仰せられ、私たちの行為によって周囲の環境が影響し、またそこから私たちの方へ返ってくるのです。
 すなわち、正しい信心をしていれば環境も穏やかになり、逆に、間違った教え・誤った思想が地上に蔓延ると、それに応じて環境が悪化し被害を蒙ることになってしまうのです。

 『立正安国論』が鎌倉幕府に奏呈あそばされる以前は、日本でたいへんな大災害が起きていました。その中で顕著に被害が大きかったのは「正嘉の大地震」と言われるもので、鎌倉時代の歴史書『吾妻鏡』では「神社仏閣一宇として全きことなし」と記録に残しています。つまり神社や寺院の建物が完全な形として残ったものは無かったと書いてあるのです。

 この記載と似たような書物が、『方丈記』に記述されていますが、その前に、今回とほぼ同じ地域で起きた大地震の記載を見てみることにする。
 日本の国史が6つあることを六国史といい、その最後の国史が『日本三代実録』で平安時代の半ばに編纂されたものです。その清和朝の貞観(じょうがん:フジテレビの小Oはこれを「ていかん」と誤読してしまった)年間(貞観11(869)年5月26日)の記述に、

 「陸奥国の地、大いに震動す。流光、昼の如く陰映す。しばらくして人民叫呼(きゅうこ)して、伏して起きることあたわず。あるいは屋仆(たおれ)て圧死し、あるいは地裂けて埋殪(埋死)す。馬牛は駭奔し、あるいは互いに昇踏す。城郭・倉庫、門稽・墻壁など頽落して顛覆すること、その数を知らず。海口は哮吼し、その聲、雷霆に似る。驚濤と涌潮と、泝洄し、漲長して、たちまちに城下にいたる。海を去ること数十百里、浩々としてその涯(はて)を弁ぜず。原野道路、すべて滄溟となる。船に乗るいとまあらず、山に登るも及びがたし。溺死するもの千ばかり、資産・苗稼、ほとんどひとつとして遺ることなし」

と記されています。当時はまだ東北は人がほとんど住んでおらず、朝廷においても気に留める所ではなかった。しかし、その東北に大災害が起こった記録があることからして、いかに甚大な被害があったか伺える。今回の東日本大震災も地震よりも津波による被害が大きく、跡形もなく海へ流されたことは貞観年間に起きた大地震もまったく変わりありません。なんとも奇妙な因縁でしょうか。

 次は三大随筆で有名な『方丈記』の記載を見てみよう。

 「また、同じころかとよ。おびただしく大地震(おほなゐ)の振ることはべりき。 そのさま、尋常ならず。山は崩れて、河を埋(うづ)み、海は傾ぶきて、陸地(くがち) をひたせり。土裂けて、水湧きいで、巖(いはほ)割れて、谷に転(まろ)びいる。 渚漕ぐ船は、波にただよひ、道行く馬は、脚の立処をまどはす。都のほとりには、 在在所所、堂舎塔廟(とうめう)、一つとして完(また)からず。或は崩れ、或は 倒れぬ。塵灰たちのぼりて、盛りなる、煙(けぶり)のごとし。地の動き、家の破 るる音、雷(いかづち)にことならず。家のうちにをれば、たちまちに拉(ひし)げ なんとす。走りいづれば、地割れ裂く。羽無ければ、空をも飛ぶべからず。龍なら ばや、雲にも乗らん。恐れの中に、恐るべかりけるは、ただ地震(なゐ)なりけり とこそ、おぼえはべりしか。
 かくおびただしく振ることは、しばしにて、止みにしかども、そのなごりしばし は絶えず。世の常、驚くほどの地震、二・三十度振らぬ日はなし。十日・二十日過 ぎにしかば、やうやう間遠になりて、或は、四・五度、二・三度、もしは、一日交 ぜ、二・三日に一度など、大方、そのなごり、三月ばかりやはべりけん。
 四大種の中に、水・火・風は、つねに害をなせど、大地にいたりては、ことなる 変をなさず。昔、斉衡のころとか。大地震振りて、東大寺の仏の御首落ちなど、いみじきことどもはべりけれど、なほこのたびにはしかずとぞ。 すなはちは、人皆あぢきなきことを述べて、いささか、心の濁りも、うすらぐとみえしかど、月日重なり、年経にし後は、言葉にかけて言ひいづる人だになし」

 著者の鴨長明はいわば半僧半俗な人で、ちょうど源平による不安定な時代を生きた頃の人です。その京都で大地震があり、詳細な記述が残されています。大震災が起きて人々はただどうしようもない事を言っていたが、月日が流れても心が癒えること無く、もう誰も声をかける者はいなくなった、との心理の動きは実にリアルです。
 この筆舌に尽くしがたい表現を、過去の書物から引いて記録に残したのでしょう。

 さて、『立正安国論』では災害の原因を、

 「世皆(みな)正に背き、人悉(ことごと)く悪に帰す。故に、善神(ぜんじん)国を捨てて相去(あいさ)り、聖人(しょうにん)所辞(じ)して還らず。是(ここ)を以(も)って、魔(ま)来たり鬼(き)来たり、災(さい)起こり難(なん)起こる。言はずんばあるべからず。恐れずんばあるべからず」

とあります。人々が正法に背いて程度の低い教えや自分勝手な考えに走り、それが原因となって国を守るはずの善神が去り、そこをもって悪鬼・鬼神が国に住むことになって災いをもたらすのである。この因果応報は非常に厳しいもので、たとえ仏であってもその(自ら作った)業を消し去ることはできないと説かれている。

 では、一体どうすれば災害が起きても最小限に止まることができるのでしょうか?
 
 答えは明白です。
 まずは現代の一凶である、創価学会を支援しない事です。『立正安国論』に、

 「即ち、涅槃経に云はく『仏の言(のたま)はく、唯(ただ)一人を除きて余の一切に施さば、皆、讃歎すべし。純陀問うて言はく、云何(いか)なるをか名づけて唯除一人と為す。仏の言はく、此の経の中に説く所の如きは破戒なり。(略)破戒とは謂はく一闡提(いっせんだい)なり。其の余の在所(あらゆる)一切に布施するは、皆、讃歎すべし、大果報を獲(え)ん。純陀復(また)問ひたてまつる、一闡提とは其の義云何。仏の言はく、純陀、
若し比丘及び比丘尼・優婆塞・優婆夷有りて麁悪(そあく)の言を発し、正法を誹謗せん。是の重業を造りて永く改悔せず、心に懺悔無からん。是くの如き等の人を名づけて一闡提の道に趣向(しゅこう)すと為す。若し四重を犯し五逆罪を作り、自ら定めて是くの如き重事を犯すと知れども、而も心に初めより怖畏・懺悔無く、肯へて発露せず。彼の正法に於て永く護惜建立の心無く、毀呰(きし)・軽賎(きょうせん)して言に過咎(かぐ)多からん。是くの如き等の人を亦一闡提の道に趣向すと名づく。唯此くの如き一闡提の輩を除きて其の余に施さば一切讃歎すべし』と」

 ここで涅槃経と引用されて、一闡提(正法を信ぜず、誹謗し、その重罪を悔い改めない者)を除いて布施すれば、皆その布施を賛嘆するであろうと説かれ、そこから多大な功徳が得られることをさす。しかし、その布施を悪口・誹謗する輩にすることは、その人の命を長らえさせ、正法を滅ぼそうと力がみなぎります。それは正法滅亡、あるいは誹謗を繰り返す団体に加担したことになり、その罪は甚だ大きいものとなります。

 先日は地方統一選挙・都知事選挙が実施されましたが、誹謗を繰り返す団体の傀儡政党・公明党が一議席が増え、石原都知事が再選したことに大きな危機感を感じています(もちろん、政治全般に言える事ですが)。
 実際に都知事選に投票した人のグラフを見てみると、なぜか石原都知事に票を入れた人よりも、まったく投票をしなかった人等が遥かに大きかったのです。確かにあまり良い政治家は少なく、誰に入れても同じだろうというネガティブな思いがあると思います。あの都知事選の結果は、どちらかと言えばネガティブな思考による勝因が多数を占めてるでしょう。わたしは名もなき無所属の人に票を入れましたが…。

 しかし、問題は公明党が一議席を増やしたことで、前回の衆院選から徐々に体勢を立て直し、ふたたび自民党と共に与党に入ろうと画策していることでしょう。自民党は公明党がなければ票が伸び悩み、民主党ではどうしても公明票が欲しくて手を取り合おうと模索している。なんと愚かな人たちの集まりでしょうか。
 わたしが自公に反対なのは、自民党に票を入れることでその力が公明党に及ぶ。つまり、自民党の中でも公明党派の議員がいて、「自分たちはこんなに国民に支持されている」とのバカげて捻じれた傲慢な思いで、政治を行って欲しくないからです。先も述べたように、自民党は公明党なしでは永らえることが無く、まるでシャブにどっぷりと漬かれた能なしで、自立しようと思っても麻薬の作用が強くて抜け出せない。それを良い事に公明党は自民党を操り、自分たちの都合の良いようにまかり通ってきました。
 つまり、自民党を伸ばすことは公明党の傀儡議員に加担することになり、日本を良くするどころか、かえって大災害・人心の荒廃を助長するに至るのです。
 創価学会が正法誹謗してから20年くらいが経ちました。それまでは一応、正しい信心をしてきたわけだから善業が残っていたのだろうけれども、その善業が尽き果てて、今回の東日本大震災が起きた一因ではないだろうかと考えている。
 そして今回の地方統一選挙・都知事選の結果により、さらに最悪な事態が予想されます(もしも、また大きな災害が起これば、創価学会が何かをやらかしたと思ってください)。
 
 「夫(そ)れ、経文顕然(けんねん)なり。私の詞(ことば)、何ぞ加へん。
 凡(およ)そ、法華経の如くんば、大乗経典を謗ずる者は、無量の五逆に勝れたり。故に阿鼻大城に堕(だ)して、永く出つる期無けん」

 このように経文が明確に説かれており、どうして私の言葉を入れる余地があるだろうか、まったく無いのである。法華経の説かれているように、大乗経典を誹謗する者は、殺父・殺母・殺阿羅漢・出仏身血・破和合僧の5つの罪よりも甚だ大きな悪業を積むことになる。それが原因となって、無間地獄に落ちてしまうのである、と誡められている。ただでさえ人を殺す罪は大きい、それ以上に大きな罪が、すべての衆生に仏性を開かしめる法華経を誹謗し、その仏性を覆い隠してしまうことである。まさに創価学会がその姿であります。

 「如(し)かず、彼(か)の万祈(ばんき)を修せんよりは、此の一凶を禁ぜんには」

 災難を解決するためには、かの千万の祈りを修するよりも、この一凶たる謗法を禁ずることこそ肝要なのである。祈りは確かに通ずる所がある、しかし、それよりも具体的に現代の一凶である創価学会に対して、直接的・間接的に支援につながるようなことを止める、創価学会の誤りを糺す、そういった動きが災難を食い止められる一つの手段ではないだろうか。

 「汝(なんじ)早く信仰の寸心を改めて、速やかに実乗の一善に帰せよ。然れば則(すなわ)ち、三界は皆仏国なり、仏国其れ衰へんや。十方(じっぽう)は悉く宝土(ほうど)なり、宝土何ぞ壊(やぶ)れんや。国に衰微無く土に破壊(はえ)無くんば身は是れ安全にして、心は是れ禅定ならん。此の詞(ことば)此の言(こと)信ずべく崇むべし」

 現代語訳では、あなたは一刻も早く邪宗信仰の寸心を改めて、すみやかに法華実乗の一善に帰依せよ。そうすれば、この世の中は皆、仏国となり、仏国は衰微することがないのである。また、十方は悉く宝土となり、宝土は破壊されることが無いのである。かくして、国に衰微なく、国土が破壊されることがなくなるならば、身はこれ安全にして、心はこれ安定するであろう。この言葉を信じ崇めるべきである。
 「依正不二の理」にもあったように、私たちの信仰次第で、環境や地球・宇宙などが変わっていくのです。この国土を悩みや苦しみで充満した娑婆世界にするか、それとも悩みや苦しみが少ない、穏やかで心が洗われる仏国土にするかは、やはり私たち自身にかかっているのです。


 以上、今回の災害について回り道をしながら考察してみました。
 『立正安国論』を研究発表したその次の月に東日本大震災が起こり、自分自身たいへん不可思議な因縁を感じます。ちょうど幼馴染を折伏成就した頃でもあり、その前には統一協会の人を折伏をし、そしてこのブログでもコメントが荒らされたりと、どれ一つ欠けることなく繋がっていたのだと思います。
 今回の大震災で日本のみならず、世界までもが価値観を変えたと言っても過言では無いでしょう。
 しかし、だからといって油断はできません。全ての災害には意味があり、必ずどこかに原因があります。その原因を知らず、ただ漠然と「人は自然に敵う事はできない」と嘆くのでは、亡くなった方のためにもなりません。なぜそうなったかの原因を知り、それを止めるためには一体どうすればいいのか、その答えを模索しつつ行動を起こさなければ、大震災から教訓を得られることは少ないかと思います。
 古来から、日本人はどのような事が起きても動じることは無かった。
 大震災が起きようが大津波が起ころうが、日本人は笑顔で乗り越え、文化を守り、家族を支え、復興への長い道のりを身を砕いて築き上げてきた。だから、余計な(ACの)CMや極端な自粛を避けるべきだと思います!

 わたしの菩提寺では南相馬市の御住職様がお見えになられています。津波の被害は無かったのですが、福島第一原発の問題で避難されることになり、御本尊様をお持ちして妙縁寺に身を寄せる事となりました。そこのお寺さんの犠牲者はいなかったのですが、まだ他の地域では4分の1は連絡が取れない等(3月現在)の状態が続いていると思います。
 また私の叔父も福島におり、「原発のことは覚悟している」と電話で何か決意を固めて話していました。
 過去を変えることはできません、しかし未来はまだ確定していません。
 変えるのであれば、「今」「現在」を変えなければなりません。
 私たちが自然に支配されているのではなく、自然と運命共同体なのです。
 国難だからこそ、私たちは大きく前進しなければならない時期ではないでしょうか。


【参考文献】
  ☆山崎正一『山崎正一全集 第十巻』朝日出版一九八五年
  ☆フレッド・ホイル チャンドラ・ウィクラマシング 監訳茂木健一郎『生命・DNAは宇宙からやって来た』徳間書店二〇一〇年
  ☆佐藤勝彦監修『「相対性理論」を楽しむ本―よくわかるアインシュタインの不思議な世界』PHP文庫一九九八年
  ☆別冊宝島編集部『宇宙論が楽しくなる本』宝島社二〇一一年

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