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【改訂版】 池田大作が表に出ない理由はいったい…。 [創価学会へ]

もう池田大作が表に現れなくなってから、一年と一カ月くらい経つ。
巷では「死亡説」がささやかれたり、
また大震災の後で学会員らが池田に対して不満を爆発させたこともあった。
今さらだが、創価学会の命運は「風前の灯」状態であり、
しかし「窮鼠(きゅうそ)猫を嚙む」状態でもある。

また国立香川大学教授の高倉良一氏が、創価学会最高幹部らから
人権侵害・不法行為を受けたとして東京地裁に提訴した裁判が起きている(5月10日現在)。
高倉氏は長年、夫婦で学会活動に従事していたが、
学会の指導および池田大作の言動に疑問を抱き、創価学会の在り方について、
夫人と意見の対立を見るようになった。
そこで高倉氏が、夫人に理解してもらいたいと願い、
創価学会の問題点を列挙した日記を渡したのだが、その日記が学会本部に渡ってしまったのだ。
高倉氏は、学会最高幹部らの
「創価学会の内部情報を漏らした反逆者であると断定し、創価新報に日記を掲載して、仏敵として
人間として存続できないように追い詰めるキャンペーンを行う。また高松の創価学会員らが、
高倉を何らかの方法で殺すと言っている」
などという意向を伝えられて強迫され、さらには、創価学会の主導によって離婚訴訟が提起された、
として提訴に踏み切ったという。
問題は、個人のプライバシーとして保護されるべき日記を勝手に閲覧され、
それをもとに長時間の査問を受け、心身ともに危険にさらされることを告知され、
離婚まで組織に主導されたとすれば、重大な人権侵害となる。

以下は、高倉氏のブログの引用である。
------------------
私は、人間の幸福を阻む「究極の悪」と戦うために立ち上がることを宣言します。

「究極の悪」とは一言で述べるならば、人間の心を操作して考える力を奪い去り、人間を自己の欲望を満たすための道具として動かす人々ではないかと思います。

私は、「究極の悪」を倒すために、「無限の悪」になろうと思います。

本来、善と悪は、いわばコインの裏表のような関係ではないかと思います。自らに悪の要素がないと考え、他者の悪を糾弾するならば足元を救われてしまうことでしょう。

「無限の悪」は「無限の善」に通じると思います。しかし、「究極の悪」は「偽りの善」と同義ではないかと思います。

「究極の悪」と「無限の悪」との差は紙一重ではないでしょうか。その違いは、自らの欲望をコントロールできるか否かだけではないかと思います。私は、精進を重ねようと決意しています。

私は、国家悪、社会悪と戦っておられる方々と連帯すべく、闘いを開始します。このブログをご覧になられた皆さん、一人ひとりの人間を大切にする社会を構築すべく力を合わせましょう。
-------------------(ブログはこちら→http://wrpandora.blog.shinobi.jp/
この文章を読むと、ニーチェの『ツァラトゥストラはかく語りき』の有名な一節、
  「怪物と闘う者は、その過程で自分自身も怪物になることがないよう、気をつけねばならない。深淵をのぞきこむとき、その深淵もこちらを見つめているのだ」
を思い浮かべてしまう。

「一念三千」の語があるように、我々衆生の心には一切の境地を兼ね備えたものを具わっている。
つまり「善悪一如」であり、平たく言えば「表裏一体」である。
しかし重要なのは、いったい何を、一切の勝れた本尊と教義を人生に指針あるいは信仰とし、
それを実行して安穏な境涯を切り開いていくか、である。
創価学会を相手に裁判を起こした勇気は称賛に値します。
今後も注視すべきことであり、いかに創価学会の体質、
特に幹部連中の閉塞的かつ自己チューで保身に走っているかを、国民は知らなければいけない。
6月20日に電話会議システムで裁判を行われたらしく、次回は7月19日から行われるそうだ。

また興味深いものがある。
--------------
権力悪との闘いシリーズ その5
先日、元大阪高検公安部長で、「市民連帯の会」の代表である三井環氏から、下記のメールが届きましたので、ご紹介させて頂きます。

【布川事件】

今日は。三井環です。
布川事件において再審無罪判決がでました。
この事件は被告人2名が犯人だと認定しうる客観的証拠は皆無な事件です。
犯行現場には2名の指紋も毛髪等も存在しなかったのです。
ところが、別件で逮捕され脅迫拷問を加えられ虚偽自白を2名ともしたのです。
その虚偽自白を唯一の証拠として無期懲役が確定しました。
虚偽自白の録音テープが存在しますが都合の悪い部分を修正しているとの事です。
取り調べの全面可視化の法案が成立しておれば虚偽自白をすることもなかったでしょう。
従って2名は起訴されることもなかったのです。
えん罪を防ぐには早急に全面可視化法案の成立を急がなければなりません。
ところが、特捜事件のみを可視化する動きがありますが、全ての事件の可視化がぜひ必要です。
29年(仮釈放)も刑務所に収容された2名はいくら無罪になろうとも人生終わったものです。君もえん罪被害者になるかも知れません。他人事ではありません。
それなのに検事、裁判官は何んの責任もとろうとしません。
「市民連帯の会」代表三井環は布川事件等えん罪被害者とも連帯していくつもりです。
皆さん方の御協力、御支援をお願いします。
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本ブログでも、「黒い手帖」裁判について記事にしたことがあるが、
えん罪、また証拠をでっち上げての裁判闘争の体質が、創価学会の手口と似ていることに気づく。
創価学会がそれを規範にしたのか、それとも先行的に行ってきたかは知らないが、
相手を貶めようと証拠を改ざんし、法廷に持ち込むことは法治国家への冒涜ではないだろうか。

また「内閣不信任案」においても不自然な節がある。
それはどう考えても、創価学会が大謗法の輩である事を国民から目を背けさせるための
稚拙なパフォーマンスだったとしか思えない。
創価学会が盛んに「(創価学会の)広宣流布は間近だから、国家は安穏になる」と叫んでも、
一向に国家が安穏になるばかりか、ますます混迷を極め、
政治をストップさせ、被災者・被災地を救うよりも、政権奪還を目標にしている。
政治とは一体何だろうか。
それについてド素人ではあるが、せめて無闇に非難するのではなく、
「これとこれの法案は重要であるから協力するけど、
被災者の方の対応を迅速に進めるためにはこうした方が良い、
指揮系統をみっちりと綿密に連絡が行き届けるように一本化し、
原子力の今後の在り方について国民も参加できるようにアンケートを取ってみよう」
等うんぬんと、今は与野党関係なくお互いが補完し合える場が必要なのではないか。
政治のニュースを見るたびに、まるで周りが火事であるのに
「私が上なので皆を指導する」「いや、俺の方が頭が良いのでオレに従え」
みたいな、幼稚でバカで駄々をこねて指導権を握ろうとしている。
そんな人たちを前に誰が任せられようか。

このように思うと、高倉氏が起こされた重大な裁判を世に周知されないために、 公明党が国民の目から背けるために「内閣不信任案」等を自民党と共に提出したと考えてもやむを得ない。 それが創価学会のお得意な陽動作戦であり、過去に何度も国民を欺いてきた。
国民は政治パフォーマンスに踊らされることなく、ありのままの奥にある事を類推していただきたい。
もうパフォーマンスも方便も必要ありません!
この裁判が今後の創価学会の行方を左右されるかもしれません。
国民も高倉氏が起こされた裁判に目を向けてください。
いかに創価学会が嘘ででっち上げて高倉氏を貶めようとしているか、よく分かります。

そして裁判でご多忙の高倉氏から、もったいなくもコメントを頂きました。
本裁判について一人でも多くの方が行き渡れるように努める次第であります。

そして、池田大作が表に現れない理由として、驚くべき話が入った。
なんと、池田大作は痴ほう症だと言うのだ!
その言葉は今では信じられなく、昔のことばかり口にするそうだ。
「なんでお前らはお山(大石寺)に参詣しないんだ!?」
これを学会員が聞いたら、「今まであんなにお山に行くなと言ったのはなんだったのですか?」
と深い疑問を抱き、創価学会が破門されてから学会員らを騙し続けたことに目が覚める。
(いや、とうの昔から学会幹部らは学会員らを騙し続けているが…)
こうなれば裁判沙汰が連続して起こるだろうし、学会員から集めたお金で暮らしてきた
最高幹部にとっては致命的だ。
だから、池田大作を世間に出させないために封じ込めていると言う。
もしこれが本当であれば、焦点は池田大作からその側近幹部へと必然的に変わり、
責め糺さなくてはならない。


そして、かつて池田大作や「創価新報」などが指導していた言葉を列挙するとしよう。

  「仏・法・僧の「三宝」を敬い、供養申し上げることは信徒としての根本である。仏宝とは御本仏日蓮大聖人、法宝とは南無妙法蓮華経すなわち本門戒壇の大御本尊であられ、僧宝とは第二祖日興上人の御事であられる。そして南無妙法蓮華経の大法は、第三祖日目上人、御歴代の御法主上人へと受け継がれ、現在では御当代御法主日顕上人猊下(当時)に御相承なされている。本門戒壇の大御本尊を信じ、仏祖三宝尊への報恩感謝が、信心の根本なのである」(『広布と人生を語る』第六巻一九九頁)

  「その根本道場が、一閻浮提総与の本門戒壇の大御本尊まします多宝富士大日蓮華山大石寺であり、その御座主が御法主日顕上人猊下であられる。この日蓮正宗の信徒として、御法主日顕上人猊下の御説法を拝しつつ、永遠にわたる人類平和のために、正法を基調として、個人の幸福と世界の平和を結ぶ文化、平和の基盤を営々と築いていくところに創価学会の使命がある」(『広布と人生を語る』第一巻一四六頁)

  「或る人は利口気にいう。布教に、ラジオを使うべきだ、テレビを使用すべきだ―――と。何と、浅墓(あさはか)な言であろうか。俗にいう、PRなど、学会には、絶対に必要ないのだ。それこそ、多くの新興宗教の取るべき、悪質な企業宗教の手段にほかならない。正法は、断じて法を下げるような方法は取らない。取る必要がないのである」(『人間革命』第二巻一一七頁)

  「宗祖大聖人の御内証を二祖日興上人を経て、代々の御法主上人猊下に瀉瓶(しゃびょう)して末法万年の未来へ誤りなく伝承する金口嫡々・唯授一人の血脈こそは、戒壇の大御本尊と共に、日蓮正宗の教義、信仰の根本中の根本であり、命脈であることは論をまたない。これは日蓮正宗の信徒であるならば、誰でも知っていることである」(『創価新報』昭和五八年二月二日付)

  「よく信心の血脈を問題にする者がいる。生死一大事血脈抄(五一五頁)に『信心の血脈なくんば法華経を持(たも)つとも無益なり』とある文をもって、信心さえあればよいとする立論である。誰でも自由に継承できるなどというのはこれだ。(中略)
  有名無実の信心をふりまわして、付嘱相承を否定するは、総別の二義に迷惑し、師弟相対の深義に暗く自ら混乱を好む仕わざではないか」(『大日蓮華』昭和四一年九月・一八四号三五頁「誤れる日蓮主義を破す」佐久間昇論文)


まだまだ幾らでも証拠を挙げることができるが、ここまでにするとしよう。
明らかに、いま創価学会が指導している事と相反するし、かつての面影すらない。
今回の東日本大震災で多くの犠牲者(避難区域で放置されたままの方)と、
今も消息不明の方がおり、また放射線汚染の懸念が続いている。
そして原発事故によって日本は世界からハッキリとした責任・態度を迫られています。
本当に創価学会が正しい信仰であれば、大震災でも比較的被害が少ないはずであり、
福島第一原発の事故も起きなかったでしょう。
しかし現実は違います。
今回の大震災によってあらゆる宗教が義援金を競うように集めましたが、
そして創価学会がそのトップにあると報道されていましたが、
それですべてが解決すると言うことではありません。
世界のあらゆる大災害・不幸の根源は、
世の人々が間違った宗教を信じているが故に起きてしまうもので、
その教えを捨てて正しい教えに帰依する以外に、解決する方法はないのです。

皮肉なことに、池田大作は痴ほう症によって過去の輝きを思い出すことになった。
そうすると心の用(はたら)きは、本当に不思議なもので、
恐らく穢れに穢れ切ったので、その苦しみが命の奥深くから叫んだのだろうか。
はたまた、無間地獄に恐れをなして改心したのだろうか…。

もう創価学会に手をこまねく時間はない。
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聖教新聞にFAXした文書 [創価学会へ]

ここ2~3年、聖教新聞に折伏の文書を送っていなかった。
まあ、たぶん誰も読まないだろうけれども、ネットでも誰もが読めることができるように、
ブログに載せるべきかと思い、ここに記す次第です。





 創価学会の皆様へ

 今月は日蓮大聖人様が、時の実権者・最明寺入道こと北条時頼に『立正安国論』を御奏上あそばされ七百五十余年が経ちました。言うまでもなく、末法の御本仏であられる大聖人様が当時の大災害の原因を明かすために一切経をご覧ぜられ、災害の原因は世の人々が正法に背くが故に勃発すると、大慈大悲を起こされて一切衆生にその理を説き示されました。そして文底秘沈の大法「南無妙法蓮華経」を多くの方が帰依すれば、たとえ地震や台風、火災などが起きても最小限に抑えられることができるのです。
 創価学会のホームページで世帯数が「827万世帯」と公表していますが、なぜここまでの数字がありながら、3.11東日本大震災では数多くの方が犠牲になり、また福島第一原発事故での放射性物質の世界的汚染拡大で、あらゆる問題が懸念されています。さらに公明党のキャッチコピーでは「支えあう、日本」と標榜しながら、自民党と組んで現在の政府に対して国会を停滞させているのでしょうか。矛盾していませんか。
 もし学会が正しければ、東日本大震災に限らず、新潟中越地震、阪神淡路大震災などにおいても、被害は最小限に止まるはずではないですか。
 大聖人様は『聖愚問答抄』に、
 「汝只正理を以て前(さき)とすべし。別して人の多きを以て本とすることなかれ」(御書四〇二頁)
と誡められています。ただ数が多ければ、それが正しい、と言う事にはならないのです。まずは正邪(御経や御本尊などの勝劣)を選んでいく、その道理が正しく具わっている、何より功徳を戴いている実感がある事が重要なのです。
 日達上人も「日蓮正宗の教義でないものが一閻浮提に広がっても、それは広宣流布とは言えないのであります」(日達上人全集二―六―二九五頁)と御教示され、いま現在の創価学会のように成仏直道である本門戒壇の大御本尊様を否定し、御本尊様の価値観を「物体」と認識し、信仰と言えば「選挙活動」や「聖教新聞購買の啓蒙」、また「財務」などでしかありません。いったん否定すると、その為にどんどんと虚偽を重ね、大きな矛盾に陥っていっても、最悪の場合は、思考停止してそれを疑惑の念を起こさなくなる事です。臨終は想像に難くないでしょう。
 「人の寿命は無常なり。出(い)づる気は入る気を待つ事なし。風の前の露、尚譬へにあらず。かしこきも、はかなきも、老いたるも若きも、定め無き習ひなり。されば先(ま)ず臨終の時を習ふて後に他事を習ふべし」(『妙法尼御前御返事』一四八二頁)
 私たちの寿命がいつ尽きるか分かりません。葬式に立ち会い、亡くなられた方の相が成仏の相であればよろしいのですが、体が真っ黒で死臭がし、表情が怯え全身が硬直し、岩の如く重たいのであれば、それは間違いなく不成仏の証です。その姿を見て、もしも自分の臨終がこのような姿であったらと想像すれば、誰も苦しい思いをしてこの世を去ることを願わないはずです。一刻も早く脱会すべきです。
 『折伏教典』には、
 「謗法とは「正法を誹謗すること」であり、したがって、なにが正法であるかが問題である。それはいうまでもなく、末法今時の正法は、道理、文証いずれから論じても日蓮大聖人の教えであり、その教えは富士大石寺に伝わる三大秘法の大御本尊以外にあるはずがない。しかれば、謗法とは、その大御本尊を誹謗することあることはいうまでもない」(三六四頁)
と、また池田大作自身の言葉においても、
 「御本尊様は日蓮大聖人様の生身と拝することです。その信心でなければなりません。(中略)御本尊を“物”と扱うようになった場合は罰を受けます。学会精神に反します。信心ではありません」(『大日蓮華』昭和三十九年八月・一五九号六二頁)
とハッキリと発言しています。
 そして、その罰について御本尊様を拝すると、向かって右側に、
 「若脳乱者頭破七分‐(若し脳乱する者は頭七分に破れ)」
とあります。人々を惑わし正法を乱す者は、かえって自らも心がおかしくなってしまい、言動も自分で何を言っているのか、何をしているのか分からなくなるのです。これは功徳と真逆です。功徳は仏様の福十号を過ぐとあり、堅実な幸福の境涯が開かれていくのです。
 「高山に登る者は必ず下り、我人を軽しめば還って我が身人に軽易せられん。形状端厳をそしれば醜陋の報いを得。人の衣服飲食をうばへば必ず餓鬼となる。持戒尊貴を笑へば貧賤の家の生ず。正法の家をそしれば邪見の家に生ず。善戒を笑へば国土の民となり王難に値ふ。是は常の因果の定まれる法なり」(『佐渡御書』五八二頁)
 全国の創価学会員が一刻も早く邪法邪師の邪義を捨てて、正法正師の正義(しょうぎ)に目覚めん事を祈る次第です。
           
                                              竜眼寺暁

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池田大作が表に現れなくなって…。 [創価学会へ]

まずはFORUM21から。


2011年7月 特集/かくも長き不在―本部幹部会欠席満1年
投稿日: 2011年8月11日 作成者: okkotu
メルトダウンする池田独裁体制
乙骨正生 ジャーナリスト

 虚構の神話で情報操作

 創価学会の池田大作名誉会長が、本部幹部会に出席しなくなってから、今年の6月で1年が経過した。昨年6月3日開催の本部幹部会から始まった池田氏の欠席。その際に池田氏が欠席理由を述べたメッセージは次のような内容だった。
 「法華経の会座において、幾度もくり返される弟子の誓願があります。それは、蕫私たち弟子は、師匠の仰せの通りに広宣流布を成し遂げます。どうか、ご安心ください。心配なさらないでください﨟という誓願であります。弟子たちが、本気になり、一丸となって、不惜身命の祈りと行動を起こしてこそ、真実の勝利がある。これが法華経の後継の真髄なのであります。
 ゆえに、私は、きょうは、あえて出席いたしません。厳然と一切を見守っておりますから、原田会長を中心に、皆で明るく元気いっぱいに行いなさい」(平成22年6月4日付「聖教新聞」)
 創価学会が教義上の拠り所とする法華経には、「釈尊」に対して弟子の「菩薩ら」が、「釈尊滅後の弘通」を誓う場面が説かれている。池田氏は、そうした「菩薩」の「誓願」の意味を我田引水的に解釈し、自らの本部幹部会欠席に、さも宗教的な意味合いがあるかのように主張している。しかもこれに続く文脈において池田氏は、晩年の戸田城聖創価学会二代会長の本部幹部会欠席と自らの本部幹部会欠席を重ね合わせ、本部幹部会を欠席するのは、創価学会の後事を託すための儀式ででもあるかのように強調している。
 「戸田先生は、75万世帯の願業が一歩一歩、達成に近づいていくなかで、私たちに、一つ一つ、戦いの指揮を託していかれました。先生は『みんなも立派に育ってきたからな。君たちに任せるよ。自分たちで責任をもって考え、進めていきなさい』と言われ、時には本部幹部会等にも出られなかったのであります。
 それは、未来のために考え抜かれた獅子王の訓練であることが、私にはよくわかりました。先生は、仏法において、何よりも大切な『時』というものを鋭く見極められて、弟子たちが永続的に前進し、勝利し、発展していける流れを創ってくださったのです。
 特に、私に対しては厳しかった。『大作、私が打てる手は全部、打っておいたぞ。あとは、おまえが思う存分、戦いまくれ!勝ちまくれ!』と厳命されたのであります。
 今、私も、戸田先生とまったく同じ心です。君たちに万事を託していく総仕上げの『時』を迎えているからであります」(同)
 この池田メッセージによれば、戸田は晩年、後継の弟子らに後事を託すために、意図的に本部幹部会を欠席した。それは弟子らの成長を受けての措置だったが、同時に戸田は池田氏に後事をすべて託していたということになる。その上で池田氏は、自分も戸田と同じ心持ちであり、創価学会の将来を託すために、「あえて」本部幹部会を欠席すると、もったいをつけた物言いで本部幹部会の欠席を正当化している。
 しかし本誌の176号(平成22年9月号)の特集記事「『闘病記』を発表した戸田城聖と情報不開示の池田大作の落差」で詳述したように、戸田が本部幹部会を欠席したのは、重篤な肝硬変を患っての闘病のためであり、後継の弟子らに後事を託すためではなかった。まして戸田が「君たちにまかせるよ」と指揮権を委託ないしは譲渡したり、池田氏に創価学会の後事を託したという事実はない。
 というのも戸田は、昭和33年2月11日に行った自らの全快祝いの祝宴において、向後7年間にわたって会長を続ける意志を表明しているからである。その発言内容は、池田氏がメッセージ中で紹介した「みんなも立派に育ってきたからな。君たちに任せるよ。自分たちで責任をもって考え、進めていきなさい」との戸田発言とはまったく逆。会長である自らが病気で不在となった昨今は成果があがっていないと、暗に弟子らによる運営を批判し、創価学会の振興は自分にかかっているとして、再び先頭に立って陣頭指揮をとる強い決意を次のように明かしている。
 「会長就任以来七年になるが、私は七年目ごとに難に逢っている。今度の病魔も打ち破ったのだから、もう七年また会長としてがんばるから一つよろしく頼む。末端指導、末端指導と今までずい分力をそそいできたけれどもこのごろは余りその成績が上がっていない。それはもっと根本がしっかりしなければならないということである。『源深ければ流れ遠し』の通りで、要するに学会の振興は会長自身がしっかりしなければならん。私自身が私を教育し磨いて行く。支部なら支部長がしっかりすることだ。そうなって行けば自然に地区部長も班長もしっかりしてくる。自己が大切だということを自覚して、明日から以前と同じように本部へ行って指揮をとる。皆も従前通りよろしくたのむ」
 戸田は、この発言からわずか1カ月半後の昭和33年4月2日に死去する。要するに戸田は、死の直前まで自分が陣頭指揮を取る意志を示していたのである。
 すでに戸田の死から半世紀の月日が流れており、戸田死亡時の事実関係を知る学会員がほとんどいないことから、池田氏ならびに創価学会は、自らが陣頭指揮をとるとの戸田の意志とは全く異なる虚構の「弟子への委託」神話を構築し、それを吹聴することで、池田の本部幹部会欠席の正当化=池田の健康状態の悪化を糊塗するとともに、ポスト池田大作体制構築のための一環として情報操作を繰り広げているのである。
 周知のように日本の原子力発電は、虚構の「安全神話」に基づいて建設され、稼働してきた。そして虚構の「安全神話」を守るために東京電力などの電気事業者をはじめとする政・官・業・学癒着のいわゆる「原子力村」は、事故の隠蔽やデータの改竄などの情報操作・情報統制をくり返してきた。だが、甚大な放射能被害をもたらした福島第一原発の事故は、「安全神話」の虚構性を白日の下に晒した。この事実が示すように、もはや虚構の「神話」を構築し、その「神話」を情報操作・情報統制で維持し、組織や法人の利益や利権を守ることなど無理な時代になってきているのである。
 だが「原子力村」ならぬ「信濃町(創価学会)」は、相変わらず虚構の「神話」作りに腐心し、その「神話」を学会員に刷り込むことで体制の維持を図ろうとしている。そのためのツールとして活用されているのが、過去の池田氏のスピーチ映像である。冒頭で紹介したように池田氏は、昨年6月以来、月例の本部幹部会を欠席しているが、本部幹部会では毎回、池田氏のメッセージが代読されるとともに、元気だった頃の過去の池田スピーチが放映される。

 過去のスピーチ放映はXデーの準備

 池田側近の長谷川副理事長による池田スピーチの代読は、池田氏の健在を誇示する役割を果たしている。過去の池田スピーチの放映も、全国の会館で本部幹部会の録画映像を見ている学会員には、あたかも本部幹部会に池田氏が出席しているとの錯覚をある程度はもたらすだろう。しかし、その効果は限定的であり、むしろ過去の映像の繰り返しは、「お元気」(平成22年9月・本部幹部会での原田発言)であるはずの池田氏の「かくも長き不在」を、視聴する学会員に否応なく意識させるものとなっている。その意味で過去の池田映像の放映は、「かくも長き不在」を続けている池田氏が、「永遠に不在」となる日に向けての予行演習、馴化のプロセスとして放映されているといえようか。
 実際、本部幹部会では池田スピーチを流す前に、原田会長が必ず池田スピーチを放映する意味に言及するのだが、その発言内容は「私どもは永遠に池田先生のご指導通り、正義の前進を貫いてまいりたい」(今年4月度本部幹部会)などと、池田氏の「永遠の不在」を意識したものとなっている。以下に今年6月・4月・2月と、直近の3回の本部幹部会における池田スピーチに関する原田発言を紹介しよう。
 まずは婦人部結成60周年記念全国婦人部幹部会を兼ねた6月の新時代第49回本部幹部会、ここでは2007年1月の本部幹部会・全国婦人部幹部会における池田氏のスピーチを放映した。スピーチに先立って原田会長は、次のように言及した。
 「このあと2007年1月におこなわれた本部幹部会、全国婦人部幹部会での池田先生のご指導を拝聴したいと思います。池田先生の青年部へのご期待、婦人部へのご慈愛を命に刻んで前進の糧にしてまいりましょう」
 同様に、池田氏の会長就任記念日である5月3日を慶祝する5・3記念と銘打たれた今年4月の新時代第48回本部幹部会の原田発言。ここでは池田氏の会長就任記念日を祝福する意味あいもあってか、前出のように池田氏の「永遠性」が強調された。
 「このあとここ関西池田記念会館で2007年に行われた本部幹部会、関西総会での先生のご指導を拝聴したいと思います。私どもは永遠に池田先生のご指導通り、正義の前進を貫いてまいりたい。東北の皆さまも、全世界の同志が祈っております。先生がメッセージでおくってくださった、『断じて負けるな、勇気を持て、希望をもて』、この言葉通りに断じて負けないでください。東北の皆さん断じて勝利しましょう」
 芸術部総会と結成60周年記念第2回青年部幹部会を兼ねて開かれた今年2月の新時代第47回本部幹部会で原田会長は、戸田が死の直前に広宣流布のバトンを弟子なかんずく池田氏に託したと創価学会が主張する、昭和33年3月16日実施の「広宣流布の模擬試験(日蓮正宗総本山・大石寺の大講堂落慶法要)」の意義を語る池田スピーチを学習する姿勢を強調した。
 「さあいよいよ3・16から4・2、そして5・3へ、これが創価の師弟を貫く勝利のリズムであります。このあと池田先生が3・16の意義などについて語ってくださった2009年3月の本部幹部会でのご指導を拝聴し、決意を新たにしてまいりたいと思います。全同志が師弟の精神で、断じて勝利し、栄光の5・3、晴れ晴れと集いあってまいろうではありませんか」
 昨年6月から池田氏は本部幹部会を欠席しているが、それ以前はほとんどすべての本部幹部会に出席して、スピーチや指導を行っている。また各種の会合で池田氏は指導・スピーチを繰り返している。したがって創価学会には、池田氏の指導やスピーチの映像はそれこそ枚挙に遑のないほどにストックされているはずである。
 そうした池田氏の指導・スピーチの内容は、宗教指導に名を借りた十年一日の内容(主として自己宣揚と自慢話だが)であり、2005年のものでも2007年のものでも、はたまた2009年のものであってもたいして変わりはない。
 それゆえ今年2月の本部幹部会において、「3・16」の意義を強調する2009年の池田スピーチ映像を流してもなんら違和感がないのである。
 4月の本部幹部会で、2007年の関西総会を兼ねた本部幹部会での池田スピーチを流したのも、4月の本部幹部会の会場が関西だったからに他ならない。
 同様に6月の本部幹部会で、2007年の婦人部幹部会を兼ねた本部幹部会の池田スピーチが流されたのも、6月の本部幹部会が創立60周年記念全国婦人部幹部会を兼ねており、6月には全国各地の組織で婦人部総会が開催されることから、婦人部幹部会を兼ねた本部幹部会での池田スピーチが流されたのである。
 要するにこの先も、九州で本部幹部会があれば、かつての九州総会や九州総会を兼ねた本部幹部会での池田スピーチを、11月の本部幹部会であれば、11・18の創価学会創立記念日を祝福した本部幹部会での池田スピーチを流せばいいのである。そうした池田氏の映像を繰り返し放映し、「私どもは永遠に池田先生のご指導通り、正義の前進を貫いてまいりたい」(4月後本部幹部会・原田発言)と強調しておけば、当面、困ることはない。
 かくして全国の学会員の心底に、「永遠の不在」への免疫が醸成され、飼いならされた学会員は従順に世襲体制を受け入れると、創価学会の執行部は目論んでいるのだろう。
 だが原発の「安全神話」が福島第一原発の事故で脆くも崩壊したように、創価学会の「炉心」である池田氏が「メルトダウン」を迎えた時、創価学会が世襲体制へと安定的に移行できるかどうかは未知数である。無謬・常勝・正義﨟などの「池田神話」が国政選挙の敗北、司法による断罪、日蓮正宗からの破門などで次々と崩壊する中、「神話」に基づいた世襲体制など、砂上の楼閣に過ぎないからである。
 「かくも長き不在」が「永遠の不在」に移行した瞬間から始まる池田独裁体制のメルトダウンは、日本の政界・社会にいかなる影響を及ぼすか。警戒を怠ることは危険である

乙骨正生(おっこつ・まさお)フリージャーナリスト。1955年生まれ。創価中学・創価大学法学部卒。宗教・政治・社会分野などを取材、週刊誌・月刊誌を中心に執筆。著書に『怪死』(教育資料出版会)『公明党=創価学会の野望』『公明党=創価学会の真実』『司法に断罪された創価学会』(かもがわ出版)など。



池田大作のXデーと言われて久しい気がするが(笑)、
どうも学会幹部たちは大作の状況を、学会員に知られまいと情報を開示してこない。
そういった閉塞的な空気に、まだ正常な思考の持ち主であれば誰でも疑いを持つだろう。
あれだけ

○「勝つか負けるかなんだ。(中略)やられたらやりかえせ。世間などなんだ。
 私は恐れなど微塵もない。勇者は私だ。(中略)反逆者には、『この野郎』
 『馬鹿野郎』でいいんだ」
         (埼玉指導 平成元年三月十二日)
○「二〇〇一年五月三日、広宣流布の同志を裏切った者の大罪を、厳然と天
 下に公表したい。(中略)宗門の悪侶、学会の反逆者を書き連ね、その罪科
 を、血涙をもって後世に残したい。永久追放の証としたい」
                  (聖教新聞 平成六年九月二日付)
○「師である私が迫害を受けている。仇を討て。言われたら言い返す。打ち
 返す。切り返す。叫ばなければ負けである。戸田先生も、牧口先生の仇を
 とると立ち上がった。私も戸田先生の仇を取るために立った。私の仇を討
 つのは、創価同窓の諸君だ」
               (平成八年十一月三日「創価同窓の集い」にて)

とヒットラーの如く叫び続けたにもかかわらず、
恐らくは病状の故に表に出ることができず、そのカリスマ性が日々薄れていく。
なんと愚かなことだろうか。
かつては、

「いまの政治家は、やれ勲章をもらうとか、金をとるとか、また有名人は利己主義になって、
自分の名だけ売って、金もうけするとか、めちゃくちゃな世界であります。
(中略)私ども創価学会員は、位もいらない名前もいらない、有名でなくともよい、
大臣もいらない、また権力もいらない」
                    (池田大作発言 会長講演集九―三五九㌻)

ともっともらしいことを言っていたが、
今では「金色」のごとく勲章や名誉市民等で飾りを付けてきたわけで、そのツケが現れているようだ。

また現在でもカルト池田創価学会に訴えを起こされている髙倉良一氏の裁判も、
学会だけでなく、世間においてもたいへん注目されるべき裁判であり、
いかに組織的で計略に計略を重ねて個人を破滅させるか、その内容は恐るべきものである。
詳しくはコチラ↓
http://wrpandora.blog.shinobi.jp/
or
http://ryugenji-novel11olo1.blog.so-net.ne.jp/2011-06-26

まさに池田大作が指導していた、
「師である私が迫害を受けている。仇を討て。言われたら言い返す。打ち返す。切り返す」
という、宗教者ではあるまじき狂言を、その配下どもはそのまま実行に移している。
いや、もう池田大作にそのような(判断する)余力は恐らくないだろう。
その側近たちが仕組んだものに違いない。

しかし、池田大作が死んでしまえば急速にそのカリスマ性が衰えるのは必至だろう。
かと言って油断はできない。
名乗りを上げるものがいるかもしれないし、また「利害共同体」の繋がりで分裂回避もあり得る。
だが、やはり池田大作の死は少なくとも打撃になる。
あとは学会資産の奪い合いが勃発するだろう。
巨額なマネーが動くその権力を握るのは果たして誰だろうか、
はたまた同士討ちで分裂か…。

もうタイムリミットが迫っている。

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似たり寄ったりの信濃町体質 [創価学会へ]

同じくFORUM21から。

2011年6月 特集/原発問題と創価学会・公明党問題
投稿日: 2011年8月11日 作成者: okkotu
巨額広告費、恫喝、癒着―余りにも酷似する原発村と信濃町の体質

古川利明 ジャーナリスト

 「人災」がもたらした最悪の事故

 この3月11日に東日本を襲った大地震は、未曾有の惨事をもたらした。総数で1万5千人を超える死者を出した、三陸沖をはじめとする津波災害はもとより、福島第一原発では、1号機から4号機が爆発を起こしたことで、放射性物質が大気中に大量に拡散し、事故の収束のメドがつかないまま、被害の長期化が懸念されている。
 とりわけ、福島第一原発の爆発事故は、震動と津波による天災の側面もあるが、むしろ、これは「不作為の罪」による「人災」といってよいものである。というのは、今回の地震の発生によって、不幸にも「非常用電源」を喪失してしまい、高温状態にある核燃料棒を安定冷却させる水の循環がストップした段階で、「その後、起こるであろう、最悪の事態」は、想定できていた。つまり、冷却材を失った核燃料棒は、放射能による発生熱でどんどんと温度を上げて、炉内はすぐに空焚き状態に陥り、1分後には、核燃料棒を包むジルカロイの融点である1850℃を超えて、バラバラになって圧力容器の底に落ちることは、わかりきっていたのである。
 さらに、その1時間後ぐらいには、核燃料棒は、酸化ウランの融点である2800℃に達するが、その際、圧力容器を壊して、その外側を覆う格納容器に溜まっている水と反応し、水蒸気爆発を起こすであろうことも、実は十分に想定できていたのである。
 その場合、こうした爆発を防ぐため、「ベント」と呼ばれる圧力容器の排気弁を開け、中に溜まっていたガスを外へ向けて放出し、なおかつ、廃炉覚悟で海水を注入していれば、あのチェルノブイリ並みの「レベル7」という、最悪の被害をもたらす爆発事故は、結果的には防げていたかもしれないのである。勿論、その手立てを尽くしたところで、事故は阻止できなかったかもしれない。しかし、「やるべきこと」をやったうえで、それでも阻止できなかったのであれば、まだ、諦めはつく。ところが、今回のケースは、そうした手立てを何らしないために引き起こされた、まさに、東電と政府の無為無策による「人災」なのである。
 思うに、今度の事故において、日本の原子力政策の根本的な矛盾と退廃が、一挙に噴出してしまった格好になっている。しかし、そうした構造的な腐敗を生み出す要因となっていたのが、当事者同士がもたれ合い、庇い合うことで、「コトの真相」を隠蔽し、とりわけ、マスメディアをはじめとする報道機関が「これでもか」というくらい、「原発の安全神話」を振りまいてきたことがある。しかし、視点を変えてみると、こうした状況は、まさに「創価学会・公明党=池田大作」に対する「それ」と、見事なまでに同一であることに気づく。

 共通する「アメとムチで籠絡」の手法

 原発という、安全性においては致命的な欠陥を持つエネルギー源が、そうした批判をも振り切りながら、なし崩し的に導入されたのは、「原発村」と呼ばれる、「官、財、学」が一体となった癒着構造の存在が大きい。その中核にあるものが、原発の黎明期である1960年に東大工学部に設置された「原子力工学科」で、ここの卒業者が、旧・通産省(現・経産省)や東電をはじめとする電力会社、さらには東芝や日立製作所といった関連企業にも入り込み、「国策」としての原発を推進してきた。で、ミソは、そこにマスメディアも加わり、要は「四位一体」となって、性懲りもなく「原発の安全神話」を振りまいてきた点である。
 そして、そこにある「マスコミに対するコントロール術」を見ていくと、「巨額広告費」と「恫喝」、つまり、「アメとムチ」なのである。具体的には、5月17日付東京新聞朝刊の「こちら特報部」が、09年度の東電のマスコミに対する広告宣伝費が、実に約90億円、交際費は約20億円にも上っていた実態を報じている。その一方で、08年に原発の危険性を警鐘した学者を取り上げた大阪の放送局に、電力会社が抗議し、番組からの広告を引き揚げたり、それ以前にも、広島のテレビ局が、低線量放射線による被曝問題を放送した際、地元の電力会社が、広告引き揚げをちらつかせたことで、番組プロデューサーが左遷された話も紹介している。さらには、東大工学部原子力工学科1期生の安斎育郎・立命館大名誉教授(放射線防護学)が、『週刊ダイヤモンド』5月21日号のインタビューで、こうしたことも明かしている。
 「原子力政策を批判したら村八分に遭い、東大では助手を17年間やっていた。講演に行けば尾行がつき、研修医と称した東電の社員に隣の席で見張られ続けた。その一方で、カネは出すから、3年間米国に留学してくれと、買収とも厄介払いともつかぬ提案までされた」
 しかし、こうした光景を見ていくと、「どこぞやの組織」が長年やってきた手口と余りにも酷似していることに気づく。そう、「原発村」ならぬ「信濃町」こと、「創価学会・公明党=池田大作」が、これまでにさんざんやり尽くしてきたことなのである。

 「原発村」と「信濃町」に厳しい監視を

 「創価学会・公明党=池田大作」が、「巨額広告費」と「恫喝」という「アメとムチ」でもって、新聞、テレビ、出版、さらには、学者や文化人、ジャーナリストらをいいように籠絡させてきたという「公知の事実」は、「何を今さら」の話なので、本稿では、そこから一歩先に踏み込んで、指摘する。
 一つには、そうやって、アメとムチによって籠絡された取材者と取材対象との間には、奇妙な「安定的な癒着関係」が構築されることである。
 どういうことかというと、そこに、いかなる危険や問題点が存在したところで、取材者としての報道機関は、徹底した「見ざる、聞かざる、言わざる」を断行する。何となく、「これはおかしい」と思っていても、それ以上先、本格的な取材に取り掛かることをやめてしまう。そして、そうした状況が続くことで、ジャーナリストとして不可欠である「批判精神」というものが削ぎ落とされ、結果的に、タブーとしての「裸の王様」を作り出してしまうのである。
 さらに、もう一点。この「原発村」と「信濃町」とは、一見、別個に存在しているようにも思えるが、しかし、この99年体制、すなわち、自公連立においては、信濃町は「政権与党」として、この原発推進の牽引役を果たしてきた。言わずと知れたことだが、あの「創価学会・公明党=池田大作」は、口先では「世界平和」と合わせ一本の形で、「核廃絶」ということを極めて熱心に唱えている。
 しかし、実際において、「核兵器」と「原発」というのは、この日本においても、非常に密接な関係がある。わが国で最初の東海原発は、イギリスから購入した黒鉛炉だったが、これは「軍用プルトニウム」の生産と深く関わっている。つまり、こうした黒鉛炉であれば、発電所のまま操業しても、年間6~10キロの軍用プルトニウムを作ることができる。さらには、その後、開発が進められた「常陽」や「もんじゅ」といった高速増殖炉によって、生産されたプルトニウムは、濃縮率が100%に近い「超軍用」であった(通常の原爆の濃縮率で94%以上)。これらの事実は、もともと、日本の原発導入が、「核保有の意志」と分かち難く結びついていたことの証左である。
 これまで、電力会社は「自民党へは原発族議員への個人献金」、「民主党へは関連労組への政治献金」という形で、原発推進に有利な政策を、いわば、カネで買い取ってきた。そういうことからすると、創価学会丸抱えの公明党は、信者からの浄財に乗っかってはいても、「原発マネー」に対しては、おそらく、クリーンであるはずなので、その「核廃絶」のスタンスと照らし合わせてみても、「原発推進にストップ」をかけるのがスジである。しかし、現実においては、何一つ、その歯止めをかけてこなかったことを鑑みると、それは、この「自公体制の本質」でもあったわけだが、要は「政権与党に留まり続けること」が、彼らの最大目的だったということに他ならない。そうした批判と合わせて、今後、原発政策への取り組みという点で、我々ジャーナリズムは、「信濃町」(=創価学会・公明党)を改めて厳しく監視する必要がある。(文中・一部敬称略)

古川利明(ふるかわ・としあき)1965年生まれ。毎日新聞、東京新聞(中日新聞東京本社)記者を経て、フリージャーナリスト。著書に『システムとしての創価学会=公明党』『シンジケートとしての創価学会=公明党』『カルトとしての創価学会=池田大作』『デジタル・ヘル サイバー化監視社会の闇』『日本の裏金(上、下)』(いずれも第三書館刊)など。


3.11の前には、あの新潟県中越沖地震でも東京電力柏崎刈羽原発についてもそうだった。
実は、私は高校の頃工業系の電気科に通っていました。
新潟県沖地震もちょうど高校生のころであり、原子力発電所の仕組みについて習っていた。
その教材ビデオとして、奇しくも柏崎刈羽原発をモデルにしたものであり、
説明の中ではっきりと「なお柏崎刈羽原発は活断層の上に建っておりませんので安全です」
というアナウンスがあった…。
しかし、その地震の後でちょうど原発の下に活断層があることが判明し、
「安全神話」が微妙に揺らいだのだが、あまり問題が大きくにならずに終わってしまった。

そして3.11の東日本大震災。
津波によって損害を受けた後に、一度は冷却装置が作動したものの点検によって停止され、
その事を所長に連絡が着かなかったことによって被害が拡大した一因があったという。
もちろん、これもマスコミが流した情報なので、どこまで信頼できるか分からない。
しかし、「安全神話」を謳い、利権によって張り巡らされた網を使って情報を制限し、
あめとむちを以て欲しいままに食いつぶした罪は重い。
既に4年前から問題視されていた地震による原発問題がなおざりにし、
今回の事故も徹底的に追及しなかったマスコミも同罪であろう。
マスコミは、果たして何のために存在するのだろうか?

その悪しき癒着が創価学会との体質に似ているのは無理もないだろう。
あの言論妨害事件を発端に創価学会はマスコミ対策を強化し、
自分たちの都合の良いように情報を操作し、臭いものにふたをしていた。
政治のパフォーマンス、あるいは検察のリーク等でマスコミは大いに貢献し、
多くの国民をだましてきた。

また池田大作が亡くなったならば、恐らく学会の求心力は低下するであろう。
そうすれば「財務」も枯渇し、マスコミ対策も十分に施すことはできないだろう。
その前にマスコミたちは立ちあがれ!
そして謝罪せよ!!
償うのであれば今しかない。

国民が知りたいのは、虚飾の奥にひそむ真実であろう。
マスコミが本来あるべき姿に戻ることを祈る。

タグ:創価学会
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矢野純也元公明党委員長が赤裸々に明かした『乱脈経理』の本の、驚愕な内容! [創価学会へ]

 創価学会が恐れていたことが、ついに起こった。元公明党委員長・矢野純也氏を強迫してまで、その内容が外に洩れることを防ごうとした、矢野氏が議員時代に記録した「黒革の手帖」の内容が、矢野氏の手によって書籍化され、世に出てしまったのである。


乱脈経理 創価学会VS.国税庁の暗闘ドキュメント

乱脈経理 創価学会VS.国税庁の暗闘ドキュメント

  • 作者: 矢野 絢也
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2011/10/21
  • メディア: 単行本




 『乱脈経理』が明かした学会の本性
  ―池田を守るためなら手段選ばず―

 過日、元公明党委員長の矢野純也氏が、一冊の本を出版した。
 『乱脈経理』と題された本は、矢野氏自身が国会議員時代に書き溜めた、百冊近くにものぼる「黒革の手帖」の記録に基づき、まとめられたものである。

 内容は、平成二年六月から平成四年四月まで続いた、国税庁による創価学会本部への税務調査の顛末を中心に、平成元年に起きた「一億七千万円捨て金庫事件」、創価学会の絵画取引に絡んで十五億円が“闇”に消えた「ルノワール事件」、創価学会の株取引に対する証券会社からの巨額の損失補てんの問題等、さらには、税務調査と時を同じくして勃発した日蓮正宗との対立についても、矢野氏が知る限りを記している。

 創価学会の国税庁の税務調査が入ることになった発端は、平成元年六月に起きた「一億七千万円捨て金庫事件」だった、と矢野氏は記す。
 神奈川県横浜市旭区のゴミ処理場に運び込まれた古金庫から一億七千万円が見つかったこの事件は、問題の古金庫の出所が聖教新聞社だったことが公になるや、池田大作の側近中の側近であった中西治雄氏が、“古金庫は自分のもので、中の金は、昭和四十六年頃から三年間、総本山大石寺に開いた土産物店で得た利益を隠し、脱税したものだ”と“告白”。
 しかし、売店で売り上げた日銭を隠したにしては、大蔵省印刷局の帯封がされたままの一千万円の札束が三つも入っているなど、不自然な点が多かった。そのため、マスコミが盛んに取り上げ、国会でも問題になったものの、結局、完全な真相は明かされる事なく、事件には幕が引かれてしまったのである。

 だが、国税庁は違った。中西氏が“脱税した金だ”と公言した事から、その調査に乗り出したのである。そして、その調査はやがて、創価学会本体への税務調査へと拡大していった。

 これに慌てた創価学会は、国税庁に人脈を持つ矢野氏を頼った。そして、国税庁への裏工作を懇請した。
 そのため、創価学会と国税庁との攻防の一部始終が、矢野氏の「黒革の手帖」に残される結果となった。そして今般、その手帖の記録をもとに『乱脈経理』が出版されるに至ったのである。
 同署において矢野氏は、創価学会への税務調査に関し、創価学会から懇請されて、公明党書記長時代に築いた国税庁幹部との関係や、竹下元総理との関係を拠りどころに、税務調査内容を最低限にさせつつ作業の引き延ばしを図り、さらに追徴課税額を値切り、また、国税庁からの請求の多くを「宿題」という形で“先送り”させた経緯を語ると共に、その間に創価学会が資料の廃棄や帳簿改ざんを行うなどの隠ぺい工作を行っていたことを示唆。
 さらには、池田創価学会の基本体質ともいえる“人に対し全幅の信頼を置かない””用済みになれば使い捨てる”実態までも、赤裸々につづっている。


 これが公益法人のする事か!?
  ―乱脈経理の隠ぺいに狂奔した学会―

 そもそも創価学会は、国(※当時は東京都)から認証された、「宗教法人」と言う名の公益法人である。すなわち、宗教を通じて国民の公益に資することを条件に、宗教施設や宗教行為に係る金品についての税を免除されるなど、税制面で特段の待遇を受けているのである。

 されば、公序良俗にしたがい、明朗会計に努め、納めるべき税金はしかるべく納めているのが当然であって、いつ、いかなる形で税務調査に入られようと、何ら困ることはない、というのが本来のあり方のはず。
 ところが実際には、矢野氏に対し、公序良俗に反する裏工作を懇請しなければならないほどの、まさに『乱脈経理』が横行していたばかりか、それが露呈しないよう、必死の隠ぺい工作を行っていたのである。

  ―税務調査び先延ばしを要求―

 『乱脈経理』には、こんな記述がある。
 
  「八月二十八日(※平成二年)の八尋氏(※副会長・弁護士)からの電話連絡。
  ≪敵(国税庁)はひたひたと来ている。ルール(※税務調査にあたっての、創価学会と国税庁との取り決め)は守っているが、本部会計への(調査に入る)きっかけ作りをやっている。秋谷氏も本部会計は一年先延ばしにしほてほしい、いまやられるともたないと言っている。収益会計と公益会計の混同、池田氏の公私混同の区別がついていない所へ調査が入ってきている・・・・・・。池田夫人の日程、車両日誌など既に全部廃棄した。かなり厳しい状況だ。調査は二十八、二十九、三〇日と続くがルールを守っているので物の言いようがない。事情を知らない人は、八尋は何をボヤボヤしているのかと批判しているが、トップは事情を皆知っている。毎日、こちらから電話しなければならないのに申し訳ない≫
  池田ファミリーは学会内では特別扱いされている。創価学会は、池田氏のカリスマ性と指導力でけん引されていることは明白で、学会にとっても余人をもって代えられない存在だ。だから池田専用の豪華施設などが、あたかもそれば池田氏への忠誠心の証であるかのように多数建設されるなど、特別扱いはとどまるところがなかった。
 香峯子夫人もこの当時、学会内で特に役職を持たなかったが、私的な買い物を含め、どこに行くにも学会の運転手付きの車で送り迎えしてもらっていた。こうしたことは学会本部の日程表や車両日誌に記録されていた。あまりに公私混同が明白なので、学会側は急いで夫人に関する記録を廃棄したわけだ。(※≪≫内の記述は、手帖の記録に矢野氏が補筆したもの。以下同)

  ―肝心な書類は提出を拒否―

 また、こんな記述もある。平成二年九月十九日のことである。

  ≪八尋「やはり本部会計にさわられると、まずい。対応できない。六日の話、秋谷と詰めてきたが、墓苑については三点セット(※収支計算書・貸借対照表・財産目録)出してもよい。本部は収支計算書のみ、後の調査はなしにしてほしい。墓苑も調査されるとまずい。色々説明できない支出があって。本部は財産目録出せない。問題は現物(絵、その他など)がどこにあるかだ。預金も同様、特金(※特定金融信託。創価学会は、バブル期に特定金融信託で資金運用を行い、バブル崩壊で生じた損失に対して、証券会社から四億六千五百万円もの補てんを受けた)もまずい。第一庶務がらみは聖域の中の聖域、私もさわれない。だから調査なしでお願いしたい」(中略)≫
  (中略)
  国税庁は学会本部の公益事業会計(※本来は非課税の部分)の三点セットの提出を求めているのに、学会側は三つのうち収支計算書一つしか出せないという。出せるのは公益事業会計ではなく墓苑事業会計の二点セットのみ。池田氏の公私混同が疑われている、絵画などの美術品を含む財産目録はむろんのこと、学会の預金や特金、第一庶務がらみの経理も出せないときた。池田氏が後ろで支持を出しているのだろうが、こんな「ないない尽くし」では国税庁側が飲む訳がない。
  しかも八尋氏も了解していた墓苑についてすら、「調査されるとまずい」と言い出したのだから、ゼロ回答どころかマイナス回答だ。八尋氏が豹変したのはもちろん池田氏が墓苑調査に反対しているからだが、それには事情がある。
  私が聞いたところでは、学会はこれまで墓苑の土地購入などのために、地元の有力者に工作資金を払ったりしており、その資金をねん出するために裏金作りをしてきたという。それ以外にも学会関係者へのバックペイの噂もあって、私のところへかなり克明な投書すら来ていた。墓苑事業会計を調べられると、そういう裏金工作がわかってしまう恐れがあると考えたようだ。

  ―不都合な書類は「なくす」―

  一〇月十四日(※平成二年)、レストランの個室で会った八尋氏はいつも気難しい顔に戻っていた。八尋氏は一般管理費の中の「仮払い」の処理について頭を痛めていると打ち明け、「仮払いからも池田氏がらみの褒賞激励費(※池田が、その時々に職員などに配った“金一封”)が出ている。仮払いを国税庁から突っ込まれると応答できない」と顔をしかめた。仮払いの金額は相当額に上っていたようで、八尋氏は「一般管理費だけでコンピューターでソート(分類)して一覧表を作り、領収書などはコピーで・・・・・・。でないと結局、すべてを見せることになってしまう。仮払いはなくす方向だ」と話していた。要するに一般管理費から仮払いを削除し、伝票や帳簿を改ざんする、ということだろう。
  また伝票と引き換えに金を出す聖教新聞社の「受け払い」伝票を調べたところ、ここにも第一庶務がらみの、表に出せない金が入っているとのことだった。そこかしこに池田氏がらみの支出があったということだろう。
  また学会の理事会議事録も国税庁に提出できないと八尋氏は話していたが、これも同じような理由からだと思われた。

  ―公明党でも書類を改ざん―

 改ざん行為は創価学会だけでなく、公明党にも及んでいた。

  第二次調査(※平成三年九月開始)の対象には公明党も含まれていたが、実は公明党については、第一次調査が始まる前の段階で資料の改ざんが済んでいた。なぜ改ざんが必要だったかというと、公明党議員や党本部から池田名誉会長宛に多額の寄付や贈り物が届けられていて、その痕跡を消す必要があったからだ。
  まず議員の寄付についてだが、私も議員を辞めたときに、感謝の意味でまとまった金額を池田名誉会長宛にお届けしたことがある。他の議員も同様にしていた。また選挙で当選すると、私たち国会議員はお礼の意味で池田氏にお金をお届けした。その他、池田氏の外遊やお祝いごとの都度、池田氏にお金や品物をお届けした。
  お届けするといっても、池田氏に直接渡すのではなく、第一庶務という秘書集団にお願いする。第一庶務のほうでも議員の当選時にそれとなく催促してくる。池田先生のお陰で議員にしていただいたのだから、払うのは当然だ、という感覚なのだろう。これがいわゆる「P献金」だ。「P」は「プレジデント=池田氏」の略である。
  寄付したお金がその後、どこに流れたか定かではない。仮に池田氏の個人収入になっていたとしたら、池田氏は申告して税金を払っていたのだろうか。もし払っていなかったら、池田氏が脱税に問われかねない。党としてはP献金関連の報告書や学会第一庶務からの連絡メモといった、池田氏がらみのもろもろの書類をすべて破棄しなければならなかったのである。

  ―議員からも搾取する池田大作―

 「P献金」については、次のような記述もある。

  一〇月一日(平成三年)、神崎国対委員長ら公明党幹部との会合があった。
  ≪神崎「軽井沢で池田名誉会長が“浅井、伏木(和雄)は五〇〇万(円)市川は一〇〇〇万(円)。実績のない人は持って来い”と言った。矢野さんは功があるから寄付リストに名前見ない」
  皆、唖然としたり、ブスッとしたり、
   伏木「五〇〇(万円を寄付)する。だが・・・・・・」
   浅井「(私は)二〇〇(万円)する」≫
  議員たちは、後で「学会はお金がうなっているのに、俺たちから取り上げてどうするつもりだ。サドだ。イジメだ」と憤慨していた。
  実際に各氏が寄付したかどうかはいちいち聞いていないが、これがいわゆるP献金の実態である。私自身、池田氏から「働きが悪い」との理由でペナルティーとして「金を持って来い」と言われたことがあるがそれまで何回もあった。
  本来、宗教における罰金とは罪障消滅を目的としたもののはずだが、学会の場合は、罰金を科すことも金額も池田氏の気分次第で決まるのが実態だ。
  このときの寄付リストに私の名前は載っていなかったものの、他の議員が寄付するのに、私だけ寄付しないと、後で池田氏から「矢野は思いあがっている」などと起こられるのがおちなので、私は後日、銀座の「和光」で名誉会長用のセーターを十二万円で購入し、お礼名目の二〇〇万円と一緒に第一庶務に届けた。

  ―あるべき姿を失った学会・公明党―

 繰り返すが、創価学会は「宗教法人」である。公益法人として、公序良俗にしたがい、明朗会計に努め、納めるべき税金は納めるべき立場にある。
 また、公明党は天下の公党であり、公明党議員は公僕である。国民の負託も応えるのがその役割であり、一個人・一団体の利益のためだけに便宜を図ることなど、本来許されるはずがない。
 ところが、矢野氏の本によれば実際にはこの体たらく。
 創価学会は、もっぱら池田大作を守るため、乱脈経理の隠ぺい・改ざんを行い、その時間かせぎのために国税庁の査察を先送りさせようと画策し、さらには求められた会計書類の提出すら拒んだ。
 そして矢野氏ら公明党議員は、公僕たるべき立場も顧みず、創価学会なかんずく池田大作を守るため、身を粉にして働いたばかりか、池田に言われるがままに、あるいは覚え愛でたきを願って、金まで貢いできた。そして、その事実を隠ぺいするため、公明党の資料も改ざんした、というのだ。
 常人にとっては、これだけでも驚天動地の心境であろうが、矢野氏の本には、この他にもまだまだ驚くべき創価学会・公明党の醜い実態が暴露されている。
 創価学会も公明党も、池田大作のために存在しているようなものである。その創価学会・公明党に、宗教法人としての特権を与え、公党としてのキャスティングボートを握らせておく、などということは、もはやできまい。
 

 私たちは今こそ、創価学会・公明党の醜い実態を、声高に訴えていかねばならない。


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破門20年を経て露呈する創価学会の実態 [創価学会へ]

注目される「女性市議転落死」描いた映画
 ―事件と学会と暴力団の接点とは!?―


 次々露呈した創価学会の“影”
  ―金・政治権力・暴力団―

 最近の創価学会の状況を俯瞰(ふかん)するならば、日蓮正宗から破門されて満二十年を経て、創価学会が宗教法人としての適格性を欠く反社会的な集団である事実が、いよいよ明白になってきている。
 まず第一には、矢野絢也元公明党委員長が、近著『乱脈経理』(講談社)で、池田大作の指示によって自らと公明党が、その政治力を駆使して、国税当局の創価学会に対する税務調査を妨害した事実を明らかにした。これにより、公明党という政治権力を握る、学会の政教一致の実態、そして税制上の優遇措置を受ける資格のない、乱脈経理ぶりが暴露されている。
 そして第二には、山口組系後藤組の後藤忠政元組長が、昨年五月に刊行した自著『憚りながら』(宝島社)において、創価学会との深い関係を暴露した。これによって、公益法人である創価学会が暴力団と密接な関係にある、という疑惑が当事者の告白によって裏付けられた格好となっている。
 これらは、今まで姑息な情報操作で隠ぺいし続けてきた、創価学会の醜悪な実態が、破門二十年を迎えて白日のもとにさらされ始めていることを示している。
 なかでも、創価学会の反社会的体質を示す極めつけは、暴力団との密接な関係と言えるだろう。
 すでに本紙(慧妙)では、昨年五月に山口組系後藤組の後藤忠政元組長が『憚りながら』という書物を刊行し、創価学会との深い関係を明らかにした際に、創価学会の責任を厳しく指摘、糾弾したが、このたび、朝木明代東村山市議の転落死事件(平成7年9月)に関して、事件と後藤組・創価学会の関係をテーマにした、注目すべき映画があることが明らかとなった。しかもその映画は、何者かによる圧力によって上映が出来ないまま、現在も、お蔵入りになっているというのである。
 
 転落死事件の謎に迫った映画
  ―「暴力団による偽装自殺!?―

 問題の映画は、反権力的な映画を撮ることで知られる渡辺文樹監督が平成15年(2003年)に作成した『阿鼻叫喚(あびきょうかん)』と題する映画である。
 映画はフィクションであるが、渡辺監督が作成した映画のパンフレットに記載されている「渡辺文樹監督近況レポート」には、その『阿鼻叫喚』という映画の内容が次のように書かれている。

  「2003年 『阿鼻叫喚』 創価学会と山口組系後藤組による、東村山市女性市議の偽装自殺事件をメインに描いた、学会の犯罪史である。作品はほぼ完成しながら、主演女優の身体の安全対策上の都合から、上映
が宙に浮いている」

かなりセンセーショナルな文章だが、朝木市議の転落死事件については、自殺であるとして、警視庁が事件性を否定。検察庁も事件性は認められなかったとして、捜査を閉じている。
 しかし、捜査終結後に作成された朝木市議の司法解剖の鑑定書には、法医学上、「他者と争った痕(あと)」と解釈されうる内出血痕が、朝木市議の上腕内側に残っていた、との事実が記載されている他、事件当時、東京地検八王子支部で捜査を担当した検事が、創価学園・創価大学出身でバリバリの創価学会員であること、さらに、その上司の東京地検八王子支部長検事も、創価学会の総体革命を推進する「法学委員会」の参与を務め、学会副会長の妹と結婚している学会幹部であったこと等が明らかとなっている。
 こうした首をかしげざるを得ない事実、さらには警視庁が東京都議会与党の公明党の圧力に弱い事実―等々を勘案し、遺族や関係者は、事件性を認めなかった警察・検察の捜査は不十分であり、朝木市議の転落死には事件性(それも殺害された可能性)があると主張し、今日まで事件の真相糾明を求めた活動を続けている。

 学会・暴力団と事件との“接点”
  ―公明都議と後藤組長の密会ビデオ―

 その朝木市議の転落死事件との関連が取りざたされているのが、「都議会公明党のドン」とか「池田大作のお庭番」などと呼ばれた藤井富雄元都議会公明党幹事長(元創価学会壮年部長)と後藤元組長との「密会ビデオ」の存在である。
 この「密会ビデオ」の存在について後藤元組長は、『憚りながら』の中でその存在を認め、最終的には亀井静衆議院議員が持っていたと聞いている、としている。
 では、そこではどのような会話がなされたのか。ジャーナリスト・魚住昭氏が執筆した『野中広務 差別と権力』(講談社)には、この「密会ビデオ」について、次のような記述がある。

  「住専国会で新進党切り崩しの材料になった『密会ビデオ』。その存在が永田町の一部で取りざたされるようになったのは、これより三カ月前の九五年十二月ごろのことである。
   当時、自民党の組織広報本部長として反学会キャンペーンの先頭に立っていた亀井が『命を狙われている』という噂が流れた。その噂を裏付けるように亀井付のSPが増員され、亀井の車はつねに警視庁の警備車両二台にはさまれて移動する騒ぎになった。村上正邦(注・元労働大臣)の元側近が語る。
   『騒ぎの発端は、藤井さんと後藤組長の密会ビデオでした。亀井さんが入手したそのビデオの中で、藤井さんは反学会活動をしている亀井さんら四人の名前を挙げ「この人たちはためにならない」という意味のことを言ったというんです。受け取りようでは後藤組長に四人への襲撃を依頼したという意味もとれる』」

この中の、学会のためにならない「四人」のうちに、朝木市議の名が入っていたという。
 後藤元組長は、「密会ビデオ」の存在を認めるものの、その内容についてはまだ明らかにしていない。
 だが、『憚りながら』において藤井元都議が、創価学会と自らのパイプ役だった事実を認めているし、藤井元都議も、かつて『週刊現代』(平成九年十一月二十二日号)の取材に対して、後藤組長と面識があることを認めている。
 また後藤組は、「富士桜自然墓地公園」の建設に対して、創価学会からの依頼で墓苑反対運動つぶしに尽力し、反対運動のリーダーの左腕を日本刀で切り落とし、その傷がもとで数ヵ月後に死亡させた、歴とした暴力団である。
 学会と後藤組と「密会ビデオ」の関係がいよいよ注目されるではないか。

 主演女優への脅迫で上映中止!?
  ―今こそ学会に鉄槌加える時―

 さて、これらを思いきった解釈でストーリー化した映画が『阿鼻叫喚』だという。これを撮影した渡辺監督は、取材に対して事の顛末を次のように説明する。

  「映画はフィクションですが、私なりの認識をストーリー化したものです上映準備をしていたら主演女優が、ある日、突然、非常に怯(おび)えた表情で私を訪ねてきて、
   『この映画に出たことが分かると、私と私の家族が危ない』『殺されるかもしれない』
と、上映の中止を求めてきたのです。おっとりした女性だったのですのが、非常に切迫した態度でした。脅迫か圧力があったのでしょう。私としては上映したかったのですが、女優さんの身の安全を犠牲にしてまで上映することはできない。そこで上映中止としました。しかし今後とも機会があれば上映したいと思っています」

『阿鼻叫喚』の上映実現を期待してやまないものである。
 周知のように、暴力団と密接な関係があったタレントの島田伸助が引退。その言動や動性について、テレビを中心とするマスコミは大々的に報道した。
 しかし、公益法人でありながら暴力団と蜜月関係にあったことが指摘される創価学会については、政界・マスコミ界ともに、いまだにこの事実を追及しようとはしない。
 公益法人でありながら暴力団と関係をもち、税制上の優遇措置を受けていながら国税庁の調査を妨害、あまつさえ言論出版妨害事件に盗聴事件、さらには会長・理事長をはじめとする最高幹部から、末端の幹部までが名誉棄損を犯す創価学会。
 このような創価学会を放置することは、未曾有の国難を受けた日本を、さらに亡国へと陥れかねない。
 破門から二十年。醜悪な実態を晒し続ける創価学会に、いまこそ鉄槌を加える時である。



 以上が、先日の「慧妙」の一面です。

 私は最近、青年部の人達と一緒に浅草周辺で街頭折伏を行っている。その内容は邪宗教の間違いを指摘するリーフレット等をゆく人々に配布する活動なのだが、その中で最も急務なのが、池田創価学会の悪しき実態を世間に知らしめることにある。創価学会の弱点は、国民が創価学会の真実を知り、それを糾弾する事にある。それを少しでも進められると信じて、今後もこの活動に従事する次第である。

 政権与党に入ってからも我が物顔で権力を乱用し、政界のみならず、一般の生活まで悪影響を及ぼし糾弾する者は少なくなっていた。
 例の政権交代を期に、国民の手によって与党の権限から引きずりおろす事は出来たのだが、近年ふたたび公明党・創価学会の活動は徐々に力を伸ばし始めている。
 見て見ぬふりは簡単だ。
 関わりあわなければ責任は無いだろうと、そう思っているかもしれない。
 だが、見て見ぬふりこそが悪を助長し、止める術が減っていくのである。

 フランスでは創価学会の研究論文が発表され、その実態を克明に調査されたとして高い評価を受け、「フォーラム21」でも掲載された。御存知であろうが、フランスは創価学会をセクト(カルト)と認められているのである(そのためか、今は「ACSBN(日蓮仏法創価文化協会)」と変更しているそうだ)。
 そして日本では、髙倉良一教授が創価学会の最高幹部を相手に裁判を起こされ、現在も進行中である。詳細はブログを読んでいただきたいのだが、ここで言えることは、私たち日本国民がこの裁判に注視すべき事である。ブログ「白バラ通信」→http://wrpandora.blog.shinobi.jp/
 その理由は様々であるが、第一に髙倉良一氏や弁護士の生田暉雄氏らが体を張って糾弾されている故に、常に命が狙われている危険性があること。第二に国民がこの裁判を通じてカルト池田創価学会に対して認識をもち、いかに危険な集団であるかを自覚すること等々。とにかく、国民が注目してそれぞれが強い意志を持てば、創価学会も下手に動けないのである。
 創価学会についての情報や提案がございましたら、ぜひ髙倉良一氏のブログ、もしくはメールでご連絡ください。貴殿の勇気が創価学会と闘っている髙倉良一氏や弁護士方の助けとなり、日本の未来を切り開く一手となります。どうかよろしくお願いします。

 街頭折伏をおこなって痛感するのだが、やはり宗教に対して強い抵抗を感じる人たちが多い。しかし、意外と思ったのが、私の年よりも若い人(18~20歳くらい)たちが受け取ってくれたことである。年寄の方や家族連れ、カップルは(当然だろうが)訝しげな顔で見るのだが、私が見た限りでは、青少年の方が少しでも興味を持っていた様子であった。それだけでも嬉しいものである。思うに、いまの若い人たちは、自分を鍛え、人格を向上させたいとの意識が強いのではないだろうか。

 私はこれからも、創価学会の邪義を世間に向かって地道に啓発していきます。
 この先しばらくはブログ更新や皆さまへのご訪問が遅くなりますと思いますが、これからもよろしくお願いいたします。

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